ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

おふだが値上げ。

 

 せっかく定期的に覗いてくださるお客様が増えたというのに,しばし更新が途絶えたこと,お詫びします。


 大変でした。年間で最も大きな責任がかかる仕事があり,ストレスと風邪から体調を崩し,おまけに天体観測の泊まり込みまで入って,半鐘は鳴るわ火消は来るわというレベルの絶不調でありました。私はのんびり生きていたいのに。


 で,新年行事の「村松山詣で」が今日にずれ込んでしまいました。正確には「村松山虚空蔵堂」,私たちは「こくぞうさん」と呼ぶ名刹東海村にあるのですが,毎年そこで家族のためのお札と交通安全のお守りをいただきます。

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 朝9時のお護摩に間に合うように出発。余裕で到着。すぐ申込書に記入したのですが……あれ?

 

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 いただくお札とお守りは合わせて4つ。いつもご祈祷料三千円×4でお願いしてるのに……三千円の選択肢がない! 最低で五千円! 去年まであった三千円の項目がない!


 いやいや,これは重畳。つまり今年からは二千円分余計に虚空蔵菩薩さまにお願いしてくださるというわけですか。菩薩さまではなくお坊様が余計にそうしてくださるということですよね? そこらの神社で800円でいただける交通安全のお守りが五千円。地獄の沙汰も金次第と申しますが,さぞやご利益のあることかと。


 おいおい,これって税金のかからない「お布施」って扱いだろ? 京都の寺院の拝観料と同様,税務署も手を出せない,本来「寸志」の,金額が定まっているもんじゃないだろ?


 バチあたりなこと言うなと怒られそうですが,罰当たりなのは無税収入を一方的に吊り上げようとするお寺の関係者ではないでしょうか。朝日新書の「京都ぎらい」(井上章一)は京都の坊主の生臭ぶり,浅ましい所業をたっぷりと告発した本で,私が京都に抱く不快感を喝破した名著です。皆さんもご一読するとともに,京都なんぞを有難がるのをおやめになることをお薦めします。


 念のため申し上げますが,私は神仏の加護を誰よりも尊ぶ古風な人間です。だからこそ神仏と,それをネタに食っている人間は厳密に区別したいと思います。

 

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 なんて言っても仕方がないのでいつも通り4つ。しめて2万円。税金がかからないんですよね。いいですね。

 

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 このあと「日本最高のパワースポット」,県北芸術祭でもご紹介した御岩神社にも行ってきました。相変わらず大変な人出でしたが,駐車場もトイレもよく整備されていて問題なし。京都なら拝観料取ってもおかしくないレベルの人気と設備で,実際そうしても人は来るのでしょうが,ここは本当に「本物」なので私でもおカネ払っちゃうでしょうが,でもできればこのままでいてほしいものです。


「本物」御岩神社に関してはそのうちきちんと記事にいたします。期待しないで待っててください。

 

 

 

関連記事ちゃんと記事にしました)

御岩神社:パワースポット,ショウジョウバカマ,イワウチワ - ジノ。

御岩神社 タマアジサイと光の柱 - ジノ。

 

 

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ゼフィルスの卵

 

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 40年前に採ったミドリシジミの標本。このヘタクソな展翅が,そのまま私の大切な思い出です。


 ゼフィルス,というのはチョウの一群の俗称です。でも我々虫屋(昆虫愛好家)には,単に昆虫の名前という以上の,たくさんの記憶,息遣い,そして郷愁を呼び起こす言葉です。

 ゼフィルス,それはギリシャ神話の西風の神。その名を学名の「属」の名称としていただいたのは,美しい金緑色の翅をもつ一群のシジミチョウの仲間でした。分類研究が進むとともに属は細分化され「ゼフィルス」の属名は無くなりましたが,他のシジミチョウとは形態的,生態的に明らかに独立したグループであるため,その全体を示す通り名として今に残っています。正式にはミドリシジミ類と呼ばれます。


 十年以上前,3度の冬をゼフィルスの卵探しに出歩いたことがありました。ゼフィルスは卵で越冬するという共通の特徴を持っていて,成虫より採集が容易であることから,ゼフィルスの越冬卵探しは虫屋さんたち定番の冬のフィールドワークなのです。そしてその時見つけた何種かの越冬卵の写真をどこかで発表できればと準備していたのですが機会なく,写真フォルダごとお蔵入りしていたのを思い出したので,今回晒させていただきます。


 最初にお断りしておきますが,「ゼフィルス」「卵」で検索していただければ美麗にして精緻な写真がいくらでもヒットします。私はこういうプロ級の方々に張り合おうという気は毛頭なくて,本当に10年以上前のシロート写真です。備忘録です。種類的にも,茨城県に産する種のごく一部しか紹介していません。ご理解ください。


 というわけで。

 

