山がない、どこまでもどこまでも平らな大地というものをイメージできる日本人がどれほどおられますでしょうか。
その昔、私が高校生くらいまでは、水戸の市街地はごく狭いものでした。その市街の建て物から南を見ると、山というものがなく、視界には遥か地平線まで続く広大な森。もちろん家々はあり道が通り畑も広がってはいたのですがみな木々のこずえに隠れ、人の介在しない世界が緑の地平線に消えゆくようでした。空に並ぶ雲がだんだん小さくなりながら彼方に霞んでいくのを目で追いながら、あの森に何があるのか、あの地平には何があるのか、漠然と思いを巡らせておりました。
この森(に見える畑作地帯)は海岸から水戸西部の丘陵が始まるあたりまでずっと台地の上に続くものでした。さすがにバブル期が始まる頃には開発されて次々とビルが建ち住宅団地が作られ、緑の地平線は消え失せました。そしてそんな森が最後に残されたのが常澄つねずみの台地です。
あはははは、ごめんなさい。また昔話になってしまった。年寄りだから許して ♥。まあとりあえず航空写真をご覧ください。
写真の範囲のすぐ上に大洗街道が通ってます。大洗においでの経験がある方、大洗街道をお車で、あるいは大洗鹿島線の気動車で、水戸市街を抜けて東へ海へと向かう途中、広大な水田地帯を通ったことを覚えておられますか。あのあたりが旧常澄村、今は水戸市です。街道の北側は水田ですが、南側は段丘上の台地になってます。浅い谷がわずかに谷津田に利用されるほかは一部が畑、あとはスギと雑木の広大な森でした。今はこの写真のあたりだけにまとまった形で残ってます。パッチワーク状のスギ林と雑木林、いつかはここも開発されてしまうでしょう。その前に歩かねばと思っていたのでした。
漫然と歩いても周囲は市街地、どこに出ようが困ることもないのですが、一つ目標を定めてみました。ここに行こう。…… おわかりでしょうか。冬に撮られた航空写真、スギは赤茶け、雑木は落葉してます。その中にひときわ大きく、鮮やかな緑に茂る木々を見つけました。何の木だろう。シラカシの大木と思いました。伐採と植林が繰り返されたこんな場所でシラカシの大木が残る、これは特別な土地に違いない。ほこらの一つもあるかも知れない。それを確かめることを今日の目標にします。特に大きな右下の1本を神話になぞらえて「世界樹」と命名します。行っくぞー。
今期最後にして最大の寒波襲来、北海道から鹿児島まで大雪というこの日本列島で、スポンと晴れた水戸上空。なんというか、申し訳ございません。さてどこからこの森に突入するか。終始ヤブ漕ぎになってもいいとは思ってますが、とりあえず進入路を探してみます。
すると地元有志による看板を見つけました。木戸房池? 「きどっぽいけ」と、いかにも茨城弁臭い読み方です。このあたりには河童が子供を引き込んだという恐ろしい沼の伝説が残っているのですが、それなのかなあ。
案内板。おお、地図にはない道が詳細に。「世界樹」への道行きのいい参考になります。池から谷沿いの湿地(谷津)が続いてビオトープもあるようなので、拝見いたしましょう。
池の傍らを行くと
浮世離れした眼には住宅や学校が興醒めですが
まあ撮りようです。
出た鳥見台。一時期流行りましたが、近年そのように使われているのを見たことがありません。みなこのように朽ちかけてます。
ベニヤ板を置いただけの木道。こちらもあまり維持管理されてません。
たぶん植栽のミズバショウ。
このあたりでやっぱりというか、道が途切れました。痕跡を辿ると
案内板で「上池」とあった場所は陸地化して、若いハンノキ林になってました。このまま乾燥化して森に埋もれていきます。湿性遷移、つまりはそれが自然です。
湿地が途切れたところできちんと管理された雑木林に出会いました。これはその道のプロのお百姓さんの仕事です。夏に来てみたいと思わせます。
ここでとんでもないモノに出くわしました。このすすけたクヌギを見た瞬間身体がビクッと。
