昔むかし……
地球をおつくりになった神さまは,何億年もたって有機物のスープになったその海に,最初の生物をおつくりになりました。スープの中に細胞膜で仕切られた小さな袋をつくり,その中にRNAを中心とした遺伝―触媒システムと,同じ材料を使ったATPによるエネルギーシステムを封じられたのです。
そしてそのはかない,あまりにもささやかなものに,たった2つの命令をくだされました。
一つ,生物よ。おまえは生きろ。他の者を食らってでも,自分は生きろ。
一つ,生物よ。おまえは増えろ。この地球をお前の子孫で満たせ。
そうして神さまは,生物のことをお忘れになりました。ときどき気まぐれに地球を凍りつかせたり小惑星をぶつけたりしましたが,ご自身の創造された小さな小さな――それは直径数マイクロメートルあるかないか――生物のことを思い出されることはなかったのです。
でも生物は神さまの命令を忘れることはありませんでした。自分が生きるために,子孫を残すために,ひたすら試行錯誤を重ねていきます。
不安定なRNAからより安定なDNAに替えてこれを遺伝物質,つまり遺伝子として,形質が不要に変化するのを防ぎました。形やはたらきを現す触媒には,新たにタンパク質を用いるようにしました。
海中の有機物を使い果たしたときには,光合成のシステムをつくり上げて,自前で有機物を生産できるようにしました。光合成が始まると,海中に酸素が増えます。これは有機物を分解する恐ろしい毒ガスです。でも生物は,酸素への耐性を身につけたばかりか,逆にその性質を利用して有機物を完全に分解する呼吸のシステムをつくってしまいました。得られるエネルギーがケタ外れに大きくなりました。
原核生物から真核生物へ。
単細胞から多細胞へ。
海中から陸上へ。
雌雄すなわち「性」の発明。
それが生きるため,増えるために利あらば,生物はどんな冒険もためらいませんでした。理由や意義を問うのは無意味。自己保存と種族保存,神さまから賜ったたった2つの命令は絶対です。それこそが,私たち生物の存在意義(レーゾンデートル)なのです。
神さま……神さま。見えますか? 私たちはここにいて,一瞬一瞬を必死に生きてます。あなたの命令に沿うために。
神さま……今,地球は生物で満たされています。私たちのことを少しは思い出していただけますか? それを待っているたくさんの生命が,この地球に満ちているのです。
私,仏教徒です。念のため。