ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

詩人の蝶

 

 北 杜夫 大先生の名著「どくとるマンボウ昆虫記」の一章「詩人の蝶」は、詩神ホメロスの逸話から始まります。章のテーマはパルナシウス。はい、ここからいつものうんちくが始まりますよー。蝶に全然興味のない方、逆に蝶にお詳しい方は飛ばしてくださーい。


 ヨーロッパに産するアゲハチョウの仲間でアポロチョウというのがおります。白地の半透明の翅はねに黒縁取りの赤紋を配した、それはそれは美しい蝶です。白い楕円の翅は一見シロチョウの仲間を思わせますが、実はこれがアゲハチョウ科の祖先形。アゲハチョウのツバメのように細く長い尾は、のちの進化で獲得されたものです。アポロチョウは原始の姿をとどめたまま、ヨーロッパの陽光の元、穏やかに飛び回っています。アンリ・ファーブルヘルマン・ヘッセも、その天使のような姿を愛でたことでしょう。学名はパルナシウス・アポロパルナッソス山のアポロン」。うわあ、良い名にもホドがあるぞ。いかにかの地で愛されているかがわかります。

 


                                     pixabayより、アポロチョウ


 さてこのアポロチョウの仲間、属名からパルナシウスと呼ばれます。中央アジアあたりを中心におよそ60種。ユーラシア大陸の寒冷地や乾燥地に分布して、その東端が日本列島です。残念ながらアポロチョウそのものは日本にはおりませんが、日本海の対岸、朝鮮半島にはさらに美しいオオアカボシウスバシロチョウがいて、マニア垂涎の的です。これに限らず、パルナシウスの仲間はそれ専門に蒐集するマニアが世界中にいて、採集者やら販売業者やらで市場が出来上がっています。


 はて、では日本に生息するパルナシウスは。これが3種いるのですがさすが分布の端っこ、何万キロも旅するうちにいろいろ究極進化しております。1つは北海道大雪山に住むウスバキチョウ、翅が黄色になりました。他の2つは逆にパルナシウスの売りである赤や青の斑紋を失って、それこそシロチョウ科と見まごうような、それでもパルナシウスの気品をまとった白い天使の姿となりました。


 うんちくここまで。以下フィールドでのお話になります。

 


 どうしても撮りたい写真がありました。それが県北の福島県との境あたりに住むという絶滅危惧種チャマダラセセリです。4月最終週、私のブログでおなじみの撮影地、北茨城市花園に参りました。有名な場所で、日本中から集まるマニアの方々の凄まじい採集圧に晒されています。

 


 ベニシジミ

 


 サカハチチョウ

 


 スミレ

 


 アカネスミレ

 


 タチツボスミレ

 


 キジムシロ
  チャマダラセセリの食草です。

 


 ヤマカガシがおマエ誰だと顔を出します。いえただの変態です。

 


 ジノさん待ち伏せ。こんな連中の相手をしながら1日潰しましたが、結局目的は達せずに終わります。まだチャマダラセセリは発生していなかったのかも知れません。


 それではと次の5月第1週に行けばよかったのですが、連休は家族に振り回されて終わってしまいました。今年はたぶんここが発生期だったと思います。


 5月第2週。これも家族の用事で家を空けられず、悶々とした日々を過ごしました。ああ忌々しい、なんて考えてはならぬ言葉がふと胸中に湧き上がります。これは採集マニアの方々も同病だったりするのでしょうね。この季節にナチュラリストが家に縛られる辛さを一般人、特にカタギの女性に理解してもらうのは至難です。幸い私は木曜日、ようやく休日を得ました。新たな用事を思いついて私の時間を奪おうとする悪魔を泣き落としで下がらせて、ようやく1日の自由を手に入れました。さあ行くぞ。たぶん手遅れだけど、行かねば心が納まらぬ。

 


 採集・撮影の全お道具装備。やる気だぞー。ちなみに捕虫網はあくまでも撮影補助のため。マニアの持つ捕虫網の半分ほどの大きさです。

 

     
 今日の秘密兵器、500ミリ反射望遠レンズ。距離1.7メートルで等倍撮影可。前回の撮影で蝶に近づきすぎて逃げられたりしたので。

 


 つい最近までエゾスジグロシロチョウと呼ばれていたヤマトスジグロシロチョウ。流行に乗って北海道のものとは別種であると言い出す人がいてこうなった。言ったもん勝ち。本当に最近の分類学者ときたら。

 


 おなじみキタテハの越冬個体、素早く飛び回ります。まさか下見の時に見たのと同じヤツか。いずれにせよ冬を越してなおこの膂力りょりょく、生命の逞しさを思わずにはいられません。

