ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

ネームド 名付けられしもの

 

 名前って大事です。人であれ、モノであれ。

 

 鹿島アントラーズ水戸ホーリーホック。茨城のサッカーチームがJ1、J2それぞれの首位を独走しております。さすが中学生のサッカー部所属率日本一の県であります。そんな統計があること自体が驚きですけど。まあサッカーに興味のない身には地元メディアが喜んでいるのを見てあら良かったねと思う程度です、ゴメンね。


 さてそのアントラーズ。Jリーグ発足の年に優勝しております。ホームタウンは茨城のはしっこ(ごめんなさい)、当時まだ「町」だった鹿島。県がそれは立派な カシマサッカースタジアム を整備してバックアップしました。Jリーグ関係者は都会のチームが強い方が儲かるので、こんな田舎の連中が、と苦々しく思っていたとかいないとか。

 


              スタジアム公式より


 そのカシマサッカースタジアムが7月から名前を変えます。よりにもよって メルカリスタジアム だって。個人的にメルカリは盗品や希少生物売買のイメージがあって良い印象がありません。ネーミングライツという制度で、3年間1億5千万円で名前が買われたんです。タマシイ売ったな、と家人は言いました。県民文化センターザ・ヒロサワシティホール に。茨城県武道館東日本技術研究所武道館 に。…… なんか今の知事さんって嫌だねえ、とわが老母。でも(対立候補が)共産党じゃねえ、という言葉は保守的な茨城県民を代表するものだと思います。

 


 名前とは、そのものを表徴する地図の記号ではありません。たとえ記号として機械的に付けられたとしても、その名が人々に使われればたちまち固有で具体的な意味が付与されます。あなたの名が単なる「あなた」の記号ではなく、あなたの顔や声や人柄を近しい人々に思い起こさせるものであるように。そうして慣れ親しんだ名がある日突然、特定の人たちの一方的な論理で変えられてしまう。名というそれだけで言語であるもの、それがまとう言霊という大いなる力を軽んずる行為です。


 県とは別に水戸市ネーミングライツを行ってますが、こちらはまだ節度があります。高校野球の県大会決勝会場 水戸市民球場ノーブルホームスタジアム水戸 になりました。逸脱の幅は小さいと思います。しかもノーブルホームという建設会社の社長さんは元・高校野球の監督で今でも夏の大会の実況解説者だという、ちゃんと縁のあるネーミングなんです。

 


 名前について、いろいろと。


 エジプトの首都カイロ。紀元 969 年に建設が始まりました。その工事のくわ入れ式のときにたいへんな手違いが。エラいさんのくわの一振りで工事開始の鈴が鳴るはずが、カラスのいたずらで早めに鳴ってしまったんです。主賓をさし置いて一斉に工事が始まり、せっかくのセレモニーが台無しになるところです。そこでひとりの知恵者が、その瞬間に東の地平から昇り始めた火星に意味を求め、火星(アル=カーヒル)を「勝利の都」の意で町の名にしようと提案しました。カーヒル、英語名カイロはそして千年の都となりアラブ世界の中心として栄えていきます。…… ちゃんとストーリーになっているところがステキですね。


 「日本」は聖徳太子が日出処の国とか言っちゃったのがそのまま本国でも中国でも定着して、中国では 唐代の読み「ジイペン」→ マルコポーロジパング」→「ジャパン」になったというこれもストーリー。


 タイの首都バンコクは他称名、地元での正式名は「クルーテプ・マーハーナコーン…… 以下略」、日本語で「神の都にして偉大なる都、インドラ神の造りたもうた崇高なる宝玉のエメラルド仏像が安置されている大いなる都、九つの宝玉の輝く悦楽の郷にしてインドラによって与えられヴィシュヌ神が顕現する旧跡」だって。恐れ入ります、いろんな意味で。


 長いと言えばブラジル人の本名も長い。本人の固有名の下に父に始まる先祖の名や代々の苗字をつなげていくので、例えば「ジョゼ・ボニファチオ・デ・アンドラダ・エ・シルヴァ」なんてことに。ちなみにこれは短い方で、本当に寿限無みたいのもあるらしい。当人も周囲も面倒なので普段は「ジーコ」とか「アルシンド」(例が古くてすいません)とかのあだ名や通称名を使うんだそうです。

 

 


 最近、名前について個人的にイヤな傾向と思っているものがあります。生物名、特に動物の分類とその日本語名「和名」に関することです。

 