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せーの

 

f:id:xjino:20180121114642j:plain どん


 半径1キロ以内に人のいない山中で遊ぶのは楽しいなあ💛


 手にした高枝切りバサミが卵採集の必需品です。ゼフィルスの卵は,多くの場合樹木の枝先に産み付けられているから。

 

① ウラゴマダラシジミ

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 もっとも原始的なゼフィルスとされます。だからということもないんだろうけど,なぜ麦わら帽子型なんだ。どういう必然性があるのだ。

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 産卵位置。イボタノキの幹に数十個固めて産み付けられることもあります。

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 成虫。へろへろと飛ぶので採集しやすい。


② ウラキンシジミ

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 成虫は薄暮から夜間に活動。私,成虫見たことありません。樹皮の滑らかなマルバアオダモの,わずかに亀裂があったりするその場所に産卵するので探しやすい。卵は固めて「卵群」として産み付けられることが多いです。

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 産卵位置。


オナガシジミ

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 オニグルミを食べる変わり者。基本は高地のチョウなのですが,標高400メートルという破格の低標高地に産地を見つけました。卵の表面の△型の突起が不思議です。

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 産卵位置。


④ ミズイロオナガシジミ

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 全ゼフィルス中の最普通種。沖縄・離島を除くほぼ全国に産します。なのにわざわざ飼育してしまった。

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 こんなの。


⑤ ウラミスジシジミ

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 産地が安定しないチョウ。今年採集できた場所に,翌年も卵があるとは限りません。きっとメスには放浪癖があるのでしょう。山地性のイメージがありますが水戸でも採集しました。

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 飼育中の幼虫。独特の文様があります。

 

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 この時は無事に羽化しました。


ミドリシジミ

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 湿地のハンノキに群生します。中学生の時に見た,何千何万という金緑色に輝く成虫の大群飛を私は生涯忘れません。

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 十円玉と。どれだけ小さいかわかります?

 

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 野外の幼虫。


クロミドリシジミ

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 全国的には希少な種なのですが,茨城には水戸をはじめ各所に産地があります。

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 産卵位置。

 

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 成虫。一緒に採集に行った先輩方,お元気だろうか。


⑧ オオミドリシジミ

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 ファボニウスという青緑色の翅をもつ一群の中で唯一,低地に普通に産します。とはいえ漂泊の民で,ここかと思えばまたあちら,産卵地が動き回ります。

 

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 道路の傍らのこんなところに産卵してあります。

 

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 タマゴコバチに寄生されて食べられちゃった卵。……よく見ると,ダニの足が出ています。ねぐらにしているのでしょう。ミクロの世界の間借り人。

 

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 40年間オオミドリシジミとして標本箱に収まっていたのですが……よく見たらなんか違う。同じファボニウスのエゾミドリ?


⑨ ジョウザンミドリシジミ

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 高地のミズナラを食する山地性の種。茨城ではかなり高いとこに行かないとお目にかかれません。というかわし成虫見たことない。


⑩ フジミドリシジミ

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 ブナを食する特殊なゼフィルス。湿潤な日本の気候に適応したブナとともに進化した日本特産種。わりと低標高地にもいるという話もあるのですが……。恐らくはブナの分布に左右されるのでしょう。

 

 おまけ① ムラサキシジミの卵。ゼフィルスではありませんが,コナラの木に付いていたのでそう思い込み,図鑑と無駄ににらめっこしました。幼虫の脱出孔開いてます。

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おまけ② ミヤマカラスシジミの卵。クロウメモドキという湿地を好むマニアックな木に付きます。カラスシジミ類は,ゼフィルスにごく近縁の仲間です。

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おまけ③ さあこりゃなんだ。同世代の人には「甘食パン」で通じると思うけど。同じクロウメモドキに付いてました。この妙な質感といい,ぜひとも素性を知りたい謎の卵です。

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おまけ④ 冬の昆虫採集の定番,エノキの根元の越冬幼虫たち。大きいのがゴマダラチョウ,小さい2匹が国蝶!オオムラサキ。水戸ではちょっと郊外に出れば生息しています。秋に食樹エノキを降りてその根元の枯葉の裏で冬を過ごし,遠い春を夢見ます。

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 直径わずか0.7ミリほどのゼフィルスの卵たち。母蝶たちはこのささやかな命を祈りながら一つ一つ食樹に託していったことでしょう。子供たちはその命をこの小さな小さなカプセルに封じ込め,低温で乾燥する茨城の冬を耐え,光あふれる季節を待ちます。食樹の芽吹きとともに目覚めた幼虫は,葉が固くなる初夏までに急速に成長し,蛹になり,羽化し,戦い,恋をして,またその命を小さな卵に託します。何万年も続く生命の営みが,ここ茨城の森でも繰り返されます。