 


 風に煽られるモンキチョウ

 


 ツバメシジミ

 


 ミヤマセセリ。同じセセリチョウなので、ちろちろと飛んでくるたびにすわ!チャマダラかと身構えてしまいます。

 


 蝶マニアの所業、ゴミ産卵いや散乱。撮り鉄もそうですが、こういうことをしなければもっと理解を得られるのに。ここ花園でも牧場に入り込んだりして地元の人とトラブルになるマニアが後を絶ちません。

 


 これは帰り際に寄り道して撮ったものです、ムモンアカシジミの若齢幼虫。クロクサアリに甲斐甲斐しくお世話されてました。


 さて、引っ張るのはここまでにしましょうか。結局目的のチャマダラセセリは見ることすらかなわなかったのですが、予想外のモノに出くわしました。


 林道の上を白い蝶がふわふわと飛んできます。シロチョウ科? いいえ飛び方が違います。直線的で滑空を交えて、それでも絶妙にぶれる独特の飛跡を描きながらこちらに向かってきます。ああなんて優美な舞であることか、と見る間に目の前に迫ります。とっさに捕虫網を振りましたが、網に入るその刹那に鮮やかにかわされました。網が小さいとはいえあり得ない不覚です。その、かわされる瞬間にしかと目が合いました。

…… ウスバシロチョウだ!

 


 さあここで長い前フリを思い出してください。これは日本本土の真白いパルナシウス、一族の東端に住まうものです。北海道から四国まで分布しますが北寄り山地性で、茨城県には分布しないとされていました。かつて県西部の河川敷で偶発的に発生した時にはマニアが押し寄せて、その採集圧で絶滅の憂き目に遭ってます。それ以後は絶滅種として県のレッドデータブックに載せられていましたが、近年福島県の個体群が南下して八溝山のふもとに住みつきました。しかしまさかこの花園で遭遇するのは予想外、私にとっては大サプライズです。あああ神さまありがとうございます。高速代とガソリン代かけて来た甲斐があろうかと… いやいやモトを取って余りあるくらいです。

 


 とはいえ第一遭遇では逃げられました。せめてワンショット、片鱗でも写真に収めねば。カメラを構えて草地を歩き回ります。とにかく遠くから見つけて、花に降りるまで追いかけて、そっと近づいて…… 緊張マックス、久しぶりに蝶を相手に大本気になってます。と、

 


 うわあ足元にいたあっ。というかこんなに人間に近づかれて逃げなくていいのかおマエ。こんなのろまなことでは採集で絶滅させられるのもムベなるかなです。全国的には安定して発生していてむしろ増加しているくらいなのが幸いです。

 


 90ミリレンズに替えて接写します。これだけ近づいても逃げず、必死で口吻こうふんセイヨウタンポポに差し込んでいます。のんびりした印象のあるウスバシロチョウですけど、こんな一生懸命な顔をするときもあるんですねえ。氷河時代を生き延びた古い古い種族です。

 


 気温が上がると次々に飛び始めて、それなりの個体数になりました。ウスバシロチョウに囲まれるなんて、ここは天国か。中学時代から憧れ続けて、大学生の時に高尾山で初めてその姿を見た感動を今も忘れません。

 


 パルナシウスに魅せられた採集者は数多い。でもその産地はおもにユーラシア大陸の東経70度から130度のあいだの過酷な山岳地帯で、そこここのごく狭い範囲にため息が出るように美麗な特産種が暮らします。そしてそこは紛争にまみれた地域でもあり、砲弾・地雷・ゲリラ…… もう2度と採集できない、そう言われるパルナシウスもあるのです。例えばアフガニスタンは数々の希種の産地です。かの地で凶弾に倒れた中村 哲 医師は、実は昆虫愛好家だったことをご存じですか。危険で過酷な人道支援の仕事に無私無欲で取り組んだ偉人です。ただ唯一、現地の貴重なパルナシウス、例えばアウトクラトールウスバとかチャールトンウスバとかに出会えることを楽しみにしていたそうです。その思いを、どこまで果たすことができたのでしょうか。

 

 


 極東にたどり着いたパルナシウス、ウスバシロチョウ。県のレッドデータから解除されてはおりませんが、この広い山中に定着したのならすぐに絶滅はないでしょう。記録として2頭だけ持ち帰らせていただきます。

 


 ちょっと浮かれるワタシ。

 


 きちんと標本に残します。偶然ですが♀♂の組合せになりました。昨年のギフチョウから1年ぶりの展翅に少し緊張したけど何とかなった。

 


 きょうも青空に見守られ、私は幸せです。いろいろなものに感謝せずにはいられません。

 

 

 

 

 

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