この展覧会のための書下ろしイラスト。ちゃんと筑波山。
わたせせいぞう、と聞いてなにがしかのイメージがあるのは、失礼ながら一定の年齢以上の方になるのでしょうか。特に、バブル時代を経験しているような。
バブルにいい思い出はありません。ただひたすらファッションとしての消費に皆が狂奔した時代です。漫画家・イラストレーターのわたせせいぞうと言えばまさにその時代を象徴する、軽薄で浅慮で虚飾に満ちた絵描き。ずっとそう思ってまいりました。たぶん、当時の掲載誌ビッグコミックスピリッツがそういう雑誌だったせいだと思います。
先の記事にあるヒスイカズラを見た後の話です。せっかく県西地区まで来たからと、旧下館ある「しもだて美術館」まで足を延ばそうと考えました。会期終了直前の「わたせせいぞうの世界」展が開催されてます。知ったのはほんの数日前です。こんな地方の小美術館でなんでこんなバブルの権化のを(失礼の二乗)、と思ったものです。後付けの知識で、この美術館は江口寿史の展覧会を開催したりして現代のポップカルチャーに理解がある美術館でした。そもそも県西地区は水戸と疎遠で、なかなか情報が伝わらないのです。ちなみに「わたせ展」は各地のデパートなどを巡回して開かれているらしいので、もうご覧になった読者さまもおられるでしょう。
アルテリオという市民会館みたいな建物の3階が美術館。この点でも規模とか内容とかあまり大きな期待は持てなかったのですが、200点に及ぶ新旧の出品作を見て、浅慮はわが身だったと反省することになります。
わたせせいぞうの絵は、美しい。そしてその物語は、深い。
これまでの私のわたせ作品に対する評価は、都会に暮らし金銭的にも時間的にもリッチな若者の軽薄なラブストーリー。そういう時代の注文があったのでしょう、特に漫画作品にそのイメージが強かった。印刷所色指定のベタっとした色塗り背景が、より浮薄さを強調しているように思えました。今ならわかります。その現代的なポップ表現が、当時の私には理解できなかったんです。ガキだった、と認めねば。
描かれるのは大人同士の決してハッピーエンドにはならない恋物語。避けることのできない人生の不条理に翻弄されつつ、それでも相手を想い時間を掛けて積み上げていく優しい日々。登場人物は必ずしも都会住まいでなく常にリッチというわけでもなかったことに今更気づきました。特にイラスト作品では、自然の中でくつろぐ男女の姿がおおらかに描かれています。さらに今の私の眼で見て初めて、画面に描かれた花々が実在のものを正確に表現していることを知りました。花のみのスケッチ画が展示されていて、絵をなりわいとする者のすべき努力をきちんと積み重ねていたことがわかります。自分がこの真摯な表現者を、ずいぶんな先入観による決めつけで評価していたことを深く深く反省いたしました。
わたせせいぞうがあの時代に受け入れられたのは、作品が放つ光が時代にマッチしたから。そして時代が光を失っても、作品は本来の光を放ち続けています。
売店で作品集が売られてました。全ページカラーでいい値段でしたが、一冊買い求めてしまいました。繰り返し読んでます。
↓ 今回はお願いしづらいなあ。