ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

もっと光を、新しい光をぉお

 

 水戸では「黄門まつり」がありました。その少し前の話です。

 

 

      
 朝のさんぽで、街が飾り付けられているのを見ました。写真をモノする方々には、レンズを磨いて身構えほくそ笑む紳士もおられるでしょう。でも私は

 


 これが深夜に行われる奇祭というなら写真の撮りがいもあるでしょうけど、大通りをよさこいがパレードするような品性の祭にとてもその価値があるとは思えません。私がシャッターを押すのは人の作為の彼岸にあるもの。どうしようもなくその姿でそこにあるもの。

 


 無機質と機能美。駅前再開発のボーリングリグの方がよっぽど写欲をそそります。

 


 ああ積乱雲が県北に雨を降らせている。あれは日立あたりかなあ。御岩神社、前の記事に書いたばかりだけど、実はお参りしたのは6月半ばだったんだよなあ。今行ったら雨を含んで綺麗だろうなあ。

 

     
 翌日に来ちゃいました。読者さまに飽きられないよう、今日の写真にはクビキというか条件を付けることにしました。いわく、新しい光を。これまで撮っていない写真を。

 

   
 例えば前記事で苔の上に影を落としていたこのウバユリ

 


 正面から! ってこれ、以前に花園でおんなじ絵を撮った! しかもなんか汚い!

 


 この仏さまも以前撮ったけど、今は葉っぱに隠れる風情が新しいということで。

 


 この龍に見える朽ち木は、見るたびに雰囲気が違うからいいのです。

 


 水を含んだヒノキゴケの上にウワミズザクラの果穂がひと枝。

 


 苔に隠れてむしろ安らいでいるような布袋さま。

 


 苔の中からひときわ眼を射る緑の光がありました。なんだろう。

 


 アカスジキンカメムシの甲でした。羨ましいほどにいい場所で死んだものです。

 


 前のめりに事切れた一匹の蛾。これも羨ましい。究極の絶景とは「そこで死にたくなる場所」のことです。

 


 マムシグサの実はこれまでも撮ってきましたが、雨に濡れた神域のこれは、少し違ったものに見えました。

 


 ミズヒキの花が人知れず咲いてます。

 


 日陰のヤブタビラコの哀れなほどに貧相な直径2ミリの頭花に、必死で生きる姿がかいま見えます。

 


 直径数ミリのキノコ。雨を吸って粘液を帯びて、そこにキノコバエが捕らえられて命を終えてます。粘性のあるキノコは数多いのですが、そうか捕食者にこんな反撃をするためなのか。…… この手の微小キノコを同定しようという徒労はもう諦めてます。ただこの妖精のような半透明の姿を、今日の参詣者の中で見たのはたぶん私だけ。

 


 ムラサキニガナが咲いてました。これまで撮ったことはあったかな。

 


 こんな写真が撮りたくなる。一種の変態かも知れません。

 


 みるみる暗くなって、雨がパラついてきました。今日もここは慈雨に恵まれるようです。

 


 その昔、写真を「光画」と名付けた人がいました。光で描く絵。単なる記録ではなく、その一瞬一瞬の光の記憶。カメラ任せにシャッターを切れば「記録」は残せるようになりましたが、レンズ・露出・絞り・ホワイトバランス・ISO感度 …… 撮り手の操作で、いくらでも表現は変化します。そして神さまがその日その時その場だけで与えてくれる偶然の陰影。結果として得られる自分だけの光、自分だけの絵があります。「太陽の下、新しいものは何一つない」そんなこたぁ言われんでもわかってます。それでも私は新しい絵、新しい光が欲しくて、カメラを手放せないでいるのです。

 

 

 

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