一人旅に出ていた若いのが、手土産を持ってきました。
福音と言われて困りましたけど、中は菓子。和三盆わさんぼん、という讃岐の砂糖菓子です。和三盆の名は聞いたことがありましたがイメージは浮かばず、なんとなく慶事にいただく花を象ったような干菓子を想像していたのですが
うわあ、黄から緑への、和の色名になぞらえたグラディエーション。包装を開ければもっと目に鮮やかな色彩があるのでしょうが、この風雅な包みをひっちゃぶくなぞもったいなくてできません。困った、食いものなのに食えないぞ。それも含めて、なんて趣味のいい手土産でしょうか。
聞けば高級な和菓子の専門店で、和三盆もいろいろ。通常はやはり花や扇を象ったものですが、この「ことばいろ」はシンプルに四角。色を違えた別の種類もあったそうですが、私にはこの名とこの配色のものを選んでくれました。私という人間のイメージを思い描いての選択だとすれば、その気配りとセンスの良さに頭が下がります。もらった私は素直にうれしく、かつ旅の空で手間を取らせたことがまことにかたじけない。
四国・香川への旅は、アニメの聖地巡礼だったそうです。丸亀と観音寺の町を歩き回ってきたらしい。町のほうもアニメとはいえ巡礼者に親切で、それはそれは楽しい旅になったと、一眼レフカメラで撮った写真を見せながら話してくれました。
若き日の旅。人は若い旅の思い出を一生憶えています。修学旅行というものも、本来は旅行など行けない家庭の子に、楽しい思い出を残してあげるのが目的でした。今回、この十代の若いのが自分の意志で行き先を決め準備を進め、そして一人旅を実行したことを眩しく思います。この旅で、彼は多くのものを学んだことでしょう。人はこうして長い長い人生を積み上げていく。
手持ちの石と組ませてみました。砂糖菓子でありながら、天然のものと並べても見劣りしないこの色、このセンス。
ああ本当に、この中身を食べ物と認識できない。
センスとは人に教わるものではありません。教えて身に付くものでもない。そういう価値基準があることを自覚して、自分で磨いて磨いて身の内に作り上げるもの。その人の持つ美の総体が、表の世界に無自覚にあふれだしたものです。さて彼は、どこでその学びを身に付けたか。豊かな心と鋭い感性があってこその学びです。
そんな感性を持った若いのが身内にいることを静かに喜びたい。そう思わせる、旅の讃岐の和三盆でした。
↓ そしてついに4か月後。