 森の蝶,ゼフィルス。その美しさ,その希少さが多くの昆虫少年・中年・老年の心をつかんで離しません。虫屋の誰もが,何かしらゼフィルスの思い出を持っています。藪の草いきれの中で汗だくになって網を振ったよなあ。あの時採ったのはどの標本箱に入れたろうか。遠い産地に遠征したっけなあ。あの時には亡き友がまだ元気だったよなあ。仲間と戦果を競い合ったけど,もう自分しか残ってないなあ。


 そんな数々の思い出とともに,ゼフィルスは男たちの夢の空を今も飛び続けています。

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こんな水戸にもスズランは咲く

 

 私の「いつものフィールド」は花の宝庫で,行けば必ずネタがあります。こうしてブログなんて始めてしまうと,このフィールドの存在がとてもありがたい。

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 ……というわけで,今日は風邪ひいてるので少し手を抜かせてください。昨年にスズランの写真が撮れたので自慢半分に。

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 スズランというとやはり北海道のイメージでしょうか。冷涼な高原に自生します。実は有毒植物で,牧場では家畜が食べずに残すため,一面の群落になっていたりするそうです。スズランの群落の中を歩き回るだけで毒にあてられ死んでしまうというのはさすがにウソでしょう? 毒草のくせに君影草」(きみかげそう)とか「谷間の姫百合」(たにまのひめゆり)とかのステキすぎる別名が。見てくれがいいってのは本当に得ですね。

 

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 それがまさか,水戸にあろうとは。

 

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 温暖な平野が大部分の茨城県では,スズランはもちろん希少な種です。県のレッドデータブックに名前がないところを見ると案外あちこちに自生しているのかも知れませんが,どこにでもあるものでもありません。県内の某市町村の観光案内板で「この山中にスズランがあります」とあったその図はアセビでした。おいおい,有毒つながりかよ。

 

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 私のいつものフィールドは定期的に人手の入る場所で,草原の状態が保たれるためにここでしか見られない草原性の植物がたくさんあります。キキョウ,オミナエシ,オケラ,カセンソウ,センブリ……いずれご紹介します。日本の気候では,草原はすぐ森林に飲み込まれてしまい,草原性の植物の生きられる場所は消滅してしまいます。こういう植物はきっと大昔から,人間とともに,ヒトの傍らに,人々の営みに寄り添って生きてきたのでしょう。


 今年も来年もずっとその先も,この花々が咲き続けてくれることを。

 

  

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クロアナバチの夏    【虫です】

 

 

 いつものフィールドの芝地に,8月も後半になると黒衣の戦士が現れます。体長だけなら小型のスズメバチに匹敵。細く黒い矢のようなボディ。白化粧した顔に漆黒の大きな眼,強圧的な大あご。糸のように細い腰はあらゆる方位に毒針を繰り出す砲のターレット。名をクロアナバチといいます。素早く飛んで身を伏せて,夏の終わりの黒忍者。

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 このハチは,出現するとまずトンネル穴を掘ります。掘りまくります。一か所に3つ。掘り出された赤土がとんでもない量なので,穴のありかが遠くからでも一目瞭然です。労力もさることながら巣がこんなに目立っておい大丈夫か。

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 なぜ穴3つかというと,敵に対する偽装工作なのだそうな。そして最凶の敵にはまったく効果がないのだそうな。なんというか,所詮はムシですねえ。

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 クロアナバチ。ファーブル昆虫記を読んだ諸兄にはおなじみの「狩人蜂」の一種です。けっこう神経質で,顔を近づけると疑似攻撃を仕掛けてきますが,ファーブル先生の教えを知っているから別に怖くはありません。その決死の威嚇に敬意を表して一歩下がってあげますけど。


 狩人蜂の毒針は「麻酔」用。毒はないので刺されてもそれほど痛くないのです。彼ら,いや狩りをするのはメスなので彼女らは獲物の中枢神経を刺して自由を奪い,産み付けられた卵から孵った幼虫はエサとなった昆虫を生かしたまま食べていきます。母バチはたった一人でそれぞれの子にエサと個室を準備しなければなりません。いちいち近づく外敵に本当の攻撃を仕掛けるなんて危険なマネを晒していたら子孫なんか残せません。そこは自分でよくわかっているのです。ムシでも賢いか,やっぱり。


 さて穴が3つ掘れたらハチは狩りに出かけます。クロアナバチの獲物は主にユムシ。草藪の中でハンティングを済ますと,自分の体長とほぼ同じ大きさの獲物を大あごでつかんで芝の上を引きずっていきます。3つ開けた穴のうち真ん中だけが本物の産室。もはや動けないツユムシは虎穴へと運び込まれ,哀れハチの卵が脇腹に。母バチはそこまで済ますと穴を塞ぎ,次の穴掘りシークエンスに入ります。クロアナバチの母親は,こうして晩夏の2か月間を穴掘り・狩り・産卵サイクルに費やすのです。卵から孵ったハチの幼虫はまず獲物をかじって体液をすすりウォーミングアップ。その後は脂肪組織や消化管など眠り続ける獲物の命に関わらない部分を食べながら大きくなり,最後に一気に食い尽くして蛹になります。ハチの姿をまとった子供たちが地上に現れるのは次の夏。命は引き継がれていきます。