 近年、生物のDNAを増幅して分析する装置「DNAシーケンサー」が大きくその性能を上げました。高級なものだと一台1千万になろうかというその機械が研究室にずらりと並べられ、試薬などの予算が付けば簡単にDNA解析ができるようになりました。そしてそれを生物分類に使おうという学者が現れるのは必然ではあるでしょう。

 


 当然のことながら私とあなたではDNAに違いがあります。人種が違えばその差は大きくなるでしょう、でもヒトという同種の生物です。DNAに違いがあるというだけで別種という判断はあり得ません。ちなみに黒人アジア人といった「人種」は「亜種」、ヒトという種の中の多様性に過ぎません。

 


 われわれ日本人が「トカゲ」と呼ぶ生物、北海道の北端を除く四島すべてに分布します。この地域に住む人にはだいたい共通のイメージがあるかと思います。それが今は、何と3種に分けられているんです。経緯はこうなります。


                2003 年                   2012 年
  トカゲ    ニホントカゲ    ニホントカゲ
            オカダトカゲ            ヒガシニホントカゲ


 外見的にはまったく区別できません。なのにDNAのココとココが違うという理由で「別種」となりました。亜種ではなく別種。別種であることの古典的概念である「生殖的隔離」、つまりかけ合わせたときに生殖能力のある子ができるかどうかについてどこまで検証されたのか、ネットではわかりませんでした。この研究をしたのが京都大学の先生で、日本爬虫両生類学会会長、標準和名委員会委員長なんて肩書のある方で、なるほどこういうエラいさんの研究じゃ誰も文句言えないよな、なんて下衆の勘ぐりをしてしまいます。再検証はこの方が鬼籍に入ってからでしょう。

 


 再録になりますがこの写真、茨城県内で撮ったものです。ヒガシニホンとニホン、大先生の論文では頭のウロコで区別できると書いてありますが、その点で見るとこれは西日本の「ニホントカゲ」です。でも採集地からはどう考えても「ヒガシ」のはず。このウロコによる識別法を検証した人がいて、的中率は半分くらいらしい。

 


 サンショウウウオではもっとひどい。私が大学生の頃の図鑑では日本産サンショウウオは16種くらいでした。それがDNA解析で次々と「新種発見」されてしまい、いまや多めに数えて49種だとか。もちろん「新発見」された(それまで同種とされていた)種どうしは見た目で区別できません。区別したかったらボクたち研究者に送って下さいだって。

 

 DNAでしか区別できないものを「別種」にする意味ってあるんだろうか。

 

 


 かつて生物の分類と新種発見には壮大な物語がありました。生物分類の基礎を築いたリンネは、弟子たちを「使徒」と呼んで世界中に派遣して博物標本の収集を行い、その何人かは冒険の末に世界の果てで命を落としました。時は下って英国の黄金時代、広大な植民地に放たれた「生物ハンター」たちは人生と引き換えに膨大な標本を大英博物館と王立キュー植物園に送り、それは人類がこの世界を知る一助となりました。近代の日本でも分類学者は採集道具と野営装備を巨大な荷にして背負い、鉄道とバスを乗り継いで標本集めに山野を歩き続けました。それぞれに夢とロマンと冒険のストーリーが紡がれていったのです。

 


 空調の効いた部屋。モニターに表示されたデータで成される「新種発見」。標本は他人が採集して送付されたもの。そういう時代でしょうからいけないとは申しません。ただ言いたい。今の分類学からロマンとストーリーは失われました。数値データだけで経済が動く現代の、ひとつの象徴です。

 

 


 なーんてね。終末論的ロマン主義に走り過ぎました。ご安心ください、マイナー昆虫や微小動物、つまりは 売名 に不向きの分野ではまだまだ「足で稼ぐ」タイプの若い研究者が頑張っています。植物分野でもDNAで種を細分化して新種発見しようなんて外道な動きはあまり無いようにお見受けします。生物分類は古き良き博物学の流れをくむ方々がまだ主流です。生物が好きだから生物学者になった、そんな人が慣れ親しんだ生き物の名を変えたがるわけがありません。かつての牧野富太郎南方熊楠のような稚気にあふれ情熱にたぎったナチュラリストが学者たり得る、そんな余裕のある社会でこそ学問が発達するのだと私は思っています。

 

 

 

↓ この記事中のハエトリグモの先生、こういうひとのことです。

↓ その気になれば「新種発見」できちゃいそうなやつ。