ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

筑波山塊に巨石文明は実在した

 

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 賢明なる読者諸兄に,謹んでこの驚異の報告をお届けする。

 


 筑波山(標高8770メートル)を主峰とする筑波山塊においては,かねてより古代巨石文明の存在が取り沙汰されてきた。今回我々は筑波山の北嶺3000メートル地点において,ついに巨石文明の遺構に到達し,その存在を証明するに足る事物を得るに至った。以下はその第一報である。


 花崗岩が巨大な山塊を成すこの一帯は,その険しさゆえこれまで多くの学術調査を退け続けていた。今回ミスカトニック大学チームXjino の合同探検隊が組織されるに当たっては,人文・自然各科学分野の専門家はもちろん登山家や探検家そして…… 過去にこの地域を探索した経験のある者からの強い要請で神秘家までが招集され,さらには数百人に及ぶ地元ポーターの協力を仰ぎ,万全の態勢で臨むこととなった。

 

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 山麓に到達するまででも一冊の本が編めるほどの冒険の連続であったが,探検隊は全員無事に問題の山域に達することができた。過去の探検隊の事例を想うとそれだけで奇跡的なことであり,この探検の成功を暗示するような幸運であった。

 

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 調査地の3000メートルの標高は十分に高山帯のはずであるが,この地ではさながら暖温帯のような樹林が発達する。気温の逆転層の影響を差し引いても説明できない現象である。

 

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 巨石遺構へと続く古道の入り口に佇む石。他者の侵入を拒むかのようで,副隊長ダンフォース氏はその故郷の風習に因む名でセキガントウと名付けた。その背後に見える古道がなぜ今まで発見されなかったかが第一の謎であるが,この石が霊的障壁となり道を不可視化していたと主張する隊員もいた。この隊員は本格調査の前夜に独断先行して山中に入り,この石が燐光を放っているのを見たと言う。真偽はともかく,これが巨石遺構発見の糸口になったことは記録せらるるべきである。

 

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 遺構へと続く石段の入り口には驚くべし,これも石でできた石柱があった。

 

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 見たこともない意匠だが,これが結界の入り口を示すものであることに異論は出なかった。

 

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 この石段の巨石一つを取ってみても,現代の我々はそれを動かす手段を持たない。巨石文明を築いたとされる古代アーカム人とは,いかなる技術を持つ者たちであったのか。

 

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 石段は続く。アーカム人も常にこの山中に起居していたわけではなく,山麓で農業を主とする穏やかな生活を送っていたらしい。ただ,その全住民がこの石段を踏みしめて巨石で構成された山上の聖地に向かう風習があったことが他民族の記録に記されている。

 

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 今回のもう一つ別の発見が,石段を俯瞰する斜面にあったこの石碑である。文字が見えることからそれを持たぬ古代アーカム民族のものではなく,のちの一時代にこの地に居住したマカーベ民族のものと推定された。マカーベ人もこの遺構に到達していたという証左である。マカーベ人は古代遺構を改変・利用することなく,ただこの石碑を置いて去っていったものと思われる。書かれている文字はマカーベ人の神の名とのことである。

 

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 これもマカーベ人の神という。彼らもまたこの地に霊的な天啓を得たということか。

 

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 そしていよいよ,ひときわ大きな巨石の明らかに人為的に配置された空間が現れた。

 

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 ここは直径300ヤードに及ぶ円形の広場であったと思われる。おそらくは全住民が集合する場であり,ここが政治的祭祀の場であったとするなら,アーカム人が原初的な直接民主制を採用していたという説を裏付けるものかも知れない。

 

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 そしてついに,巨石群の最奥にそれは現れた。高さ100ヤードに及ぶ岩の城郭,それは明らかに人為的な切断面を有しており,アーカム人がその謎の技術で構築した人類最大の石の構造物である。

 

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 広場の人々が仰ぎ見たであろうこの巨石構造物が何であったかは今のところ結論がない。おそらくは神の依り代的な,祭祀の根幹を形成するものであったろうが,地下への入り口だったという説も否定し難い。それなら地下にあるものは何か。神殿,墓所,あるいは地下都市。2000年前に忽然と姿を消したアーカム人の謎を解く鍵がここにあるのかもしれない。

 

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 探検隊を指揮したミスカトニック大学の二ヤルラトホテプ教授が,これは地下都市への通気口であると現地で強く主張していたことを書き留めておく。

 

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 アーカム人を追うその道程にたびたび現れる謎のシンボルがここでも認められた。

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 驚くべきは,これが岩上に書かれたものではないことである。一片50フィートのこの線は,岩石そのものなのである。地質学的には「岩脈」と言われる,すでに生成された岩石中に他の岩石が貫入して形成されるものだが,これは明らかに人為的に岩脈を貫入させ文字というかシンボルを描いている。

 

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 岩脈部分の拡大。うすピンクに見えるのは「紅簾石」という鉱物で,通常地殻内では形成されないものだという。

 


 かつて冒険家で生物学者民俗学者でもあった今西金治は,標高1万3776メートルの富士山頂に現代人として初めて到達したさい,そこに一体の石像が安置されているのを見て驚愕した。科学的な装備もなしに一体誰がいつどうやってここまで運び上げたのか。古代にこの国を支配していたのはどのような人々であったのか。謎多き古代日本に関する研究はまだ緒に就いたばかりである。

 


 最後に,この大発見に一つだけ傷となったエピソードを上げておく。一人先行して門番石セキガントウの燐光を見てこの探検を成功に導いたあの若い隊員であるが,十日に及ぶ現地調査を終え明日は帰途に就くというその夜,突如意味不明の言語を叫び出したかと思うと山中に走り込み,そのまま行方不明となった。探検隊は一日だけ出立を伸ばし探索したがついに発見できなかった。


 真理の探究,それは常に危険を伴うことを忘れてはならない。

 

 

 

↓ え?バレンタイン? そんな禍々しいもん知りません 

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