皆さんこんにちは。久慈川メノウ教教祖,ジノ。です笑。
いや冗談抜きで,「久慈川 メノウ」で検索すると私のが一番に表示されるのにびっくりしています。大変なことになってしまった。
以前に場所を具体的にご案内してしまったことは,それで楽しめたというコメントもいただけたので削除しませんが,少し反省してます。あんなに人がおいでになるとは思わなかった。ネットに場所を晒すとは,かくも大きな反応を呼び込むものなのかと勉強させていただきました。以後は少し控えようかと思います。
まあそれでも…… 自然の中を歩くのが好き。美しいものが好き。不思議なものが好き。そんな価値観を共有できる人がこんなにいることに勇気付けられます。
メノウ拾いは楽しいものです。それが自分の見つけたポイントならなおさらです。場所探しのヒントはずいぶん書いてきましたので,どうぞご自分であなたを待つメノウの宮殿を見つけてやって下さいませ。山中の露頭を探さずとも久慈川メノウ,まだまだ拾えるはずです。
と,ゆーわけでー
ここらで教祖の意地を見せなくては。少し下流の河原に来てみました。
あまり人の歩いた形跡のない河原です。
あ,大きな珪化木,と思いながら近づいたら
珪化木の上に珪化木が乗っていた。わー不思議だなー自然ってすごいなー。
ンなわけねえだろう。
私より前に来た,ものごとをよくわかっている方が置いていったものでしょう。ちゃんと先人がいた。
太陽の下,新しいものは何ひとつない。昔のひとはよく言ったものです。いやこれは慢心でした。
それでも歩くと次々と。
久慈川メノウ教教義その一。見つけたら拾え。他人の捨てたものでも拾え。プライドなんて腹の足しにならんものこそ捨ててしまえ。
とはいえこちらの珪化木,拾ったらテントウムシ(が蛹になりかけのやつ)が付いてました。
久慈川メノウ教教義その二。地元(鳥獣草木含む)に迷惑かけない。…… そっと戻しておきました。
おお,以前にもご紹介した「高師小僧」,植物の根に集積した褐鉄鉱です。根の通っていた穴が残っていて,前のよりわかりやすい。ほんと,久慈川はいろいろなものが拾えます。
下流なので大きなものはなかったけど,火打石レベルなら。
サギに騒がれたところで退散しました。
時はGW10連休。クサフジが咲く頃のお話です。
江戸市民が使っていた火打石は「水戸火打」といって,久慈川流域で採れた玉髄(白いメノウ)だったそうです。1300年前の「常陸国風土記」にすら記述のある常陸のメノウ。縄文の昔には石器にも使われていたメノウ。古墳からは王の首に光っていたであろう赤メノウ製の勾玉が出土します。はるか昔からご先祖たちが見つめ利用した半透明の美しい輝きは,今も私たちを魅了してやみません。