ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

花物語 スミレ

 

スミレ程な 小さき人に 生まれたし   漱石

 

 夏目漱石がスミレ好きだったのは,研究者の間では知られたことらしい。「世の俗塵から最も遠く,しかもひっそりと静かな美を放つ無垢な存在」(『夏目漱石辞典』三好行雄編)ということだそうで,まあ現実から遠く離れたものの象徴ということでしょうか。

 

 でも私,結構現実の女性を花に例えたりしています。

 女性を花に例える,などと言うといろいろ異論を唱える世慣れた男性もおられましょう。なに,花というものもとりどりです。ラフレシアとかヘクソカズラとか。

 

 ……今度は女性に怒られそうですね。女性よりもこの花々の名誉のために言っておくと,ラフレシアの巧みにして割り切った生態は実に見事なものですし,ヘクソカズラは名で損をしているだけでその花はヤイトバナの名を賜るほどに清楚で美しい。 

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              ヘクソカズラ(ヤイトバナ)

 

 なまじ植物に詳しいもので理屈っぽくなりますが,要するにそのかんばせ,肢体,生きかた,信条,特技,そんなものを勘案すると,結構当てはまる植物名があるものです。

 

 黄色いグラジオラスに例えた女性がいました。気高く,美しく,凛とした花を夏の青空に咲きあげる,盛夏の花壇にあって一種清楚な気品を振りまく花のようなひとでした。


 くるくると色定まらぬ金銀花(スイカズラ)のような少女もいました。ああ,遠い昔のことです。

 

 で,今日ここで書きたいのはスミレの花です。

 日本は世界に誇るべきスミレの王国で,町中から離島まで,大雪山の稜線から西表島の滝の傍らに至るまで,全土に隈なくスミレの類を産します。厳密には60種,亜種や交雑種まで含めれば軽く100種を超えてしまいます。オーストラリア大陸全体で8種といえば,そのすごさがわかって頂けますでしょうか。
 そしてその中で,私が全スミレの代表と信じているのが「スミレ」,タチツボとかサンシキとか付かないただの「スミレ」です。学名ウィオラ・マンジュリカ Viola mandshurica ,混乱を避けて専門家は学名の「マンジュリカ」をその名に使います。花はこれぞスミレというべき濃い紫色,細長い葉をぴんと立てて,日本中の路傍や芝生に咲く「スミレ」です。「菫」と書くといっそうゆかしい。

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 スミレは,とにかく美しい。その美しさも,サクラやボタンの美しさとは趣を異にします。細く優雅な葉,かそけき花茎にそっと蝶が停まったような花がうつむき加減に開き,花と茎と葉が絶妙な調和の美を奏でます。そのはかなげな美しさは,夕暮れの青い風が吹く春の野そのものです。

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  そういう少女がいました。幸薄い少女でありました。両親は仕事で忙しく,幼いころから誕生祝いと言えば冷蔵庫のショートケーキひとつ。父親の事業失敗とともに家族は崩壊し,生家は売り払われます。本人はあわや犯罪に巻き込まれかけてPTSDに苛まれ,さらに身体に難治の病を得て苦しむことになります。手を差し伸べてもそれをつかむ力もないような少女でした。それはまるで,路傍で車輪の下に消えかかる一株の小さなスミレのようでありました。

 

 このような環境で,子供はどう育つものでしょうか。私には悪い想像しかできません。ただ貧乏なだけなら,そこからのし上がった偉人はいくらでもいます。でも,この少女の置かれた境遇で,普通の人間が世を恨まず,人を妬まずにいられるものでしょうか。

 

 しかし私は,生あるものの強さ,見かけからは計り知れぬ秘められた「力」を知ることになります。

 

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 スミレの学名「マンジュリカ」。この名は「満州」に由来します。残念ながらスミレは日本特産ではなく,その名が示すように大陸に分布の中心があり,そこの気候に適応した植物なのです。ゆえに,スミレにとって湿潤で森林が発達する日本の気候はあまり居心地がよろしくない。スミレの故郷は低温で乾燥した大陸です。そこは,過酷な環境ゆえ他の植物が繁茂することがありません。大地は常に陽光に満たされます。スミレは地面まで届く光を浴びて,存分にその生を謳歌するのです。だから日本でスミレが見られるのはヒトの生活の傍ら,路傍や芝生,アスファルトの裂け目,ブロック塀のすきま。乾燥も低温も怖くない。それこそわが本分。過酷な環境でこそ,スミレはその真価を発揮するのです。


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 少女は看護師養成学校に入り、常に主席であり続けました。満点に近い成績で国家試験を通り,一生の糧となる資格を得ました。良い勤め先を選び,やがて伴侶を得て,家族を持ちました。見事に,過酷な環境を生き抜いたのです。彼女はもちろん,自分がスミレの名を当てられていることなど知るよしもありません。ただひたすらに,持てる力を出し切ったのです。

 

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 こんな静かな夜は,昔出会ったあの幸薄い少女が,せめて今は静かな幸せに満ちて生きていてくれることを願います。雑踏のかたわらで,スミレがそっと花開いているように。

 

 

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