庭のウメモドキの枝に,アシナガバチの大きな巣が見つかったのが6月のこと。コアシナガバチと思われる,黒ずんだ小型のアシナガバチです。ちょうど人の目の高さであり,母屋とラティスの間の,ヒトも通れば近所の野良猫も好んで通る小径,文字通りのキャットウォークにあってどうしてもヒトとの接触は避けられない場所。箱根の関に狂戦士。父は迷わず殺虫剤を吹き掛けました。
それで女王を長とする寡黙な一家は全滅したのですが,巣を襲った悲劇が家族全員に及んだわけではありませんでした。巣が化学兵器に曝されたそのとき,たまたま外勤に出ていた連中がいたのです。
私がその事実に気づいたのは攻撃から実に一ヶ月も過ぎたころ。ウメモドキに隣接したミツバアケビの毛虫を退治していたとき,一枚のアケビの葉裏にびっしりと,なにか黒いものが張り付いているのを見たのです。しゃがんで見た葉にシルエットとして浮かぶ,十頭ほどのアシナガバチでした。
寡黙なものたちは翼を固く畳み,身をぴったりと寄せ合って,微動だにしません。触角の形や体の大きさからして,全員働き蜂らしい。それで初めて,滅んだ一家のことを思い出しました。
虐殺の舞台となった巣はそのまま残されていましたが,彼らはその生家には戻りませんでした。薬剤が残っているのでしょうか? いや,すでに十分に雨風に洗われています。彼らはひたすら,10センチほど離れたところから,往時のよすがに寄り添っているようでした。
死んでいるわけではありません。私が顔を寄せれば,迷惑そうにごそごそと身じろぎします。しかしかつての狂戦士,巣を守るためなら一命を賭して突撃するつわものの姿は片鱗もありません。もはや守るべき女王や妹たちはどこにもいないのだから。私には彼女らがただ悲しみに浸っているように見えました。身を寄せ合い,首を垂れ,思い出を語り合うでもなくただひたすらそれぞれが悲嘆に暮れ,内面への沈潜の中にあるようです。生まれ育った王国はすでになく,忠誠を誓った女王も,腹をすかせた兄弟姉妹たちも,空のかなたに消えて行ってしまったのです。
摂食を行う動物にはすべて怒り・悲しみ・恐怖・喜びといった感情があると,以前本で読みました。科学的根拠はともかく,私もそう思っています。感情が動物の行動のモチベーションであり,合目的な行動の始点となるのです。そしてこの働き蜂たちのそれは,女王や巣を守り,維持するという使命から発するものでした。行動の始点を失った彼女らには,ただ悲しみに浸りながらじっとしていることしかできなかったのだと思います。
7月,8月,9月。ハチたちは,他の虫が生を謳歌し命の営みを繰り広げる朱夏の季節にも,ただそこに居続けました。たまに大儀そうにごそごそと動くばかりで,飛ぶことは一切なかったと思います。暗い葉裏でひたすらひざを抱え顔を埋めていました。その悲しみの深淵や,いかに。
終わりは突然でした。10月の末の大風が吹いた日の翌日,ミツバアケビの葉ごと,彼女らはどこかへと消えていたのです。
どこへ行ったか,誰も知らない。