9月のことですが,2つの美術展をハシゴしました。
1つ目は茨城県近代美術館の「名作のつくりかた」展。この美術館は日本画とか洋画とか彫刻とかの古典的な美術作品の収集と展示をしていて,近代の茨城県出身作家の作品が充実しています。小川芋銭とか小堀進とか横山大観とか私の好きな作家の絵が常設展示してあって,ふらーっと訪れてもなにがしかは鑑賞できるので好きな場所です。駐車場代は全額現金で返してくれるし。
写真OKだったこの絵もよく見知ったものでしたが,下絵では構図が違っていたんですね。これ以外にも,とてつもない手順で制作される日本画の下絵の数々も興味深いものでした。
ここから見る千波湖の風景も好きです。
続いて行ったのが水戸芸術館。音楽,演劇,美術の総合施設です。このタワーがシンボルなのはご存じでしょうか。昔テレビによく出ていた自称フェミニストのオバさんが,男はすぐに塔を立てたがるということを下品にわめいていましたが,街にシンボルタワーは必要です。東京,大阪,京都,名古屋,札幌。みな誰もが知ってる塔がありますよね。これを建てた当時の市長さん,設計した建築家さん,よくわかっておいででした。
地下有料駐車場がらーん。企画展開催中なのですが,いやな予感がします。
企画展の名は「道草展 ― 未知とともに歩む」。入場料は900円。さてこれが高いか安いか。ここは現代美術に特化した美術館です。
入口のこれはアニメーション。部分部分のストーリーが無限にループする作品で,こういうのが私は大好きです。まるで子供のようにいつもいつまでも魅入ってしまって監視員さんに怪しまれます。聞けばこれはこの入り口だけの作品だそうなので,心ゆくまで見ておきました。あとで知ったのですが,芸術館のサイトでご覧になれます。
入り口がこれだったので大いに期待して入場したのですが…… あれ?
壁に貼り付けられたものばかり。他のお客さんもほとんどいません。
写真。ただの写真。現代美術どこ行った。
インタビューを延々流されてもなあ。
唯一現代美術らしい仕掛けがあったのがこれ。真っ暗い部屋で渡されたブラックライトを壁に当てると字が浮き出る。でもつまらない文言ばかり。
えええええっ これだけ? これだけで900円? しかも駐車場代別途です。
開館30周年企画展と銘打って,これだけお金を掛けない展覧会も珍しい。だいたい,現代美術ってのは見る人を驚かせてこそでしょう。こんなショボい展示で,誰の心が動くというのでしょう。…… 本当に文化予算が削られているんだろうなあという感想だけが残りました。開館時にバブルだったとはいえ,市の予算の1%を毎年つぎ込むという触れ込みだったのになあ。
水戸芸術館。当時の水戸市長の発案で1990年開館。設計は建築家磯崎新。
開館直後,市長が春風亭小朝が司会する番組に出演しました。地方文化の発信拠点にすることを大いにアピールしたかったのでしょう。ところが番組は東北の小さな町が建てた音楽堂「バッハホール」が盆踊りに使われている例を引き合いに出し,どうせ箱モノの無駄遣いなんでしょと切り捨ててました。小朝が「ホントに盆踊りなんかに使わないでくださいねー」なんて小馬鹿にしたように言うのを市長さんはどう聞いたでしょうか。以来,私は小朝が大嫌いになりました。
そんな揶揄もあった芸術館ですが,美術方面に関しては意欲的な展覧会が次々と開催されて全国的な評判を呼びました。私がタイトルまで憶えているのは
「妄想砦のヤノベケンジ」展 1992年
当時まだ売り出し中の若き現代美術家・ヤノベケンジが会場に滞在して作品を制作するという斬新かつ大迫力の展覧会でした。代表作「タンキング・マシーン」の衝撃はいまだに私のゴーストにインスピレーションを与え続けています。
「まほちゃんち」展 2004年
写真家/作家の島尾伸三とその家族が使ってきた家財道具から雑貨から,かつて家の中に存在したあらゆるモノを延々と並べた展覧会。膨大な日用品の山を前にあんぐりと口を開ける人続出。これぞ現代美術。
「海洋堂の軌跡」展 2005年
食玩でビルを建てた海洋堂の創業から現在までの全仕事を紹介するいわば回顧展。入口に掲げられた創業者と跡取り息子の正装して大企業の社長みたいなポーズを取った写真,あれはひょっとしたらくすぐりだったのかも。
この場所で見た個々の衝撃的な作品については枚挙のいとまもありません。私を現代美術に目覚めさせた美術館です。ああそれが。
アーカイブを見ると,その後急速に市民参加のイベントが増え大規模な展覧会が無くなっていったようにお見受けします。いや市の予算を確認したわけじゃないけど,やっぱりおカネなんだろうなと勝手に思ってます。
それと心配なのが,肝心の現代美術家の皆さんが今どうしているのだろうかと。ちゃんとゴハン食べてるかなあ。おそらく全国的に予算削減のやり玉にあがるのが現代美術でしょう。発表の場どころか生活の基盤すら失っているのでは。私が楽しみにしていた「茨城県北芸術祭」の第2回は県知事さんの鶴の一声で中止になりました。水戸一高から東大法学部を経て通産官僚,退官後はマイクロソフトの役員というどこからツっ込んでいいのかわからない経歴の知事さんには現代美術なんか不要のものだろうし,たぶんそれは正しい判断です。
古代,農業生産が効率化され生産物に余剰が出来た時,人々はシャーマンを作りました。さらに余裕が生まれると芸術家を作りました。シャーマンと芸術家はヒトの生活に無くてはなりません。どちらも人の心を支え,新たな価値観を生み出すものです。喜びと驚きという手段で。
ああ,また現代美術で驚きたい。私のような者にはつらい時代です。