ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

モンシロチョウの孤独

 

【播種はしゅ】種をまくこと。種をばらまいたような乱雑な状態。SFでは未知の植民星を求めて旅立つ移民宇宙船を「播種船」という。

 


 江戸時代、国内を放浪する女性の一団がありました。行く先々の村で子供を産むと、その子を村人に預け、また旅立って戻ることはありません。子供は村の子として大切に育てられます。母親の方はどこまでもどこまでも旅を続けていきます。いつかは野辺の仏となるか、村はずれのあばら家で人知れず身まかる運命ですが、本人たちに後悔はなかったことでしょう。


 …… というこれは西原理恵子の漫画に伝聞として描かれていたことなので二重に信用できませんが、フェミニストのばばさま方はどう思われるのだろうか。生物学的には播種の一つの理想形です。生物はとにかく生き残れ、子孫を残せと神さまから命じられているわけで、そのためにできるだけ広範囲に、できるだけ遠くまで子をばらまくことで自分の遺伝子の存続を図ります。疫病だろうが天変地異だろうが、誰かが生き延びれば遺伝子は残ることになります。かくして生物は、子を風に乗せ潮に流し、みずからも山を越え海を渡り、新たな地平を目指します。そういえば絶滅危惧種なんて連中には、この生き残ろう増えようという気概に欠けるのがいるよなあ。

 


 さて、我が王国の菜園も夏支度が進みます。とにかく最大の敵は【虫】。昨年の猛暑では虫どもの活動も活発になって大被害が出ました。キュウリやカボチャにウリハムシ、トマトやトウモロコシにハマキガアシタバキアゲハに食い尽くされました。今年はきっちりネットで覆って成虫の侵入を防ぎます。


 そう、播種と言えば昆虫ほど種の拡散に長けた生物はいません。なんてったって「翅」があって空飛んじゃうんですから。身体が小さいことも子の数を増やすという意味では有効です。かくして無農薬で通そうとする家庭菜園はヤツらの養殖場と化すのです。おのれエエ。

 


 先日の草取りでドクダミの陰から出てきた古材を日なたに出しておいたらキマワリが羽化して来よりました。この庭で見たことがありません。いつの間にか飛んできて産卵してたんですね。

 


 剪定したスイカズラの下枝では案の定アブラムシがアリに守られて大繁殖してました。越冬卵から生まれた有翅虫が飛んで卵をばらまいて、あとは無性生殖でぼんぼん増える。植民地を次々と作って三千世界に版図を広げる、何と理想的な播種システムであることか。

 


 駐車場のコンクリの上をすごいスピードでグルグルしてるのがいて、何かと思えばオオスカシバでした。片側の翅が縮れたまま飛ぼうとしています。よく見ると頭の半分に蛹の殻が付いたまま。ああ、羽化失敗です。以前にもヤママユのこれを記事にしましたけど、飛ぶことが生活のすべてである鱗翅目りんしもく昆虫の羽化失敗は哀れです。オオスカシバは我が家のクチナシの仇敵で、おそらくこいつも私の眼をかいくぐって成長したものでしょう。せっかくここまでうまいことやってきたのに、最後の関門を抜けられなかったんだなあ。本来なら光のように幽鬼のように高速で飛び回り、次々と民家のクチナシを襲っていたろうに。

 


 さてこれは何でしょう。はい、一見そう見えないけどキャベツです。モンシロチョウに食い放題されました。人間が食うのは中心の結球部分で、モンシロめにかじられる前に収獲するのですけど、この被害がなければもっと大きく結球したろうなあ。この春はキャベツ高かったんだよなあ。

 


 成虫をいくら駆除してもすぐ新たなメスが飛んできて産卵します。卵は高さ0.8ミリ。近縁のライバル・スジグロシロチョウと比べると三分の二ほどしかありません。単純計算で体積は 30 %ほど、スジグロより産卵数を増やせることが競争にどれほど有利でありましょう。

 


 一令幼虫のもう悪さしてるやつ。かくして我が家のキャベツは穴だらけになるのです。この狼藉は天敵のアシナガバチが本気を出してくる6月まで続きました。

 


 モンシロチョウは汎世界種とかコスモポリタンとか呼ばれるものの一つで、世界中の温帯・亜寒帯のアブラナ科作物が栽培される地域に分布します。キャベツを植えると必ず現れます。キャベツ畑を群れ飛んで、哀れキャベツはあのように。家庭菜園ならともかく、農家の人には恐るべき敵です。…… ところでこのモンシロチョウの大繁栄、普通の図鑑には書かれておりませんが、成虫の行動様式にその理由があります。


 メスは、キャベツ畑で羽化して待ち構えていたオスと交尾を済ますと、すぐに旅立ちます。故郷に未練は無く、ましてやここに子を残そうとは思いません。野を越え山を越えどこまでもどこまでも、時に海を渡りながら、ひたすら新天地を目指します。腹の卵を通りすがりのアブラナ科植物に産み付けながら遠くへ遠くへ。どんなに環境が良かろうとも一つの場所に2日と長居することはありません。ただひたすら播種の旅を続けます。卵を産みつくすまで、運命が迎えに来るその時まで。そうしてモンシロチョウは世界に広がりました。

 


 ではオスは。…… これはある日の夕刻、菜園のトウモロコシの葉陰に休んでいたオス。実はすでに1週間ほど私と小競り合いをしてきた個体ですけど、そろそろ寿命のお呼びが掛かる頃だと思います。この場所で頑張り続けました。実はモンシロチョウのオスはメスと正反対の性質を持ちます。生まれた土地を離れないんです。自分の羽化したキャベツ畑の周囲だけを飛び回り、新たに生まれるメスとの交尾のチャンスを待ち続けます。いずこからか来訪するメスはほぼ交尾済みで現地オスのアプローチを拒むので、オスにはメスの羽化を待つしか手はありません。チャンスがあろうが無かろうが、オスはただひたすら生まれ故郷に居続けるのです。

 


 凛とした立ち姿は見事ですが翅がぼろぼろ、その原因の一つは私です。水撒きのときにちろちろ飛ぶのをシャワーで叩き落としたりしました。なんせ我が食卓の敵ですから容赦はしません。鳥をはじめ天敵との戦いもあったでしょう。それでもこいつは、襲い来る運命をかわしながらひたすらここでメスを待ち続けました。もうアッパレと言ってやりましょう。キャベツはすべて抜かれてしまい、新たなメスが生まれることはありません。このオスはこの春に我が庭で生まれたモンシロチョウの最後の一匹になりました。私も運命の定まった者にちょっかいを出すのはやめます。それでもこいつは、最後の瞬間まで触角をピンと張り胸を反らして漢気を見せつけ続けるのでしょう。

 

 ひとり旅するメス。ひとり待つオス。モンシロチョウはなんと孤独な生き物であることか。

 


 そういえば半世紀前、我が家の前は近所の子供たちの遊び場で、私と同年代の子どもたちが十人以上駆け回っていました。その後女の子は全員遠近さまざま嫁に行き、男の子もみな独立して家を出ました。もう私しか残っていません。


 あのオスもこんな気持ちなのかなあ、なんてふと。

 

 

 

 

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