3回目の接種を終えました。たぶん地域の同年代一般人の先陣を切ったと思います。人の好意で病院関係者に混じって打ってもらえました。科学を信じるナイスガイのジノさんはワクチンを躊躇しないのだ。ちなみに尾身会長と同じ笑 ファイザー → ファイザー → モデルナ というパターンで、一番抗体が増加する組合せです。だからどうした。
さて。一日休暇を取ったのだけど、注射は一瞬で終わってしまった。副反応は明日だろうし、このあとは何しよう。
ということでやって来ました、水戸市東部、大洗街道にある「大串貝塚ふれあい公園」。ここの事務所は水戸市の埋蔵文化財センターも兼ねていて、いま収蔵品の企画展をやっています。
こんなの。
こんな東国ですが、水戸は旧石器時代から縄文、弥生、古墳の各時代の遺跡がたくさんあるんです。昔から住みやすいとこだったらしい。そして私は中学生の頃、土器拾いに熱中した時期が…… 以前の記事のリンク貼っときますね。ああ、本当にはるか昔のことだなあ。今でも遺跡とか土器とか聞くとアツくなります。
ここ大串貝塚は、常陸国風土記にも記載のある遺跡です。風土記の書かれた奈良時代には、ここに貝殻が堆積している理由などすでに忘れられていました。海から5キロも離れているのになぜ貝殻があるのか。そこで土地の人々は、巨大な人ダイダラボウがここに座り、手を海まで伸ばして貝を獲って食い、貝殻を足元に放り捨てていたという伝説を創造しました。実は縄文海進と呼ばれる温暖期にはここが海岸線で、縄文人が目の前の海で獲れた貝を食っては捨てていただけのお話です。
入り口には縄文人の貫頭衣の現代人によるアレンジ。縄文の渦巻き模様って好きだなあ。
展示室の門番は埴輪。展示品は旧石器時代から中世まで幅広い時代のものが並べられています。
まずは公園名の由来である貝塚の展示。貝はほとんどがカキとシジミ。ハマグリもあります。いま水田の広がるここは、6000年前は汽水の混じる穏やかな内湾でした。
展示品の最古のもの。旧石器時代、何と3万年前にはまだ土器を持たぬ人々が水戸に住んでました。よく見つけたなあ、そんな遺跡。
で、これはメノウ製の石器。久慈川メノウです。
そして縄文土器。萌えるなあ。このナワ目模様、渦巻き模様に眠っていた血がたぎります。
縄文の人々の主食のひとつ、堅果(どんぐり)類。
土偶や人面装飾。縄文を語るに欠かせません。
紡績道具。古代の生活で信じられないのは、木綿や羊毛やヒートテックが無かったこと。よくそれで冬を暮らせたなあ。カラムシというのはかつて青麻あおそとも呼ばれたイラクサ科の植物。スカスカした麻のような雑な繊維しか取れません。
なぜか弥生時代の遺構は少ない。
古墳時代と言えば埴輪。水戸は畿内から遠く離れた僻地でしたが、市内には百メートルクラスの古墳があります。
いろいろ。もちろん畿内に近いほどこういうものは多く出土するのでしょうが、茨城県内にも面白い出土品があります。いずれ機会あればご紹介します。
これも古墳時代。市内1か所に横穴墳墓があって、出土したガラスのネックレス。
平安時代の古寺の瓦。以前の記事にあるものです。
他にお客さんがいなかったこともあって、たっぷり堪能させていただきました。またね、ハニー。
せっかく来たので野外も。竪穴式住居が再現されてます。え、珍しくもないって? そんな意地悪言わないでってば。それならこれはどうだ。
ダイダラボウ。
貝塚を作ったイケメン巨人。
…… は知っていたけれど、これは知らなかった。中に入れるんだ。展望台?
はいこんな。大洗鹿島線の高架がよく見えます。遠くに東海第二原発と火力発電所、ひたち海浜公園の大観覧車。シュールと言えばシュールな風景。
展望台から下りて帰ろうとしたら…… 土偶?
うわあ、かの遮光器土偶をはじめ超有名な3種の土偶がフラッシュ光の中に立ってました。
とりあえず自撮り。照明のせいで露出が狂って何が何だか。
屹立するダイダラボウは知ってましたが、内部がこんなパビリオンだったとは今の今まで知らず。行ってみなけりゃわからないことってあるもんです。知ってはいるが行ってない、そんなものが皆さんにもありませんか。行けば何か発見があるかも知れませんよ。
もう一つ発見。事務室の壁に戦隊ものや仮面ライダーの色紙がびっしり。てっきりロケに来たのかと思いきや、毎年秋のフェスティバルの際にヒーローショーを開催するその記念なのだと。昨秋はコロナ禍で中止だったそうですが、今年は開催できるといいですね。
これで終わると思う? いえいえ一日は長い。このあともうひと歩きするのですが、それはまた次の記事で。
↓ 考古学者になる人生もあったかも。
↓ そんなわけで。