野外で見つけた生き物を家に連れ帰って飼う。子供時分から多くのナチュラリストが経験するところです。ただそれが タコ となると少しくレアなのでは。
出合い
ン十年前、まだ私がカメラを持ち歩いてなかったころの話でございます。その冬の新月の晩、おなじみ平磯海岸でひとり生物採集を行っておりました。沖の岩場から波音の響くなか、潮の引いた岩礁地帯を長靴でバチャバチャ歩きながら夜の海を楽しみます。バケツに実験用のバフンウニがそこそこ採れて、クモヒトデとか趣味の領域の生物に手を出し始めた矢先でした。ヘッドライトに照らされた水面下を何か赤っぽいものがさっと横切ります。とっさにライトを向けると、それは岩の下にするりと潜り込みました。何だ? 素早い動き、ガラも大きい、でも魚ではありません。岩を持ち上げたら、赤黒くぬめっとしたものがその岩に貼り付いてました。そのままバケツの上に持っていき、それは音もなくバケツに落ちていきました。
タ コ だ あ 。
野外で野生のタコを見たのは初めてです。本来はもっと深場にいるもの。獲物を追って岸に寄りすぎ、引き潮で浅瀬に取り残されたのでしょう。…… これは重畳、神の配剤いや試練か。飼えるものなら飼ってみろと申されるか。よおし、その挑戦受ようではないか。驚きと興奮で気持ちが高揚して、帰りの車中でうふふうふうふうふふのふと含み笑いが止まりません。その晩のうちに職場に行き、冷却器付き水槽に海水を溜め、隠れ場所になる大石やらを入れてタコさんブッこみます。さらにウニやヒトデを別水槽に仕込んで実験準備まで終えて、時計は午前4時になってました。途中警棒を構えた警備員さんに踏み込まれましたが、タコを見せたら納得して引き上げてくれました。また武勇伝が一つうふふ。
翌朝というか数時間後に再出勤して、落ち着いたタコさんを落ち着いて観察いたします。海産無脊椎動物はシロートさんよりちと詳しい程度ですけど、たぶん種類はマダコの、足(本当は腕)の形態から判断するにメスです。色は基本的に赤黒いのですが刺激を与えると淡色から濃色までコロコロ変わります。体表に色素胞という変身道具があるんです。さらに表面の凹凸も自在に変化させる芸当、なめらかと思ったら瞬時に無数の突起が立ちます。我々で言う鳥肌と同じ仕組みかな。これで岩の陰に隠れる時は色も凹凸もその岩に完全同化、実に見事な忍者ぶり。見ていて飽きません。これはいいものを手に入れたぞ。
その名は
さて、私の掌たなごころにあるものなれば、当然名が無くてはいけません。とりあえず下記のような札を水槽に貼ったところで、噂を聞きつけた若い同僚がやって来ました。
まだこ、ですか?
よく見ろ。マじゃないヌだ。「ぬだこ」と名付けたのだ。
…… そんなことばかり言ってるとホント嫌われますよ。ヒトにもタコにも。
いや実は、海からの帰り道にもう名前は考えてありました。同じタコを食う国としてイタリア風の名がいいと考えて、その名も「ロレンツォ」。これは男性名で、メスならロレンツィーナとでもしなければなりませんがまあタコだし。名付けたことでこの海の高知能生物と私の関係性が作られました。ロレンツォと私の日々が始まりました。
ごはん
さて生き物を飼う上でとにかく第一に考えねばならぬのは…… おわかりですね。そうエサでございます。厄介なことにタコは生餌しか食べません。主にカニ類です。さあ大変。ホームセンターに行くと「カニ網」というものを売ってます。これを短い竿の先に付けて、波打ちつける冬の海の岩場に行きます。細く目の粗い網でして、これにニボシとかのエサを付けて岩のすき間にそっと落とすと、面白いように大きなイソガニが絡まってきます。たまに遊びに来てするのなら楽しいでしょうけど数日おきとなると苦行になります。職場の機材を使ってはいますがまったくの趣味、すべて私用で自腹で自己責任ですからつらさ倍増。でも水槽にはロレンツォがいる。待ってろよ、決して飢えさせはしないから。
採ってきたカニたちは当初、ロレンツォの隣の、実験後にウニを放したあとの水槽に入れました。これが実に残酷なことだとすぐ気付きました。カニたちはこの恐ろしい天敵のことをよく知ってます。抗うことのかなわぬ恐怖の捕食者、それがガラス越しにいつでも睨んでいるんです。エサ用の一時しのぎのつもりだったので水槽にカニの隠れ場所は作りませんでした。可愛そうにイソガニたちは水槽の一隅に固まってガタガタ震えているようにも見えました。
無脊椎動物にだって感情はあります。ごちそうにありついた時の歓喜、天敵に食われる時の恐怖。以前干潟で、アカテガニが肉食のベンケイガニに捕まって体色を青くしているのを見たことがあります。ああ悲鳴を上げているんだなあ。自然界の残酷さを目の当たりにしました。
多少の躊躇はありましたがこれが自然であります。カニを水槽から手網ですくうと、ロレンツォの水槽に落とします。すぐにタコは腕を伸ばし、吸盤で動けないように抑え込むと、放射状に伸びた腕の中心、外からは見えない「スカートの下」にカニを引き込みます。そこには鋭いくちばしを備えた口があり、器用にカニの甲羅をはいで、一本一本の足の先まで中を舐めとるように食べてしまします。あとからポイと捨てられる殻は、人ではどんな達人でも不可能なくらいに中身がはぎとられていて、私はこんなにきれいに獲物を食べ尽くす肉食動物を他に知りません。
