ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

光る風の記憶

 

 私が写真をデジタル化したのが2001年。度重なるコンピューターの反乱やらクラッシュやらを乗り越えて、今も当時のフォルダが保存してあります。これまで封印状態でしたが、前の記事で古いヤンマタケの写真を探す過程で、ふた昔前の自分の視線を見返すことになりました。

 

  
 22年前の勤務先の中庭にあったライラック。異動した4月にこの花に迎えられ、なんて素敵な仕事場かと感動したものです。でも数年後、建物の改築工事で、この春の喜びと哀しみを体現したような花は私の前から消え去りました。

 

       
 何と、駐車場の隅にはキンランギンランが自生していました。野生ランですよ。これも感動ものでした。ランの仲間は菌類(キノコ)と共生します。たぶん植栽されたマテバシイの根にいたナラタケがその共生菌だったのでしょう。あるとき事務方が植木屋に間違った指示をしてマテバシイを切り倒してしまうと、キンランもギンランも姿を消してしまいました。

 


 この勤務先は街中に古くから建っていて、敷地を歩くといろいろなものを見出しました。石垣のすき間にシダの前葉体、とか。

 


 秋になって、空き地の隅にクロナガアリ。以前記事にした、秋から冬に活動するユニークな生態のアリです。

 

  
 同年、所変わって北茨城の山中、夏緑樹林に群れていたタチツボスミレ。日本で一番個体数の多いこのスミレを、以後春のたびに被写体にすることになります。でもこの一枚を超える写真をいまだに撮ることができません。

 

  
 八溝山の近く、花瓶山というその後二度と行くことのない場所で出会ったオオミズアオ。葉の下の暗い場所にいたのを、わざわざレフ板を地面に置いてシャッターを切りました。この当時の写真を見て思うのは、今よりずっと真面目に丁寧に写真を撮っていたという事実です。

 


 その一方で、フォルダの写真を見て驚くこともありました。写っているのは花、虫、キノコ、そしてその時その瞬間に心を打った風景。なんのことはない、今と寸分変わらぬ被写体を撮っていたのです。最近の写真フォルダと並べても違和感はありません。もう二十年前には今の自分になっていた。いや、自分の美の基準というか価値観というものが二十年前から変わってなかった、変わらずにいられたということです。知識とか技術ではなく、人間の根幹にある心棒のようなもの、この軸をブラさずに生きて来れたのだと、かつての写真を見て感じました。

 

 あの当時、何があったろうか。上級職への昇進試験に誘われて、丁寧にお断りしました。その一方であちこちから声が掛かり、いろいろな仕事を請け負いました。アメリカに2週間行かされたこともありました。日常の仕事にも脂が乗って、バリバリに働いていた頃でした。…… 自慢話をしたいんじゃありません。これ以降、昨年退職するまで、ずっと心の中でこれは本当の自分じゃないんだと呟いていたんです。仕事はただの処世でした。この世界で生きていくための方便だと。だから常に、心は外へ、自然へと向いていました。休日は精力的にフィールドを歩いていました。山野の「気」を吸って、仕事に向かうエネルギーにしていました。それがこの当時の写真なんです。

 


 ハスの落花。

 


 藍色の、アイタケ

 


 アケボノソウ。花弁に明星のように星を散らし。

 


 ハナサナギタケ冬虫夏草です。

 


 ムラサキアブラシメジモドキ。この色を写し取るのに苦労しました。

 

 この二十年間、ずっと同じものを探し続けていた。探し続けることができた。かつての自分に、この一点だけは自慢できます。

 

 さて。


 ため息をつきながら見返す2001年のフォルダに、「01.08.17~19 岩手」と題したものがありました。大学時代の恩師を尋ねた記録です。


 我が恩師T先生は心優しく大らかな、それは見事な大器の方でした。他の研究室の学生が教授の手伝いをさせられるだけの卒論研究だったのに、T先生は学生がやりたいというテーマに一切口を挟まずに自由にさせてくれました。私のような者にはそれだけでどれほど有難かったことか。そして先生の人柄を慕う卒業生から他大学の先生までを含む人たちが、先生を囲む研究会を作ってフィールド調査のお手伝いをしておりました。


 この前年教授職を定年退官したT先生は、「先生」などと呼ばれる権威的な世界にきっぱりと見切りをつけ、自宅を整理し、生まれ故郷の岩手県の農村地帯に農家の建物を求めて自給自足の研究生活に入られました。かっこいいなあ。そして研究会のメンバーで先生の終の棲家をお尋ねしようと企画した、フォルダにあったのはそのときの写真でした。

 


 この時に見たコキンレイカの花。その後何千枚もさまざまな花の写真を撮ることになりますが、これも以後に超えられないでいる写真の一つです。

 


 当時の愛車、2台目のエスクード

 


 夏の東北の美しさをご存じでしょうか。一面の柔らかな緑の中を光る風が吹き抜けます。「風光る」は春の季語ですが、陽の光に溢れるこの豊かで穏やかな夏の東北の田園を称えるのに、これほどふさわしい表現はないと思います。

 


 T先生宅。風雅な造りの百姓家、花咲く前庭、畑に田んぼ、背後に雑木林。

 

      
 そして敷地に池! まるでナチュラリストの理想を体現したようなお宅でした。

 


 納屋には農機具や薪の奥に書架。晴耕雨読の言葉そのまま。先生はここで夢のような日々を過ごされていきます。

 


 研究会のメンバー。2023年現在、この何人かは既に鬼籍に入られています。この時はそんなこと夢にも思っていませんでした。


 T先生とはその後も年賀状のやり取りが続きましたが、ある年、自分はもう目も手も危ういので以後の年賀状はご遠慮いたしますと書かれて、連絡は絶えました。帰る場所を一つ失ったような寂しさを覚えたものです。ところがおととしの秋、突然転居の知らせが届きました。人工透析の必要が生じたので、岩手を引き払い大阪の娘さんの下に身を寄せたと。驚きましたが、懐かしさのあまり長文の手紙をしたためて、旧交を喜びました。年賀状も(ご迷惑とは思いましたが)再開してしまいました。


 そして今年の年賀状。お返しに来たのは奥さまからのハガキでした。昨年2月、治療の甲斐なく永眠したと。転居から半年もたなかったのです。

 

  
 願わくば、先生の脳裏にはあの美しい岩手の山野が思い出されていたことを。

 

 

 

 

 

 

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