 

 天敵。天が定めた敵,というわけですか。昆虫の世界では大抵の種に天敵が定められていて,しかもその天敵には抗えないという定めがあります。わかっていても食われるしかない。さらに多くの場合,その天敵は寄生性です。オオスズメバチの腹に寄生するものまで存在します。クロアナバチの場合,鳥やクモやカマキリに捕食される以外に,この産室を狙う天敵がいるのです。

 

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 警戒しています。自分がロックオンされたことに気づいています。狙っているのはこいつ。寄生バエの一種です。

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 ハエ・カの仲間「双翅目」は昆虫の中で最も進化したグループ。彼らは先に地上に現れていたすべての生物をエサとして進化しました。哺乳類,他の昆虫類,被子植物,地上にあるすべての高度な生命をターゲットに驚くべき生活史を作り上げた一群で,特に寄生性の種の巧みな戦略は調べるほどに恐怖すら感じます。


 そして今このクロアナバチを狙っているのは,ハチの獲物の横取りを目論む夜盗のような輩。ハチが獲物を産室に運び込んだところで,その入り口にそっとウジを一匹生み落とします。ウジは自力で奥に横たわる産卵済みのツユムシまで這って行き,すべてを食い尽くします。そしてハチの母親が我が子のために用意したこの土中の暖かな部屋で眠りに就くのです。そう,また外の世界にクロアナバチが現れ,自分たちのためにせっせとお仕事を始めるその季節まで。

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 クロアナバチはこの恐るべき天敵の存在に気付いていて,自分が追跡されていると知るやただちに警戒態勢に入ります。まっすぐ巣穴に向かわずに,時折獲物を地上に置いて周囲を睥睨し,時に寄生バエに飛び掛かります。寄生性の天敵にここまで能動的に対処できる昆虫はなかなかありません。しかし相手は翅が2枚の,昆虫界随一の飛行巧者(翅は少ないほうが効率が良い)。スピードも小回りも勝負にならず,瞬く間に撒かれてしまって,ハエは何事もなかったかのように元の位置に戻ります。


 それ以上観察はしていませんが,多分最後にはハチが諦めて獲物を運び込み,寄生バエはまんまと横取りに成功するのでしょう。これはこれでなかなかに悲痛なものですが,自然の営みに人間の干渉はむしろ有害です。これもまた天命なのです。

 

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 さてクロアナバチは,こうして降りかかる様々な災難と闘いながら晩夏を働き続けます。捕食や病気に遭わなかったとしても,一体どれだけの子孫を残せるものでしょうか。昆虫は通例,途中の死亡率の高さを勘案して数百個の卵を産むものですが,クロアナバチの場合はそんな数は無理でしょう。まあ私が心配することではありませんし,毎年たくさんのクロアナバチがこのフィールドを飛び交っていることを思えば,いろいろとうまくいっているのでしょう。

 

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 9月の終わり,ふと立ち寄った野原で,クロアナバチの亡骸を見ました。


 生きている時の精悍さそのままに,それは灯台のように高く伸びたヒメムカシヨモギの花穂に引っかかっていました。欠損もカビの菌糸も付いていないので,自然死なのでしょう。


 この女戦士……いや母親は,ひと夏を生き抜き,戦い抜きました。寄生バエや巣穴の崩落を運よく逃れて夏の陽光下に這い出して以来,産室を掘り,ツユムシを狩り,寄生バエに怯え,産卵し,カマキリの鎌や鳥の襲撃をかいくぐり,その繰り返しの果てにとうとうゴールへと行き着いた。その姿には死への恐れや悲しみ,短い人生への恨みや後悔など微塵もありません。ただただ生き抜いた誇り,務めを果たした満足に満ちていました。ふと思います。この死に場所は,彼女が自ら選んだのものではないかと。彼女は自らの死期を悟った時,自分がひと夏を戦い抜き,いま子供たちが生をはぐくむこの野原を一望できる高みに,最期の翅を休めたのではないかと。


 一匹のハチを見て思うのです。私はこれほど一途に生きてきたでしょうか。いつか来るその日に,これほど満足な貌でいられるでしょうか。

 

 


 よろしければ 秋の終わりのものたち 【虫】 - ジノ。 も併せてご覧ください。

 

 

 

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茨城のスミレ

 

 ジノです。日頃のご愛顧に感謝して,今日はキレイなものだけお見せします


 漱石に負けない私のスミレ好きはご存じ(花物語 スミレ - ジノ。参照)のことと思いますが,長年撮り貯めた茨城県内のスミレ全種の写真をご披露したいと思うのです。


 日本はスミレの王国ですけど,茨城県は中途半端な地理上の位置ゆえさほど種類は多くありません。特にキスミレの類は一種も産しませんし,高山性の種もありません。文章少な目でご紹介します。それは無理か。


