ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

茨城の米はコシヒカリ

 

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 一面の田んぼの中にぽつんと自動車修理工場があります。水戸市の東端,かつて常澄村つねずみむらと呼ばれた穀倉地帯。涸沼ひぬまがわを渡ればもうそこは大洗町という立地。家族経営の小さな車屋さんです。


 愛車・ジュークターボのオイルがしばらく放ったままなのを思い出して,30年お世話になっているこの車屋さんに行ってきました。昔この辺りに住まっていた時に,ちょっとした修理に寄って先代に親切にしてもらって以来のご縁です。私はこういう縁を大切にしたい性分なので。


 オイルとエレメント交換で30分ほど。私はいつも,カメラ片手にそこら辺をほっつき歩いて時間をつぶします。退屈しません(とても遠くがみえた日 - ジノ。 参照)。今日は田んぼを歩きましょう。

 

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 庭にヒルザキツキミソウ。派手過ぎず,地味過ぎず。自分の美の演出を心得ているような花だと思ってます。あ,好きってことですよ。

 

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 田んぼの隅に,えらく立派なオモダカが生えていました。お百姓さんがわざと残している風にも見えます。……手に負えない田んぼの雑草ではあるのですが,実は私の家の家紋です。カタバミとかオモダカとか,雑草のくせに貴ばれて家紋のモチーフになっている者たちがいるのが面白いですね。きっとその生命力や繁殖力に子孫繁栄や一族の興隆を託されたのでしょう。ちなみにこれを品種改良して食用部分を大きくしたのが正月料理に使うクワイ。これまためでたい食材です。

 

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 田んぼの風景。見よ!これすべてコシヒカリ(たぶん)。茨城のコメは基本,コシヒカリです。どんな食堂でもどんな宿屋でもどんなコンビニのおにぎりでも,すべてコシヒカリ。本当に,どこで食べても美味しいんです。

 

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 おお,イネの花。お米の元。そうか今が開花期か。台風が来なくて良かった。

 

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 厳密には,開いて咲いて閉じた直後というところでしょうか。お米の花は晴れた日の午前中,2時間ほどしか開きません。いわゆるモミが開いてその間に受粉し,やがておしべを外に残して閉じます。後はゆっくりと,美味なる胚乳を蓄えていきます。収穫まで一か月と少し。

 

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 まだ開いてるのがありました。めしベが見えてます。

 

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 一面に稲が育つ風景。日本人の原風景。東京育ちの夏目漱石はこれが毎日食べているお米の栽培風景と知らず,友人の正岡子規を呆れさせたと言います。私もそんな日本人はイヤだな。昔何かのバラエティー番組で都会育ちらしい小娘タレントが列車で地方に行くロケがあって,とある無人駅で一面の水田風景を見て「まるで日本じゃないみたい~」とか叫んでいました。バカだなあ,と。こんなのがそのまま大人になって,原発も米軍基地も地方にあって当たり前,とか考えるのでしょうね。私は自分が地方に生まれ育ったことを神に感謝しています。

 

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 今年も豊作でしょう。早くおいしい新米が食べたいなあ。

 

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 田んぼの向こうに海門橋。那珂川涸沼川の河口にかかる大橋です。右が大洗町,左が旧那珂湊市街。


 母が京都旅行をした時のこと。南禅寺のそばの有名な湯葉の店に寄ったそうです。テレビや雑誌で紹介されるような店,と言っても私には10円の価値もないのですが,もちろん母は喜び勇んで入店しました。で,確かに湯葉は美味しかったのですが,一緒に出たご飯がとてつもなく不味かったそうです,母の京都幻想を吹っ飛ばすほどに。ナイスだ,湯葉の店。


 いや,決してケンカを売る気はないのですが,私自身も西国を旅して痛感するのは米と水の味です。清明な水とコシヒカリ茨城県人の幸せ。嘘だと思うならどうぞ茨城にお越しください。そしてそこらの汚い…もとい地元民が利用するような食堂で定食の一つも頼んでみてください,ご飯の味にびっくりするから。日本海側の多雪地帯の甘い水とササニシキも素晴らしいですが,私はやはり自分の土地の水と米を美味しく感じます。


 女の子と外食をして,ごはん粒を残さず食べたら貧乏臭いと言われた,その女の子はごはんを半分残してたという話を聞いたことがあります。お米の一粒一粒には神さまが宿ると昔の人は諭しました。白米を銀シャリと呼んで有難がる人がいたのはつい一世代前のこと。日本人の美徳は主食のお米にも発揮されていました。今の豊かさがほんの一時的な現象だと考える私には,いろいろと不安な昨今です。

 

 

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