ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

古代のカケラを拾った日々

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 中学時代の私が見たら狂喜乱舞,あるいは卒倒していたかもしれない事案です。

 


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 那珂川を見下ろす台地の端,ここは飛鳥時代から平安時代にかけて「那珂の国」の中心でした。郡の役所(郡衙ぐんが)があって税のコメを収める蔵(正倉院)があり,金堂・塔・講堂・門を備えた大寺がありました。ちなみに今の茨城にそんな構えの古寺はありません。


 その頃ったらアンタ,日本の総人口が600万人くらいだった時代ですよ。ましてやこの辺りは都から遠い僻地だった東国のさらにその外れ。未開の番外地と思いきや,ちゃんと行政が敷かれ人々が暮らしていたという驚き。日本ってすごいなあ。


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 役所も寺も,やがて歴史のかなたに去って行きました。たぶん地元の豪族が台頭したのでしょう。この辺りで大きな勢力を誇った「一盛長者いちもりちょうじゃ」の伝説なんてのがあります。いつしか役所も寺も焼け落ち,人々から忘れ去られ,原野に,畑に,そして今は住宅地になりつつあります。都市化が急速に進む中で,水戸市が精力的に発掘調査をしています。上の現場写真は,その郡衙と寺院の発掘現場で市民向けの説明会がされたあとでしょう。お話聞きたかったなあ。


 実はその都市化の一端で,遺跡のすぐ隣に大きな道路が作られました。その道を車で走っていて,この光景を目にしたわけです。

 

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 これは土器ではなく,郡衙や寺院の瓦です。周囲には縄文時代の遺跡もあって,縄文土器や住居跡,死者を葬った甕棺墓かめかんぼも見つかっています。昔から住みよい土地だったのでしょう。


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 小学校後半から中学時代,友人の影響で考古学というか土器拾いにハマりました。畑を歩けばいくらでも縄文土器のかけらが拾えました。近所の大きな前方後円墳,那珂の国造の墓所と伝えられてますが,その古墳を歩けば縄文土器よりずっと黄色く薄い円筒埴輪のかけらも拾えたし,古瓦も拾いました。遠くに遠征したり自転車でコケて怪我したり,それなりに無駄な苦労をしました。もちろんみな良い思い出ですよ。


 最初に卒倒とか書いたけど,実際どうなんだろう。休日のたびに自転車を飛ばし,うろうろ歩き,古代のかけらを拾い集めた日々。あの時代の私がこの古瓦の山を目にしたら,どんな反応をしただろう。長い時を経て,生きるために現実にまみれ,あの情熱が失われた今では想像がつかないのです。

 

 

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