日々モノトーンの風景の中にある雪国の皆さまにこういう愚痴は申し訳ないのですが、雪のないここ茨城とて冬枯れの野山には色彩が足りません。新旧の写真から「色」を探してみます。
ナニ考えたんだか、昨年こんな写真を撮っていた。机まわりの石をセンスのかけらもなく事務的に並べてます。美大デザイン科の入試にある「平面構成」でこんな配置をしたら一発不合格です。
庭の菜園にはキャベツやらハクサイやらのアブラナ科がいつもあって、防虫網を掛けていてもモンシロチョウが産卵していきます。アオムシも見つけ次第駆除するのですが、人間の目には必ず目こぼしがあるもので、無事成長しおおせたのが畑まわりの塀とかで蛹になってます。越冬蛹は保護色の枯れ葉色。春を夢見て眠りの中に。これは見逃してやりましょう。食われたキャベツは戻らない。
ほんのちょっとしたタイミングの遅れが命取りになることもあります。塀まで辿り着き、身体を蛹の形に固定してさあ皮を脱ぐぞというところで極寒になり、動けなくなったモンシロ青虫。写真ではまだ緑色、生命を保っていますが、二日後には黒ずんでぐにゃりとしおれ、それは虫からモノに変わった色でした。こうして何割の幼虫が命を落とすのだろう。
ヒトもいつかは命を終えます。葬儀で行った和歌山の、そのスジで人気の「南海加太線」。終点の加太にはずらり居並ぶ人形で有名な淡島神社がありますが、この時には特別塗装の「めでたいでんしゃ」が評判でした。赤という色の持つ力強さ、生命力の表現です。生と死と、思うところはいろいろに。
赤と言えばこれ。いつも自慢してごめんなさい。農業県茨城に住む幸せ、我が家は毎年大量の栽培イチゴがほぼ無料で供給される「里山経済」に組み込まれていて、対価として作られるジャムの恩恵を頂いてます。これぞ生命の色。
庭の赤い実で最後まで持ちこたえていたクチナシも、ヒヨドリどもの標的となって食いちぎられていきました。それが本来のクチナシの戦略なので文句は言えません。
赤い実と言えば、その鳥の落とし物から芽生えた我が家のビナンカズラ。この実が赤く色づくのを楽しみにしていたら
赤くなるそばから鳥に持って行かれました。おのれえええ。それが自然なんだけどおのれええええ。
と思ったら繁茂したツルや葉の下に、無事な実が端正に色付いてました。霜に当たって少ししなびてますが、色といい形といい、野外で見る果実でこんな美しいものをほかに知りません。雄花雌花を同時に付ける両性株は貴重なので、大事にしたいと思います。
石の口直し。私らしい、と言っては自惚れですけど、やはり石はこう撮ってあげたい。
赤はやっぱり強い色。
晩秋、庭で最後に収穫されたパプリカ。食材としては好きじゃないけど、このまばゆいばかりの生命力に敬意を払っての一枚を。
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