ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

最後のバフンウニ

 

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 1月中旬の金曜の晩,とつぜん,ウニの実習をやるのだぁぁという天啓が閃きました。潮を調べるとちょうど次の火曜が満月の大潮です。今から水槽や人工海水の準備をしたり漁協の許可をもらったりしてちょうどの頃合いになります。なるほどこれが天啓か。やらねば。


 ご説明いたします。若い人たちに体験させるべき実習として,ウニの受精という字面だけだとなかなか気色のいい演目があるのです。具体的には海岸でバフンウニを採ってきて採卵・採精し,顕微鏡下で受精させて受精膜が形成されるのを見て,さらにその受精卵が細胞分裂を繰り返し,微小プランクトンの「胚」に変化していくのを観察する,そんな実習です。ウニの初期の胚は人間そっくり。つまりウニを見つつヒトを想う,そんな実習でもあるのです。ここ数年サボってました。いまを逃せば二度と来ない,私の生物屋人生の最後の機会になります。


 すべての準備を整えて,火曜の夜9時,氷点下の北風が吹く中,黒づくめの男がひとり磯に立っておりました。怪しいことこの上ない。満月が冴え冴えと岩場を照らし,波音が近く遠くあたりに満ち満ちています。不気味と言えば不気味な夜の磯。そういや「牛鬼」とか「濡れ女」とか,磯に出る妖怪が水木しげる先生の絵にあったなあ。

 

 え? この寒いのになんで夜の海かって? それはバフンウニの産卵期が冬だから。バフンウニは磯の石の下に隠れているから。冬は夜に潮が引くから。満月の夜は潮が大きく引く大潮だから。…… そしてこの晩,よく肥えたバフンウニを二十匹と,同じ棘皮きょくひ動物のナマコとクモヒトデを教材として採って深夜の職場に戻り,水槽に放して明日に備えます。

 

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 翌水曜から,すぐに実習を始めることができました。金曜まで続けて胚の発生を観察し,金曜の午後には全て片付け,残った生き物たちは海に還しました。我ながらいい手際で,長年培った経験はムダではありません。初めて経験する若い人が楽しそうに取り組むのをバックベアードのようにニコニコ見守っていました。ああ,やってよかったなあ。実習中の写真はありません。私自身が楽しくて,記録に残そうとか記事にしようとかの発想が出ませんでした。そういう欲とか打算とか,苦労の代価として何かを得よう,ひと稼ぎしよう,そういうベクトルとはまるで違うものに動かされていたような気がします。強いて言うと,ただ誰かに何かを残そうとしたのかも知れません。

 

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 受精卵をビーカー一個分だけ残していて,すべてが終わった後でようやく写真を撮りました。これがウニの赤ちゃん,プルテウス幼生。

 

 

 

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 実習の片付けは済みましたが,職場の私物の片づけが終わりません。30年分のゴミが膨大です。生物はみな実体を持っているので,私のようなフィールド系生物屋の資料や記録もクジラの胃袋なみにカオス,かつ大変なかさになります。しかもそれぞれに思い出が憑いて回るのだから始末が悪い。例えばこのツマベニチョウをオスメス揃えるのに沖縄の某観光施設で30分待ち伏せして,とうとう捕虫網に捕らえた瞬間の興奮や息遣いは,時間も空間も遠く隔たったいまここで,標本を持つその手の内に容易に再現できるのです。ボダイジュの実を拾うためにお寺のやぶを這いまわって怪しまれたこととか。つくばの森林総研の庭でドイツトウヒの大きな松ぼっくりを頂いた時の吹き抜ける風の匂いとか。標本一つ一つに沁みついた思い出の数々,それが生物屋の30年。ああ,長い長い夢を見ていたようです。

 

 

 

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 今回のウニ実習,実は日曜日に下見に行っております。その時海岸で拾ったのがこの黒メノウ。層状の構造の上下にびっしりと,そこにあった何かの結晶の印象が刻印されています。なかなかに個性的,これをこの最後のウニ実習のよすがに残そうと思います。同じようにこの実習が,参加してくれた誰かの心に残ってくれたなら言うことはありません。

 

 

 

 

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