ザゼンソウです。近縁のミズバショウ同様,北辺の湿地に咲く花です。あずき色の部分は花びらと認識されそうですが,正しくは「仏炎苞」。中の丸いのが花の集まり「花序」。サトイモ科独特の不思議な構造です。
寒冷な気候を好むのですが,温暖な茨城県の平地でも水戸市や東海村に自生地があります。でもそれ以外に,多分地元の人以外は私しか知らない,秘密の産地があるんです。秘密だよ。
ザゼンソウの花期は本来の北国では3~4月。花粉を虫に運んでもらう虫媒花です。まだ寒い季節ですが,ザゼンソウは巧みに虫を呼びよせます。なんと発熱するんです。開花の時を見計らい,ミトコンドリアを総動員して,仏炎苞の内部を20℃以上にするとか。寒がりの虫たちは喜んで仏炎苞の中を歩き回り,受粉させます。見事な作戦です。しかし茨城ではこれがうまく行きません。雪のない茨城ではザゼンソウは1月に咲いてしまうんです。真冬です。朝は氷点下です。たぶん虫なんかいません。やはりここは,ザゼンソウの本来の生息地ではないのです。
茨城では受粉→有性生殖が成立しづらいという弱点がある上に,私の秘密のザゼンソウ産地には別の問題があります。……実は近年,ザゼンソウの花付きが良くありません。花が咲かない。最後に開花を確認したのは2010年のことでした。原因は日照ではないかと思っています。そこは台地の斜面から地下水が湧出する湿地帯。北国の産地の写真を見ると,ザゼンソウは日当たりを好むようです。ここもかつては大量の湧水のおかげで他の植物が繁茂することは無かったろうと考えられます。ところが台地の上が開発され,雨水が下水に流れるようになると湧水が減りました。湿地には樹木が生えるようになり,日陰になったザゼンソウは花を準備するほどの十分な光合成ができなくなったのでしょう。上述のようにザゼンソウの開花には大量のエネルギーが必要なのでなおさらです。
公園に植栽されたもの。本当はこれくらい花付きがいいんです。
で,毎年確認に行きます。今年も期待せずに行ってみました。
年々やぶがひどくなります。水が地表を流れるあたりを歩き回るのですが花は見つからない。先日の雪も残り,低温注意報も発令中。寒いよー。ハナ垂れてきたよー。
次々見つけるのはやはり葉芽。花芽があればもう開いているはずです。
……と思っていたら
あったー! 久しぶり。
落ち葉に埋もれていました。落葉樹の茂るこのフィールドのザゼンソウは気を付けないと踏んづけてしまいます。
もう一株。そうかそうか,何とか花を咲かせたか。ああよかった。
美しいとは言い難い花ですが,独特の魅力があります。人間にもそういう人っていますよね?
このあたりのザゼンソウは氷期の遺存分布だといいます。最後のウルム(ヴュルム)氷期は7万年前から1万5千年前まで続きました。亜寒帯の植物が西日本にまであったこの時代に,ザゼンソウもまた南方へと分布を広げます。そして間氷期の温暖な気候になり,澄んだ冷涼な風に染む植物たちが北へと去っていったとき,取り残されたものがいたのです。冷たい湧き水を最後の拠り所として,巡りくる炎暑の夏を耐えること1万5千年! 7千年前の温暖期をも乗り越えて,生き続けたささやかな一族。
何年も何年も養分を蓄えてやっと咲かせた花です。せっかく咲かせたのに受粉する虫のいないアダ花でもあります。有性生殖ができないと,種は弱体化します。1万年続くここの部族にも終えんの時が来てしまうのでしょうか。