これも当初は加減がわからなくて、カニを数匹ずつ入れてました。でも一匹ずつしか食べません。最初の吸盤の魔の手を免れたカニはどうしたでしょう。目の前に捕食者がいて、目の前で同類が食われているんです。もう恐慌状態。あるものは水を出て水槽の天井に貼り付き、あるものは脱走して部屋の隅で干からびていました。ああ可愛そうなことをした。わし地獄の閻魔さまの前でこれをどう言い訳しよう。取りあえず以後は二つの水槽の間に目隠しを置き、カニは一匹ずつ供するようにしました。
生物としてカニも好きなので、少しカニ寄りの話になってしまった。ロレンツォに戻りましょう。
知能
タコを飼う楽しさって何だと思いますか。それは知能ある生き物を身近に観察する楽しさです。動画サイトでも犬や猫の動画は人気ですよね。迷ったり失敗したり、時に賢さを見せて感心させたり。タコにもそれがありました。
タコの賢さはよく人を驚かせます。エサの入ったジャムびんを器用に開けて見せたり、捕らえられた船上から巧みに脱出したり。サッカーワールドカップの優勝国を占うタコなんてのもいたなあ。私はこのタコの賢さの理由のひとつとして、その発達した「眼」を上げます。
タコの眼は「カメラ眼」と言って、光を正確に写し取るカメラと同じ構造をしています。そしてそれは私たち脊椎動物の眼と同じでもあります。これ以外の無脊椎動物の眼は、昆虫も含めてみな「視力」がほぼありません。光の方向、影の存在、対象の移動、極端な場合光の有無しかわからないものもあります。こういうのと比べたら「画像」を結ぶことのできるカメラ眼の能力は驚異です。当然視覚情報の処理に脳のメモリーを大量に使うことになります。それで脳が発達したのかなと。あくまでも私論ね。ちなみにタコの眼、明るい場所ではまぶた(虹彩?)が上下に閉じてヤギの眼みたいな外観です。
でロレンツォです。ひょっとするとこのタコ、毎日エサを与えに来る私のことを覚えたフシがあります。なんとなく服装で判断するのか、人から「怪しい」と言われる私の動き笑か、まさか顔を覚えたのか。他の人が部屋に入ってくると岩陰に身を潜めますが、私が現れると岩から出てくるんです。ヌルリというかズルリというかまあ気持ちの良い姿ではありませんけど、でも懐かれてる。タコに懐かれてる。か、可愛いじゃないか。でもそれだけではありません。
水槽に指一本を入れてみます。平べったい瞳でじっと見てから、そっと腕の一本を伸ばしてきます。私の指に絡めます。冷血動物らしい冷たさ、そして先端の小さな吸盤がプチプチと皮膚に張り付く絶妙の感触。…… おわかりでしょうか。そうです お手 です。何とこのタコ、飼い主にお手をするようになったんです。こんなの聞いたことある? タコのお手だよ。ロレンツォよ、お前はなんて愛ういタコなんだ。ああこのままずっと飼っていたいぞ。
別れ
ロレンツォと私の幸せな日々は数か月続き、春が近づいて参りました。ここで一つ思案せねばなりません。
高い知能がありながら、なぜこいつらは海底にタコ帝国を築けないのか。それは悲しいかな、神さまが定めた彼らの「寿命」です。
数年かけて成体まで成長するマダコ。成長し成熟すると、他の生物と同じように繁殖行動に入ります。しかし神さまはタコに少し厳しかった。マダコはそのただ一回の繁殖で寿命を終えるんです。特にメスはエサを摂らず卵につきっきりで世話をして、子供たちが大海に泳ぎ出すのを見届けて息絶えます。恐怖の捕食者は最後に慈母のほほえみを浮かべながら生涯を終える。これもまた自然の一面です。
さあロレンツォをどうしよう。このまま飼い続ければ数か月、あるいは数年生きながらえるかもしれません。しかし繁殖期です。自然の摂理に任せ、子を残させてやるのが最善の道と考えました。生まれ育ったあの磯で。
水槽の岩から引き剥がすのは簡単でした。差し伸べた手にすぐ乗ってきました。これを手網で受けてバケツに移します。さすがに何事かといぶかしんだでしょうけど、私に迷いはありません。車に積んで職場を後にします。
平磯に着きました。ちょうど軽い引き潮で、潮だまりが出来ています。バケツを抱えて岩場を降りると、外海に通じた大き目の潮だまりにしゃがみこんで、バケツをそっと傾けます。狭いバケツの中は苦しくもあったでしょう、柔らかな体が水と一緒に潮だまりに流れ込みました。
どこだここは。懐かしいにおい。そうかここはあの海か。
戸惑ったことでしょう。でもすぐ落ち着いた様子です。さあ帰るがいい。いいオトコ見つけていい子を産めよ。
私は振り切る心持ちで立ち去ろうとしました。ところがロレンツォは動きません。自由の身になったことは理解したろうに、潮だまりを離れません。両目を水面に浮かべて、じっとこちらを見ています。ああやめてくれ、そんな目で見ないでくれ。驚くべきことに、今ここにいるのは単なる無脊椎動物ではありません。私が慈しみ、私を信頼してくれた一つの命です。まさかタコにここまで情が移るとは思いませんでした。
やがて諦めたか、ロレンツォは海の深みへと消えていきました。生き物を飼えば必ず別れがある。これ以後、何かを飼育しようと思ったことはありません。
読者のぽんこ。さまからのリクエストでこの記事は書かれました。
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