アオイスミレ

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 3月中に最盛期を終えてしまうという恐ろしく早咲きのスミレ。清楚な花色の中に少しやんちゃな顔を覗かせて,あっという間に腕の間をすり抜けていきます。


アカネスミレ

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 茜色,というとどのあたりを指すのかよくわかりませんが,小さな草姿に鮮やかな紫の花を咲かせるこの愛らしいスミレにはふさわしい名です。思わぬ山中で出会うと少し幸せな気分になれます。

 

アケボノスミレ

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 上の写真冗談のように思えるかも知れませんが,本当にこんな風に咲いてるんです。挿したわけではありません。ソメイヨシノ彼岸花と同様,花が葉に先駆けて開くんです。なんとも華やかな満開の笑顔のような花は,こちらの気分も持ち上げてくれます。県北部のブナ帯に産します。


アメリカスミレサイシン

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 初見で正体が知れず,えらく悩みました。ようやく文献でウィオラ・ソロリアという学名にたどり着き,しばらくはそう呼んでいました。和名通りの外来種です。日光の東照宮あたりに白花品種が咲いていましたが,水戸の西部丘陵地には紫花が野生化しています。涼しいところがお好みの異人さん。つやのある濃い花色の花弁は本邦産にない特徴で,やっぱ外人さんだ。


アリアケスミレ

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 変化に富んだ花色を有明の空になぞらえたとか。スミレの仲間はみな好意的なネーミングで幸せですね。暖かい地方が分布の中心で,分布の端に近い茨城では珍しい種です。私はわざわざ県南の利根川まで撮影に行きました。スミレには,そうまでする価値があるから。


エイザンスミレ

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 好きだなあ,細く切れ込んだ葉に白く上品な花。横顔をほんのり朱に染めるあたり,そこらの村娘とは一線を画します。山地の林床,結構暗いところでも花を咲かせています。なんというか,山中に迷い,たどり着いた謎の屋敷にひっそり暮らしてた高貴な娘,なんて想像する私は変?


カワギシスミレ

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 エイザンスミレとマキノスミレの交雑種。両親とも美しく花付きの良いスミレで,その遺伝子を継いだ薄い赤紫色の花も品がよろしい。惜しむらくは交雑種で種子ができないこと。さらに残念なのは,この写真を撮った福島県境の林道が閉鎖されてもう会いに行けないこと。縁がなかったんだろうなあ。


コスミレ

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 小さいスミレ,とは名ばかりで,特に花後はとんでもない大株になります。人家に多いスミレで,ずっと昔からうちの庭にありました。家を新築した時に消滅したのに,いつの間にか舞い戻っているしたたかさも備えてます。とにかく花付きの良いスミレで,鞠のようになって開花しているのをあちこちで見かけます。3枚目の写真は我が庭で一番元気な個体。にぎやかですね。


コミヤマスミレ

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 はいこれが2018年の課題です。暗いくらーい林床を好む南方系の小さなスミレ。茨城は分布の北限に近く,私は1か所の産地しか知りません。で,花期にも出会えていない。この花を撮ることができれば,茨城県産の基本種をコンプリートなのです。


サクラスミレ

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 「スミレの女王」の名をほしいままにする,山地性の美麗種。平野の広がる茨城県では希少なスミレなのですが,実は水戸や日立の低山丘陵にもあります。でもどうしたことか低標高地の花はみな小さい。大輪のサクラスミレらしい花はやはり県北山地に行かねば出会えません。さすが女王さま,もったいぶるなあ。ちなみに「サクラ」の名は,花弁の先が桜のように少しへこむからだそうです。なるほど。


スミレ

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 前出の記事があるので多くは語りません。私の大好きな花です。


シロガネスミレ

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 最近目につくようになったのがこれ。アリアケスミレだと言い張る人がいましたが,引っこ抜いて根を見れば判別が付きます。スミレの変種の一つで,なんと東京の白金で発見された故の名だとか。そんな都会で,と思いますが,これがよく生えているのは路傍のアスファルトの隙間ですから,案外都会っ子なのかもしれません。


アツバスミレ

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 これもスミレの変種,海岸型です。高温・乾燥に耐えるために分厚い葉と発達した地下茎を持ちます。見つけたのは日立の駐車場ですけど。


タチスミレ

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 背高のっぽの変わり者。茨城のスミレで特筆すべき,と言えるのがこれです。川沿いの湿地帯に生え,花が咲いた後1メートルまで茎が伸びるびっくりスミレ。河川改修とともに全国で絶滅していき,最後にここ茨城に残っています。小さな小さな白い花を控えめに開きます。この写真を撮るために県南に3年通いました。