オオスズメバチぃぃ! もう条件反射で飛びすさってしまいました。クマもシカもサルもいない、低地ならばイノシシもいない茨城の森で唯一の危険生物です。しばし間をおいて、今が冬であることを思い出しました。生きてるのがクヌギの樹液にいることはないと理性で納得してよく見ると、複眼が白くなってます。たぶん菌に侵されて死んでます。
同じ木にもう1頭。こちらは複眼は黒いままですが、同様にまるで生態写真そのままの、たった今飛んできて幹に取りついたという姿です。おや、と思いました。菌にやられたものが同じ木に2頭。偶然ではあり得ません。この湿地に立つクヌギの表面に何かがあると思われます。それとどんな菌にやられたかも興味があります。ムシカビか、冬虫夏草のハチタケか。これは継続観察せねばなりません。
なーんてそれなりに楽しみながら歩くうちに、ふたたび道らしきものに合流しました。ずっと先に開けた光が見えます。
ぱーっと畑に出ました。道路や太陽光施設も見えます。一気に現実に引き戻されましたが、これで現在地も特定できました。本日の目標を忘れてはいませんよ。世界樹まであと一息。さして手強くはないやぶを越えると、黒々と聳える巨木の前にまろび出ました。え?え?しかしこれは
マツだ。シラカシじゃなかった。
なんだこれは。アカマツでもクロマツでもありません。葉を拾ってもっと驚きました。
一か所から三枚の葉が出る、これ三葉松だ。日本の松じゃない。三葉松といえば北アメリカ原産のものです。いくつか候補が考えられますが
これはテーダ松。松ぼっくりはいつぞやのダイオウショウ(大王松)よりずっと小さく
鋭いトゲがあるので飾りや工芸には向きません。
踏めばふかふかするほどに降り積もった落ち葉。代謝が盛んな木です。とんでもなく成長が早く幹はまっすぐ高さ 30 メートル以上に。それだけなら良い材になりそうですが、早く伸びるぶん材はスカスカだとか。そんなこんなで日本ではシンボルツリー目的にしか植えられません。
周囲には実生の若木がたくさん。でも日当たりが良くないと育たない陽樹なので、これ以上繁茂することはないでしょう。最初の1本を、誰が何を想って植えたものか。たぶんその時にはここは伐採地でした。人家があったかもしれない。でも人は去り、この木だけがぐんぐん伸び続けたと。ああ神聖な土地でも何でもなかった。木が目立ったのは単に成長が早かったから。がっかりですう。…… とはいえ、ここまで歩いて気づくことがこの森にはありました。
土地が平らである。台地に広がる森というのをこれまで歩いたことがなかったので、アップダウンも渓流も岩場もないのが新鮮です。そこを地図にない道が縦横に走ります、まるで公園のように。これはもう少し歩かねば。
ゴミ山がない、というのも実は驚きです。東京や埼玉のビンボーゴミ処理業者にとって、茨城の森はお手軽なゴミ捨て場。海岸だろうが里山だろうが、古い冷蔵庫やらタンスやらが山をなして転がる風景があちこちに見られます。夜中に粗大ゴミを山積みにした東京や埼玉ナンバーの小型ダンプを何回か目撃しました。なぜこの連中に狙われるかというと、首都圏に近いことと茨城の道路の舗装率の高さです。人目に付かないけどトラックが入り込める田舎の道路沿いが狙われるわけです。でもここの森の道は地図になく、舗装もされてない。入り込めない。周囲は人目のある市街地。狙われません。
犯罪のない森でもあります。パリやロンドンに隣接する森は中世から現代まで犯罪者の巣窟であり続けていますが日本では聞きませんよね。それより特に茨城で怖いのは「ヤード」の存在です。茨城の山を歩いていて、山中なのにやたらワダチの掘れた、妙に車の行き来がありそうな林道に出くわします。そのくせ昼間に往来を見ることはない。そんな林道を進むと突然、ここから先は進入禁止だ、監視カメラもあるぞ、という物々しい警告看板が現れます。先にあるのは厳重に囲われた、森を切り拓いた一角。なに、なんぼ隠したって中は航空写真で丸見えです。そこにあるのは大量のスクラップ車。盗まれた車を解体処理して「出荷」する作業所です。中にいるのはこちらの常識が通じない外国人。関わったら無事じゃ済みません、おおこわ。…… ご安心ください。今日の森にはそんなものありません。
