深夜アニメのダーリン・イン・ザ・フランキス,略してダリフラ。さあどうなると書いたけど,実はどうなってもいい。おっさんが大学漫研会長の顔に戻って書き散らしますよアニメ評。
以前の記事(今期の深夜アニメから:ダリフラとキリング・バイツ - ジノ。)で二期やってもいいレベルの作品だと書きましたが,不勉強でした。最初から2クールの予定だったのね。主人公たちがどうなっても構わんし,謎解きもどうでもいいです。とにかく面白い。ダルくない。ここ3回戦闘シーンがないのがちと寂しいけどきちんと話が進んでいる。このレベルで最終回まで突っ走ってくれれば文句はありません。DVDボックスだって買っちゃうぞ。
20世紀最後のオタク玉・エヴァンゲリオンとの類似でも語られるこの作品ですが,むしろそれは一つの必然でしょう。エヴァの衝撃はモノづくりをする人々に大きな爪痕を残し,その文脈でオレならこうすると考える人が次々と現れて,結果として日本の創作は大きく未来に進みました。その流れの先にこのダリフラがあるのなら多少の類似は挑戦の証しと考えられます。そしてその分家たちの中から本家を超える作品が現れることがなかったように,ダリフラもエヴァを超える作品ではないと思います。しかし出色の出来であることは確か。声を含めた魅力的なキャラクター,よく練られたストーリーと脚本,作品のイメージを損なわない音楽(これ大事),などなど。ゼロツーとイチゴちゃん,ダブルヒロインという位置付けは珍しくもないけど,イチゴちゃんの泣き顔シーンなんていまだに語り草ですね。ゴローをはじめとするメインキャストもかなり時間をかけて造形されているのがわかります。ダリフラ,すでに名作の域かと。もちろん前述のように,最終回でやらかさなければですが。
ツッこみどころはありますよ,そりゃ。
人物相関関係がぐちゃぐちゃ,とか。
ゼロツーがフツーの可愛いヒロインになってしまった,とか。
2回も総集編入れやがって,とか。
もちろん些末なことです。作品の瑕疵かしになるようなことではありません。
それにしても。
一つのアニメ作品の制作に,どれほどの人が関わるものでしょうか。原作,監督,構成,演出,声優,キャラデザイン,メカデザイン,各種監修,美術,色彩,原画と動画,CGとその制作,撮影,編集,音楽,主題歌のアーティストとそのスタッフ,そして何人もの立場の違うプロデューサー。総計数百人,いやもっと? 徹底した分業の組まれた巨大チームによる一大事業。
このようなプロジェクトの成功に必要なもの。まずリーダー。それからゆるぎないコンセプト。全員に普遍化された目的。そのための時間。特にリーダーは絶対に必要です。たぶんダリフラの製作陣には,優れたリーダーが存在するのでしょう。それはお前らオレに付いてこいなんてタイプでは絶対になく,ただ時間をかけて語り,説得し,周りのスタッフもこの人のためにやってやろうと思わせるような,人を動かせる人。こういう資質のことを,本当の意味で「将器」といいます。TVアニメが個人に作れるものでない以上,将器あるリーダーとそれに従うスタッフの合力があって,はじめて名作は生まれます。筋を曲げない。目先の雑音に耳を貸さない。人を信じる。よい作品を作る。そういう共通認識が出来ているからこそ,例えば後期になってOPが変わっても同じ主題歌を使うという当たり前のことができたのでしょう。
ダリフラの製作陣を応援します。このチームがある限り,これからも。
あと5回かあ。いいトシしてアニメが楽しみなんてなあ。半世紀を生きたおっさんにそんな自嘲気味の感慨を抱かせる,そんなダリフラ。