タチツボスミレ

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 日本の湿潤な森林気候に適応した「日本のスミレ」とでもいうべきスミレ。あちこちで大群落を見かけます。適応が進んで,各地で新たな種分化が起こりつつあり「タチツボスミレ類」という一大勢力になっています。ただし茨城にはこれ一種。まあわかりやすくていいんですけどね。花色は薄い紫色。これが陽を浴びて一斉にふるふると春風になびく様は天の国もかくやという美しさです。

 

ツボスミレ

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 花期の長いスミレで,6月に田んぼのあぜ道をびっしりと白い花で埋めてます。その小さな花は他のあでやかなスミレたちを見たあとでは決して目を引くものではないはずなのに,ついカメラを向けてしまいます。一花の美しさというより,群れて咲く楽しさ,にぎやかさが魅力です。いろいろな作戦があるものです。湿地性の変種アギスミレというのもあるのですが,すいません写真見つかりませんでした。


ナガハシスミレ

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 ふざけているわけではないんだろうけど,なんでしょこのクチバシ。サーベルタイガー? マンモスの牙? 正しくは「距」と言って蜜を貯める部分らしいのですが,こんなにも突き出す必要が果たしてあったのでしょうか。それにも増して不思議なのがその分布なのですが,それはいずれ稿を改めてと思っております。


ナガバノスミレサイシン

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 太平洋ベルト地帯に分布するスミレ。茨城は北限に近い飛び地分布で,筑波山で見られます。やたら顔が長いほかはあまり特徴がない,と言っては可哀そうかな。


ニオイタチツボスミレ

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 タチツボスミレより花色の濃い,小さくとも自己主張の強いスミレ。かすかに芳香まで持ちます。と言っても私にはわからない。なんと,私は,こんなにスミレを愛するこの私は,こんなにもスミレを愛しているのに,スミレの香りがわからないのです。


 スミレの香り成分はβイオリンというのですが,この化学物質に感受性の「ある」人と「ない」人が1:1なのだとか。嗅覚受容体の遺伝子の差だそうで,私はその「ない」ほうのひとり。スミレの香りを永遠に感じることができません。理不尽とは思いますが,えてして人生こんなものです。


ノジスミレ

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 私がバイブルと仰ぐ「増補改訂 日本のスミレ」の著者いがりまさし氏が種の説明に二度までも「だらしない感じ」と表現するなどクソミソなので,つい私も雑に扱ってしまいます。身近にあるのにろくな写真を撮ってません。ごめんね。


ヒカゲスミレ

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 葉の陰に花をつけるなんてことしてちゃあ,日陰なんて名づけられても文句は言えねーわな。図鑑の写真ではもう少し何とかなっているんだけど。それなりに大きく美しい花なのですが,花数も少な目で,本当に日陰の生き方が性に合っているのでしょう。本人が幸せなら,そういうのも否定しません。


ヒナスミレ

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 バイブル本の「日本のスミレ」では「スミレのプリンセス」と称賛されています。このたおやかな花姿を見れば納得でしょう。透明感のあるうすピンクの花色はありそうでない,このスミレだけのものです。山上に生育し,早咲きで,お目にかかるのも一苦労な高貴の姫君。連れ帰っても,うちの庭なんぞでは咲いてはくれない気がします。


ヒメスミレ

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 こちらもヒメの名を持ちますがただ単に「小さい」という意味です。本当に小さな,しかしアスファルトの継ぎ目や芝生をびっしりと埋め尽くす逞しいスミレ。濃い紫色で自己主張も抜かりなく。山野を歩く専門家の先生たちの間で減少が心配されたのですが,実は身近にいくらでもあったというオチがつきました。

 

フモトスミレ

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 春浅いブナ帯の林床にひそやかに咲く小さなスミレ。私でも見過ごしてしまうことがあります。地味と言えばそうなのだけど,よく見ると距の部分とそれに続く花茎の赤紫が鮮やかで,まるで紅の軌跡を引いて飛ぶ火山弾のようです。

 

マキノスミレ

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 山地性のスミレ。ピンと立てた葉が凛々しいです。ブナ帯で見かける印象なのですが,低標高地にもあったような。実は私には正体のつかめないスミレです。

 

マルバスミレ

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 崖のような崩落地が好きっっという変なスミレ。私が知る中で,最も純白なスミレ。花茎に毛があるのをケマルバスミレ,ないのをマルバスミレ,なんて分類学者が人生に関わりそうな大事なことを言ってますが,私は気にしてません。

 

 以上26種。これ以外にヤミゾスミレという交雑種があるはずなのですが,たぶん見ることは難しいかなと思いリストからは外します。

 

 どうです? スミレってずいぶんと多様でしょう。しかもそれぞれに個性的。興味を持っていただけましたでしょうか。よろしければ,次の春からスミレ探索に出かけてみませんか? 身の回りをちょっと意識して見るだけで,何種類も上げられるかも知れませんよ。

