水戸に住んでいると,同じ地続きのどこかは雪に閉ざされているという事実を忘れがちになります。冬です。今日も良く晴れました。
冬はご存知のように低温で,しかも雪のないここ常陸の国は極端に乾燥するので生物の活動は不活発です。
ところが!この季節にもこんなに青々と葉を広げている植物があるんです。
図鑑によると北海道から沖縄まで分布しているそうなので,どなたにも花のイメージを思い描いていただけると思います。中国原産の史前帰化植物で、日本人が物心付いたときにはもう身近にありました。「曼殊沙華」をはじめ千もの別名を持つといわれる,天上に咲く真紅の放射花。美しくも禍々しいその赤は称賛と畏怖の対象となりました。全草有毒で,モグラ・ネズミよけに田んぼのあぜに植えられ,野犬から土葬の遺体を守るために墓地に植えられ,飢饉のときに毒抜きして食べるために路傍に植えられ……。つくづくヒトと関わる植物です。三倍体植物(3n=33)なので種子ができません。血のようなな赤,毒,墓地,子ができない。…… そりゃ人に嫌われます。だから別名も手腐れ花とか地獄花とか,良くないものが多い。
茨城ではちょうど秋のお彼岸のころに,何もない草地から突然にょきにょきとつぼみが現れます。群生して盛大に開花すると,実を結ばぬまま枯れ溶けます。時期はズレるとも,日本全国でそのような光景が見られることでしょう。
あれ、光合成は? 花を咲かすだけ?「生活」はないの? ドカンとお祭りをする「ハレ」の日ばかりで、日々の地道な「ケ」の生活はないの?
もちろんあるんです。ただヒガンバナの場合ちょっと変わっています。
秋にヒガンバナの咲いていた場所を覚えてますか? 秋から早春にかけてその場所に行っていただければわかります。こんなことになっているはずです。
そう、ヒガンバナは花が終わってから細長い葉をにょきにょきと伸ばすんです。そして他の植物が枯れ果てた草原で、冬の間だけ陽光を独り占めにして光合成を行い、次の開花のための栄養分を蓄える。そして他の植物が葉を広げ始める春に、自分は葉を枯らして、また秋の彼岸まで永い眠りにつきます。もともとが中国大陸の、樹林が発達せず積雪も少ない土地で生まれた植物なので成り立つ生活ですが、日本でも人間の作り出した草原環境に適応して繁栄しています。もっとも、雪国では根雪に覆われてしまうので困っているかもしれません。
ちなみにこういう生活史を持つ草花のことを「冬植物」といいます。上記のように日本では木々が冬でも陽をさえぎってしまい、あるいは大地が雪で閉ざされてしまうので在来種では例が少ないのですが、ヒガンバナは田んぼやら土手やらの人工環境で冬を満喫しています。冬にだけ活動。私の読者の皆さん、どこかで聞いたような話だと思いませんか?
そう、以前の記事にあるクロナガアリがこんな生活でした(右上の「虫なる日々」カテゴリーをご参照ください)。ライバルたちが眠りにつき、捕食者も現れない冬。最大の問題は低温であることですが、体内の酵素を調整して低温でも体が動くようにすれば三千世界はわが手に。時間の止まった街中でやりたい放題やるようなものです。なによりこの世にただひとり、誰とも争わずにマイペースで生きていける。合理的で究極なるマイペース、絶対なる平和。争いの消えた世界で、ヒガンバナは何を思索しているのでしょうか。案外、きたる秋の祝祭の日を夢見ていたりして。
東日本大震災でインフラが失われていたころ,人けのなくなった街を自転車で走り回りました。いえ,人々は家の中にいただけなのですが。
人工音が途絶えて風だけが吹き抜ける空,ガソリン切れで道端に放置された車。まるで移民宇宙船に自分一人が乗れなかったような,そんな映画のワンシーンに紛れ込んだような錯覚を覚えました。自分がこの世界を手に入れたような気にもなりました。まあその程度にしか考えが及ばない私です。
他の生物が絶えた冬にひとり葉を広げるヒガンバナ。その本心を理解するには、私はもう少し聡明にならねばなりません。