土器にドキドキ❤シリーズ第2段!
…… ウソですそんなのありません。ちなみにタイトルの元ネタはかまやつひろしの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」。いいんです誰ひとり知らなくても。
今ごろですが新潟シリーズの続きです。
新潟遠征3日目、最終日。降水確率90%では、とてもフィールドの予定は立てられません。今日は無事帰ることが目標です。長岡市内の美術系と歴史系を一つずつ見て帰ろうか。地図でホテル近くの近代美術館とインター近くの歴史博物館を…… ん? なんだこれ。馬高縄文館 !? 縄文! 火焔型土器の産地 !?
近代美術館は特に企画展もなく、つまらなかった。おみやげ買おうとしたら売店は無くなっていたし。
さて馬高縄文館。いきなり巨大火焔型土器が看板になってます。気分がアガることったら。
外観。丸いやつは現代の芸術家が縄文をリスペクトして制作したもの。
ここでうんちく。
火焔型土器。ご存じ縄文土器の王さま。縄文土器なのに縄目模様がない。縄文土器といえば実用品でありながらそのプリミティブな芸術性が高く評価され、かの岡本太郎大先生は初めて見て「なんだ、コレは!」と叫んだそうです。特に火焔型土器に魅了され、わざわざ新潟まで見に来たとか。
火焔型土器は、縄文時代中期、およそ5000年前にとつじょ信濃川流域に現れ、周辺地域に伝播しつつ千年に渡って作られ続け使い続けられました。外観上の特徴は
4つの大きな鶏頭冠突起 けいとうかんとっき と
フリルのような鋸歯状の縁取り。これがないものは王冠型土器といって区別します。
どう見ても装飾過剰で実用的とは思えませんけど、ちゃんと煮炊きの跡があります。縄文人の生活道具です。いかに取り回しが不便であろうとも、この装飾にはないがしろにできぬ意味があったのでしょう。
戦前の話です。地主であった近藤勘治郎・篤三郎父子はまた、考古学にも深い造詣がありました。長岡市内のここ馬高に遺跡があると知るや土地を買い取り、私費で調査を始めます。昔はこういう篤志家がいたのです。そして1936年の大みそか、息子の篤三郎が発見したのがこれ。
(馬高A式1号深鉢土器)
そのあまりにも強烈な外観から、誰ともなしにこの名で呼ばれるようになりました。「火焔土器」という名はこの第1号の固有名詞で、以後次々と見つかった同様のものを総称する名称が「火焔型土器」です。
今や日本の古代を象徴する遺物で、大英博物館にも常設展示してあるとか。ただ国宝になっているのはなぜか隣の十日町市で発掘されたものです。
とにかく馬高A式1号「火焔土器」。本物。感動です。
火焔型土器は、繰り返しますが実用品でした。こんな出っ張りだらけの鍋でゴハン作ってました。どんぐり、シカやイノシシの肉、信濃川の川魚はどうだろう。意外に豊かな縄文の食。当時すでに対馬暖流が日本海に流れ込み、ここは今のような多雪地帯です。3メートルの雪に閉ざされた竪穴式住居の中で炉を囲み、何を語っていたのかな。
芸術家の感性を刺激して止まないこの文様。
こんなのもあるんだ。
縄文といえば土偶。茨城でもたくさん出土します。…… ミス馬高って。
しばし館内をお楽しみください。私は忘我のひと時を楽しみました。
すぐそばに県立の歴史博物館があるというのにあえて市立の施設です。いやその気概、理解いたします。土器も遺跡も、間違いなく地元の宝です。
火焔型土器は知っていても、それが長岡で発見されたとは存じ上げませんでした。ましてやそれが堪能できる博物館があることも。これこそ旅に出た効用です。我が出不精を少し反省しなくては。
火焔型土器でおなかいっぱい。ああ何て贅沢なことだろう。
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