 

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 最後に,私のスミレ遍歴の最初のエピソードを聞いてください。


 あれは30年以上前,大学4年の夏。私は北海道・大雪山の稜線にいました。凄まじい風でした。空は一様に鈍く白く光り,その手前を暗雲が覆っています。どこから来ているかわからない暗い光の中,目の前を生き物のように蠢く雲が地面を舐めながら飛びすぎていきます。強風の中立つこともできず,かといって立ち止まることもならず,吹きさらしの岩礫地帯を私と仲間たちは這うように身をかがめて前進してました。その,異星の大地もかくやという,あらゆる生命を拒絶したような大地に,一面に黄色いスミレが咲いていたのです。今にして思えばタカネスミレだったであろうそのスミレたちは,烈風に吹き飛ばされることもなく,ただ地上数センチの高さに付けた黄色い花を,一斉に打ち振るっていました。見渡す限りに,小さな小さな音の鳴らぬ黄色い鈴を全身で振り鳴らしているようでした。


 あの光景を思い出すたびに考えます。あれは本当に現実の風景だったのか。実は私の魂は肉体を抜け出し,冥界の風景を垣間見ていたのではないだろうか。


 そんな,異界としか思えない苛烈な世界で,今も生きているスミレたちがいます。なんと驚くべき生命でありましょう。

 

 

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続・赤い実食べた?

 

赤い実,続編です。


 いつものフィールドに今年はガマズミが豊作でした。

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 ↑ 10月のころ。


 完熟した実をガマズミ酒に,と考えていたのですが,今年のフィールド計画がすべてそうであるように,出遅れました。


 12月末にのこのこと出かけていきましたところ,実はあらかた鳥さんの腹の中。わずかに残った実を口に入れてみたところ……すっぱ~。

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 本来のクエン酸系の酸っぱさじゃありません。なんというか,酢酸そのものの酸っぱさです。どうやらアルコール発酵の段階を終えて,酢酸発酵に至っておるようであります。うわ,すっぱ~。


 どうしようもないので,庭に置いて鳥さんに食べていただき,そこらへんにガマズミを芽生えさせるという遠大な計画に着手しました。思い付きだけど。

 

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 偽装工作。

 

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 ナンテンにも。食べてくれるかな?

 

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 そういえば今年はエビヅルも豊作でした。全般的に「生り物」はよく収穫できたような。

 


追記

 ガマズミの実,枝から外れて偽装できないのを駐車場の隅に置いておいたら,何か小動物に食われてました。フンが残ってました。犬よりはるかに小さく,でも猫ではありません。実を食べる……? そういえば春先,クサボケの花を食っていく奴がいた…… ここは市街地なのに……


 頭痛のタネが増えました。

 

 

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今日も負けた

 

 今日も負けました。何にって? 茶店にです。


 市内某所,それはそれはステキな喫茶店があります。毎日通勤に使う道沿いにあります。なにがステキって,まずその外観。木造平屋,洋館ではないけど洋風,木目の浮いた木にペンキ手塗り,かなり古く元は物置だったかも知れない雑な造り,でもペンキの色調がセンス良く,古さや雑さが味になっています。夕刻になると灯がともりますが,それが電球。店内も壁材や梁のむき出しにペンキ,そして電球。これまた木目の浮いたテーブルにドライフラワーが飾ってあります。まさにロハスナチュラル,オーガニック

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 毎日その前を通るたびにああ寄りたいなと思うのです。でも仕事は山積み,店の前を通る時刻は毎日閉店近く。なんともノスタルジックで暖かな電球の灯りを横目に,ため息をつきながら通り過ぎます。特にコーヒーが美味いというわけでもなし。ただあの薄暗い店内で静かに文庫本を開く,そんな隠れ家的雰囲気を堪能したいのです。

 

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 え?土日は休めてるんだから,もっと行けるだろうって? なにもそんなにもったいぶらなくてもって?


 さあそこが問題なのです。この店に行くには,こちらも気構えが必要になる。精神的に余裕がなければ行けない,さながら戦いに赴く覚悟が必要になるのです。


 ぎいっと蝶番を軋ませて店内に入ります。水色のペンキをまとう木目と年輪が一斉にこちらを振り向く感覚,ああ,いい。


 店内にいるのは,ほぼ女性。2,3人連れの奥様が声高にしゃべっています。それはいいのですが,いらっしゃいませの声はありません。店主らしい女性は,あろうことか客と一緒になってしゃべっています。こちらの来店に気付いたそぶりをまったく見せないので,前の客の食器が片されていないテーブルに付いてスミマセンと手を上げると,わかってるわよといわんばかり,順番に伺いますとぶっきらぼうに言います。もうこの時点で劣勢です。


