ナガハシスミレです。以前「茨城のスミレ - ジノ。」で奇天烈な横顔だけご紹介しましたが,実際は小柄な大人しい印象のスミレです。
そう,このビヨヨ~ンという距きょを除けば。
いったい何なんでしょう,この姿。何を目的に,このような形質が進化したのか。何の利点があるのか。…… 何てこと考えたって解答がある訳ではないので,今日はその不思議な分布について。
ナガハシスミレは,日本では日本海側の多雪地帯に産します。積雪が重要なファクターと思えるのですがそれも絶対ではない。というのも,雪の少ない茨城県にもまるで飛び地のように分布しているんです。隔離分布と言います。
さらに驚くべきは,ほぼ同じ姿のものが北米東岸にも分布しています。シベリア,アラスカという極寒の非生育地を間に挟んでの,超隔離分布。どちらが出発点か知りませんがその隔離距離,直線で実に1万キロ。もちろんスミレが大圏航路を飛んで行ったとは考え難く,地形沿いに分布を広げたとして,道のりはその数倍に達するかと。3万キロとか。そもそもベーリング海峡が地続きになったのは氷期の真っ最中で,スミレが渡れるわけないんですけど。
…… 実は,最近の研究で北米のものは他人の空似,まったく別種だということがわかってきました。なんだ,心配して損した。だとすると学名が変わる騒ぎなわけで,植物分類の世界も慌ただしいですね。「長い旅」というタイトル,ごめんなさいウソでした。
それでも茨城のナガハシスミレが隔離分布であることに変わりはありません。こういう現象を,生物学ではその種が茨城を目指して突き進んできたとは考えません。かつて広く分布していたものが取り残されたと説明します。むかし栄えた一族の生き残りというわけです。言われてみれば茨城のナガハシスミレは花も全体も小さくて,距も短めで大人しい。本場の雪国の同族がながーい距をあちこちの方向にやりたい放題に突き出しているのと比べると,やはりこちらは取り残された者なんだと妙に納得です。
かつて茨城にも,今の雪国のように冬寒く,多雪の時代がありました。ナガハシスミレはそんな気候の中で,茨城の平野にも大きな群落をつくって繁栄していました。やがて雪雲は去り,わずかな仲間が山の上に取り残されます。残された者たちは,一族が去った遠い北の空を臨む山の上で,かつての繁栄を懐かしむのです。
地球規模の気候的ダイナミズムに小さなスミレのストーリーを重ねてみました。スミレだけの話と思わないでください。われわれ人類だって,このあとどんなストーリーが待ち受けているのやら。
その昔,右曲がりのダンディーというのがいてだな。
アップで見ると意外に美人さんなんです。奇抜な被り物も良し悪しですね。
そういえば。
ある時「ナガハシスミレ」で検索していたら,東京のほうの人たちで「次の日曜に茨城のナガハシスミレを見に行く」という告知を見つけました。そこに書かれた場所はあまりナガハシのいない場所だったのですが,ちょうど私たちのグループの自然観察会が同日同所で開催予定で,どんな人たちがわざわざ茨城くんだりまで来るのか興味津々でした。…… 現れたのはお洒落なアウトドアウエアに身を包んだ若い人たち。頭にトランシーバーのヘッドセットを装着して「え?見つけた?了解すぐ行く」なんてやってました。明らかに同類である私たちと交錯しながら,最後まで私たちを無視していました。地元民から情報を得るのは定石のはず…… いや,これも余計なお節介。人それぞれでいいんですよね。