安全という意味では先程のケモノがいないというのも挙げられます。夏に歩くときはオオスズメバチだけ気を付けよう。小鳥の巣が落ちてたんだけど、たぶん鳥以外で目ぼしい動植物はいないと思います。ここは数百年の間に何度も皆伐され、植林され、あるいは放置されてきた場所です。生物相は単純化してます。林床には
マンリョウ。南方系で昔はなかったものです。
白実の変種もあった。シロミマンリョウと言うらしい。
わずかにナンテンも実をつけているのがありました。
ミヤコザサ。このあたりで林床を覆うのはアズマネザサが多いのですが、一部これも。概して笹に覆われない、歩きやすい森でした。
道は時に分岐して森を継いでいきます。下草が深く規制もかけられ、良からぬ者が入り込むこともないでしょう。幸いと言うべきか、最近の悪い奴は車でしか移動しませんから。
無心に道を行きますと、前方に廃棄された軽トラとブルーシートが表れました。粗大ゴミか?ヤードか?警戒してそっと歩を進めます。
どきどき。
グーグルマップにも名前のある塗装会社の資材置き場でした。溶剤の臭いを考慮してこんな場所に建てたのでしょう。
さらに進むと舗装路に合流しました。農婦の姿が見えます。挨拶してお話を伺いました。舗装路の先にあるただ一軒の農家のおばあさんでした。刈り払い機での作業を終えたところ。子供たちは家を離れおじいさんと二人暮らし。少なくとも5世代、江戸時代からずっとここで農業を営んでいるがもう跡取りがいないのだと。ポケットにあった干し芋を分けてくれて、二人で食べながらの語らいです。ほかに聞こえるのは小鳥の声ばかり。市街地や大きな道路に囲まれているのに信じられないくらい静かです。山林原野と広い田畑を持ちながら周囲が街で生活上の不便がない。私のような者にはこれ以上ない理想の暮らしですが、お子さま方にも事情はおありでしょう。芋のお礼を言ってお別れしました。
道はすぐ先で幹線道路に合流しました。夢のような立地のお住まいです。お元気で。
実はお話の最中も、おばあさんの足元をうろつくカマキリの幼虫が気になって仕方がありませんでした。暖かい日が続いた時にうっかり孵ってしまったのでしょう。この日本中が大雪騒ぎの時に何をしておるか。春まで生き残れるかなあ。
踵を返し森に戻りました。本当に平らな森です。地形の制約を受けずに、どこまでもどこまでも思索しながら歩ける道です。所有者ごとにスギ林だったり雑木林だったり、変化はせいぜいその程度。スギの下はもちろん、夏に雑木が葉を広げればそこもまた日が遮られ、ここはさぞや暗い森になることでしょう。暗い森、黒い森、黒森、シュヴァルツヴァルト。そういえばグリム童話の赤ずきんやヘンゼルとグレーテルが迷い込んだ森も起伏のイメージはなかったと思います。ドイツの平地は氷河地形であろうから日本よりよっぽどなだらかでしょう。そこを葉の濃いドイツトウヒが覆う、暗くて平らな森。魔女や狼が住まう森。生と死の交錯する異質な空間。日常から切り離された、ふだん起こらないことが起こる場所。物語の舞台として語られる、童話の生まれる森です。
そして道です。いつも申しますが、道は物語です。何かがあったから道がある。この分岐も、先ほどの農家のご先祖が水戸に向かうのに通ったかも知れません。往路は重い荷を負うて、帰路には家族へのみやげを持って、何かを思いながら何かに悩みながら、難に遭ったり幸運に遇ったり。長い物語が積み重なり、そして今は静かな道がどこまでも続きます。自分がいま水戸の市街地の中にいることが夢のように思えてきます。現実から逃げたくなったらまた歩きに来ようかな、なんて悪い考えが湧いてきました、うふふのふ。
やがてあの、最初に見た鳥見台が見えてきました。どうやら森を一周し終えたようです。今日の冒険はここまで。仕事で多忙だった頃からの懸案をまた一つクリアできました。
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