 年のころは四十すぎ,割烹着のようなエプロンをつけた化粧っ気のない姿は,店の雰囲気によく合っています。なじみ客との歓談をすぐには切り上げません。


 ようやく水を持ってきました。ホットコーヒーと注文すると時間かかりますよ,手挽きだから,順番につくるから,と一気に3つ言い訳を投げつけてきます。まだだ,負けるなわし。


 注文を済ませたところで前哨戦は終わり。私は文庫本を取り出します。ソロー「森の生活」。マサチューセッツの森の中,澄んだ水をたたえる湖のほとりの静かな,自然のリズムに合った,思索に富む生活の記録。世界中の自然を愛する多くの善良な若者に道を踏み外させた悪魔のような名著。でもその活字に浸ることはできません。


 後方2メートルで,なじみ客と店主が一層声高に歓談を始めます。標準語で聞き取りやすい分,その内容がクリアに頭に入ってきて読書どころじゃない。負けるなわし。戦え。


 私はイヤホンとiPodを取り出し,店の雰囲気に合ったクラシックをかけます。チャイコフスキーのバイオリン協奏曲。俗な選曲をお笑いください。ボリュームを調節してECCM(対電子戦)は完了。さあ今日はいけるぞ。


 となりのテーブルの中年カップルが席を立ちました。反対側にいた若い女性二人組も後に続きます。いかん,みな撤退していく。私のような気構えや装備を怠ったな。OK,君たちの分まで私は戦う。店主がイヤホンをつける私の動作を塀の上の猫のような眼で睨みましたが,私は負けません。以前,夕刻で他の客がいなくなったとき,この店主が私のすぐうしろで椅子をガタン!ガタン!(はよ帰れ!はよ帰れ!)と鳴らしましたが,今日はその程度では帰らないぞ。私は強くなったのです。もうこの時点で本末転倒になっているけど,知ったことではありません。とにかく敵の攻撃をしのぎつつ五十ページは読み進めるのが今日の戦略目標です。それに成功したとしても,支払いにレジまで行ったところでお客さん伝票は?と,そもそもテーブルに持ってこなかったくせにまるで客に落ち度があるような物言いをする,という最後の一撃を食らわされたこともあるので油断はなりませんが,今のところ戦いは優勢に展開しています。この調子だ。


 よそではどうだか知りませんが,水戸の個人商店のおかみさんはとても素直で正直です。近所の知り合いとしゃべっているときは愛想も笑顔も全開なのに,見慣れない男性客が店に入ってくると,たちまち仁王像の如き表情で応対します。ちょっと誰よ。どこのひと?なにやってるひと? あたしはお話ししていたいんだから,お金置いてとっとと出て行きなさいよ。店の親父さんは苦労した分わかっていて,たとえ商売がうまくいっていても愛想を忘れません。客への敬意を忘れません。しかしおかみさんは,それはもう露骨に態度に表します。このあたりはいずれ項を改めて書きたいと思っています。


 さあ戦いは続く。さながら螺旋のように。

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 後方では新たな客が入店したようです。援軍か。共に戦おう。誰であれ,店主の知り合いでなければそれは友軍だ。いける,今日はいけるぞ。


「お客さん,こちらのお客さんが座られるのでお荷物どけてもらえません?」


 不意打ちでした。はるか後方からキャノン砲の一斉射を食らった気分です。直撃です。しかも理にかなっている。関が原の石田三成ワーテルローのナポレオン。敵に不意の援軍が現れたときの驚きとはこんなものだったのではないでしょうか。


 荷物はどけたものの,浮き足立った心内を抑えることはもはや不可能でした。岩波文庫の小さな活字など,まったく頭に入らなくなってしまいました。全軍総崩れとはこのことでしょうか。残念ながら,潮時です。私の内なる司令部が撤退を決めました。また負けたのです。

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 店を出て,北風に吹かれて駐車場に向かう道すがら,私は嘆いていました。


 わしはただ,落ち着いて本を読みたかっただけなんじゃあ。

 

 


 これ,2年前に書いた文章なのですが,取材というか再確認のため,今日また意を決して行ってみました。午後4時半。相変わらず店内は女性だけ。おっさん一人客が激しく拒絶されるのが伝わります。追い出される事への予防措置に営業時間を尋ねますと5時にオーダーストップとのこと。ほう,そうですか。表に出ている看板には思いっきり19時までとありましたが。17時オーダーストップの営業19時。対おっさんルール,了解です。

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 エスプレッソをシングルで注文しました。今回は言い訳はありませんでした。出てきたエスプレッソは本当に一口サイズで,それはまあいいのですが飲んだらその苦いことったら。いつまでも口に残るいやーな苦さだったのは,こちらが身体をガチガチに固め全身全霊で警戒を解かなかったゆえだと思いたい。

 

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 身構えていたせいもあって特にトラブルはありませんでしたが,おっさん一人客の居場所ではないことに確信が持てました。もう来ることはないでしょう。


 居場所探しって,大変だなあ。

 

 

 

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