ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

水戸の古地図と水浜電車

 


 大洗に行ってきました。

 


 嵐の前の、というところでしょうか。GWには殺人的な混雑(ごめんなさい、渋滞嫌いなのでこんな表現)になる海岸駐車場も今日は閑散として。

 


 ここは百里基地の延長上にあって、離陸した戦闘機が次々と真上を飛んでいきます。

 

      
 メノウもシーグラスも拾えない海岸なので個人的には興味ありません。いえ大洗にケチをつけるわけではなく、観光地にも聖地巡礼にもグルメにも人ゴミにもおサカナにも興味がないんです。読者の皆さまはご存じですよね。

 


 用があるのはここ、町営「幕末と明治の博物館」。もとは民営の「常陽明治記念館」と言いました。展示品は幕末の水戸藩の記録と明治天皇の塑像をはじめとする皇室史料。幕末の水戸藩なぞ、桜田門外の変なんてテロを起こしたうえに、3700人いた藩士が内紛で殺し合って明治初年には800人しか生き残らなかったというお馬鹿の集団でしたのでこれも興味はありません。この博物館、じつは今日が初めての訪問でした。

 


 内部の写真撮影ができるのはこのホールのみ。これではブログ記事にもなりません。

 


 この公用車はすごい。これ見ただけで来た甲斐あった…… というのは冗談として

 


 目的はコレでした。ネットで「水浜電車展」図録の増刷ができました、とあって一気にドーパミンが吹き出ました。行ってみたら茨城大学の先生が作った水戸の古地図も売っていて、これは存在を知っていたので迷わず購入。合わせても600円で、これで失われた風景を辿ることができるなら安いものです。

 

   
 水浜すいひん電車。1922年(大正11)から1966年(昭和41)までのあいだ水戸‐大洗間を走っていた鉄道です。車両は小型のボギー車で1両ずつの運行、のちに水戸市街に延伸され大通りを通ったので、古きを知る水戸市民には街を走る路面電車のイメージですが、本来は戸と大洗の磯を結ぶ観光鉄道でした。

 


 図録の内容はあくまでも「大洗目線」での水浜電車。でも優秀な学芸員さんが編集なさったのでしょう、とても見やすく分かりやすい解説です。

 


 そもそも地方の一海岸に過ぎない大洗がなぜここまで知名度を上げたのかといえば、この水浜電車が大量の海水浴客を運んだからです。やがて気候の良さから山村暮鳥などの文学者が長逗留しするようになり、そういえば「あしたのジョー」の主人公もここでトレーニングに励んでました。

 


 この顔半分だけ出した少女は、その後どんな人生を歩んだでしょうねえ。ご覧の読者さまで水浜電車に興味を持たれた方はおられますか。「茨城交通水浜線」で検索すれば、熱心なファンによる軌道跡を辿るレポートを見ることができますよ。

 

   
 さて次は。これは本当に棚ボタでした。こういうものを大学の先生がお作りになり、それを大学図書館で配布していたというのは知っておりましたが当時は多忙で行く機会なく、諦めておりました。よもやここで目にすることができようとは。どうやら最初のものから改訂を重ね、水戸の観光協会が発行者になっていたようです。知らなかった。いまや水戸市内各所で販売されているようでしたが、知らないのでは入手しようがない。我ながら不覚でありました。

 


 地図マニアにはたまりません。水戸という町の地政、指のように細長い台地の三方を水に囲まれた要害であることとか、千波湖が今の三倍の大きさであったこととか、武家地と町人地の区分けであるとか、これぞ地図!という感じで体感できます。ああドーパミン出まくり。脳が震える。

 


 ブラタモリで、タモリが「う~んこの道、元は堀ですね」お付きが「さすが~タモリさん」というお約束をやっていました。画面中央の「紀州堀」。地元の古地図は今の姿と突き合わせることで楽しみ倍増、本当に飽きません。本当にいいものを手に入れました。水浜電車と併せて、ああ楽しかった。

 


 理解してねとは申しません。でもとにかく、こんな人間がこの世にはいるのよー。

 

 

 

 

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