久慈川のお使い・丑さまが枕元に立って、広角レンズで西金砂を撮って来なさいとモーされました。それって久慈川も何も関係ないような。
はて、このブログ初登場でしょうか、かつて金砂郷村かなさごうむらという自治体がありまして、正確には最後には「町」になりましたがすぐに常陸太田市に合併されてしまったので、私のような昔を知る者には「村」のほうが通りが良い。ここでもっとも名を知られた存在が「西金砂神社」です。棚倉断層を越えた彼方の山の上にある「東金砂神社」と対で、72 年に一度盛大な合同例大祭があります。
旧金砂郷村の領内至るところに石像が据えられています。とんでもない山の中にまで、道路のあるところには隈なく。面白いことをしたものです。西金砂神社への登り口にも一つ。
登る途中にも。この「種子まき」「獅子舞」と上の「四方固め」はいずれも例大祭で奉納される演目の名です。
断層崖と思しき急斜面のくねくね道を登り切って現れるのが西金砂神社。鳥居前のサワラとイチョウの大木が目印です。駐車スペースに車を止めて
立派な鳥居と
大石段。さあ結界に入ります。
拝殿。
燈明が幽玄の気をかもします。
その燈明を下に見つつ山道を登り
神気漂う木立を抜け
石段百歩を上り詰めたところにこの冬初めてのヤブコウジ。大好きな赤い実です。
そして現れる西金砂神社本殿。袋田の滝や奥久慈男体山と同じ火山角礫岩が大岩塊をなすその山頂部に鎮座します。
神社の由来は西暦 806 年にまで遡ります。実に千二百年の昔、ここに神性なる気を感じ祠を祀った人がいました。以来ここは周辺諸村の人々に崇敬され、物語を紡ぎ続けています。
光あれ、なんちゃって。
どーん。遥か日光のお山まで。断層崖の頂点なので眺望絶佳です。
往路に登った石段の道とは別に、小さな祠を巡る道を下ります。こんな所にも古い信仰が。
拝殿から女坂を下ると鳥居のイチョウが逆光に映えてました。急な気温低下に慌てて黄葉を始めたという風情で、この週末が茨城県北・奥久慈の紅葉の見ごろになりそうです。
樹齢がいかほどか知れません。願いを抱き神に詣でる多くの人々を迎え続けています。
と、ここで急な雨。ちょうど車に戻ったところで、しばし雨音を楽しみます。
雨は 30 分ほどで上がりました。今日はもう一つ、広角レンズで撮りたいものがあります。神社の駐車場の百メートルほど先に
また石像、そして鳥居。鳥居をくぐるといくつかの神聖なピークを越えて、三百メートル下の宿場町へ下ります。道路のない時代、西金砂の神さまに願いを伝えるために、人々はこんな道を辿りました。長く辛い祈りの道だったことでしょう。茨城に人の踏んでない土地はなく、物語のない土地もない。あ、私の用があるのは石像の裏を回る、沢沿いに下る道です。
とにかくこの周辺はとても深く良い「気」に満ちてます。千二百年前の人も、同じように感じていたのかな。
秋色濃い沢。この流れが断層崖に差し掛かって
これが安龍ヶ滝。
滝つぼまで降りる階段が整備されてます。でも訪れる人はあまりいないようです。
森閑とした谷を下る静かな静かな滝です。
反対側は、鋭く切れ込んだ沢が一気に下の谷へと落ちていきます。人の身で行けるのはここまで。
戻る途中でウスヒラタケ。食用。最近のバラエティ番組の「キノコ採り名人に会いに行く!」的な企画で、名人と山に入ったはいいけど松茸とかのいいモノが採れなかった時、大抵このウスヒラタケでお茶を濁してます。キノコ界の救世主。
というわけで見るものは見た。不安定な天気で途中水入りもあって、結局丸一日、神社の駐車場を使わせて頂きました。ご神職は人界を離れた山上のこの家で日々神さまにお仕えしています。頭が下がります。
帰路は反対側の、長く稜線を行く道を使いました。途中眺望の良い場所に停めて
斜陽が紅葉の木々を照らし
陽が傾き
夜のとばりが降りてきます。
精霊の気が漂う神域で一日を過ごし、少しだけ心の汚れが拭われて…… いや、まだまだか。
↓ この季節の茨城の山歩きは、それなりに深い。
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