ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

悪魔は夜に毒麦を蒔く

 

 12月、総アクセス数が25万を越えました。

     

                        はてなブログより

 

 数値目標がないとはいえありがたいことです。特にいつもチェックしてくださる固定読者の皆さま、おかげで私は検索のブロックも怖くありません。


 しかしこのところアクセス数が伸び悩んでいるのも事実であります。理由はなんとなくわかります。最近の記事がつまらない。


 検索からおいでになる多くのお客さまがご覧になるのは昔の記事ばかりです。私もつられて読み返してみますと、以前の、特に役職に就いていた頃は「明日は仕事頑張ろう」とか「疲れたので潮騒を聞きたくなった」とか、追い詰められたギリギリの線で必死に記事を書いていたのがわかります。対して最近の雑文ときたら。


 安穏に堕した文章なぞ誰も読んではくれません。大人が顔をしかめるユーチューバーだってカラダを張っています。私もここらでひと頑張りせねば。そう思ったところで天啓が閃きました。


    夜の海にウランガラスを採りに行こう。

 

      
 …… いえね、過去記事でシーグラスとか蛍光とかけっこう読まれているもので。 ブラックライトに光るウランガラスは、以前に初崎海岸で拾ったシーグラスの中に偶然見つけたものです。これだけを集めたいなら、暗い夜にブラックライト片手に海岸を歩けば効率よく拾えるに違いない。わしってアタマいーっ。これを記事にすればウケるに違いないぐへへ。ちょうど冬は夜に潮が引く。新月の晩ならうってつけ。それが昨晩だったわけです。

 

              そして雨。


 初崎海岸の目印「津神社」が濡れそぼっております。家を出たとたん赤信号当たりまくりで嫌な予感はしていたんです。でもまさか降雨とは。どうした晴れ男、というかイヤらしい下心丸出しの時は神さまも容赦ありません、あああ。

 


 しかし雨なんざカッパ着ればどうということはない。砂浜への階段を降りてみて、事の重大さに気付いたのであります。

 


    砂浜が削れている。落差50センチ。


 この階段、以前は間違いなく浜の表面に繋がっておりました。それがこんなに段差がついて。昨日今日の話でない証拠に誰かが石を積み上げてくれてますがそれでも足りません。最後は軽く飛び降りる騒ぎです。いったいいつからこんなことに。

 


 実はここに来るのは久しぶりでした。夜この海岸に来る釣り人にマナーの悪いのがいて、人が通る場所にゴミから汚物まで置いていくのがイヤになったということがありまして。しかし砂浜が削れるのは別次元の問題です。原因は二つ考えられます。一つは地盤沈下東日本大震災の時は確かに地盤が変化しましたが、しばらく大きな地震は無かったのでこのセンは薄いかなあ。もう一つは潮の流れが変わった。ここに砂が堆積しなくなったんです。季節的なもの、荒天による、どこかに新たな堤防が築かれた、など理由はいろいろ考えられますがこの場ではわかりません。とにかく浜がない。

 


 それまでの堆積物も大潮の波に流されて、痩せた砂があるばかり。

 


 以前は砂利の中にたくさんのシーグラスがあったこの岩陰も、足元が無くなって基盤の岩が露出しています。ここは私の知る初崎海岸じゃないぞ。

 


 とりあえずブラックライトで照らして光ったものを拾ってまいりましたが、すべて貝殻片でした。そもそもシーグラスがないのに、ウランガラスだけがあるわけもない。


 うわあ、大変なことになっていました。シーグラス目当てにここに来る人がたくさんおられる、しかしそれを含む砂利が流れて来てません。痩せた砂浜があるだけのただの海岸になり果てていました。潮によっては浜に降りることもできないでしょう。落胆してお帰りになった方もきっといる、そう考えると胸が痛みます。


 この状況、原因がわからないし、わかったところでどうしようもありません。季節的な、一時的なものという可能性も残っているので、とりあえず潮が良くなる春まで静観しようかと思います。そのときにまた海岸の状況をご報告しますので、シーグラスが目的の方、しばしご辛抱願います。…… ここでシーグラスが採れなくなるのは、私にも悲しいことです。

 

 


 今回のタイトル、実は初崎に出かける前に考え付きました。新月の闇夜に海岸をうろつく自分を想像したらコレ↓ が浮かんだんです。


    フェリシアン・ロップス「毒麦を蒔くサタン」


 現実にはこんな↓ 姿でございます。これはこれで妖怪じみていて面白い。



 12月になってから、石拾い系にさっぱり戦果があがりません。こういう星まわりの時もある、と自分に言い聞かせています。

 

 

 

↓ 関連記事です。

↓ 復活しました。

↓ ランキングサイト、よろしければ

にほんブログ村 その他生活ブログ 季節・四季へ
にほんブログ村 花・園芸ブログ 野の花へ
にほんブログ村 その他日記ブログ 備忘録・メモへ

ジャングルブーツに穴あいた

 

 先日のフィールドで、右足に水がじわあっと。


 沢を飛び越えるのに濡れた砂を踏みました。すると厚い登山用靴下を透して浸水警報です。はてこの程度のぬかるみ、ジャングルブーツならどうということはないはず。

 


 どうしたんだ、HEY HEY HEY ♪ (© 忌野清志郎

 


 30年ほど前から代わるがわる履き続けるジャングルブーツ。これが何代めかなんて数えてません。

 


 確かに痛んではおりますが、この程度で浸水するかなあ。

 


 裏側を見たら…… げっ

 


 ブロックの一つが剥がれてるう。


 そりゃ浸水もするわな。もうこの靴は実用に耐えないことが一目瞭然です。

 


 かかとの摩耗もすさまじく、ブロックパターンが消えてます。こりゃダメだあ。


 このブーツを手に入れたのは昨年の12月。アメ横中田商店まで買いに行ったのを記事にしました。たった1年で履き潰したことになります。これは最速記録ではなかろうか。いいえ靴をけなそうというのではありません。安い靴なのは認めますが頑丈で安全で、身を削りながら私の足を守り、あらゆるフィールド行で私とともにありました。この1年だけでも

 


 天元台

 


 弥彦山

 


 戦場ヶ原で

 


 日々のフィールド歩きでいつでもいっしょ。

 


 何より大きかったのは、週2回の駅まで往復さんぽ。これだけで16キロ歩いて、さらにフィールドも歩くので週に20キロくらいになるでしょうか。これ、1年続けたら20かける52週で…… 1040キロおお?! そりゃ靴も潰れるわい。ていうか、人間ってそんなに歩けるんだ。うわあびっくり。


 いえ、今の生活になったのは4月からで、天候や父の病院通いの都合で歩けないこともあったので実際はその半分くらいでしょうけど、よくもまあ歩いたものです。靴も本望でしょう。


 では次のを買いに行こう。久しぶりの東京行です。ちょうど見たい展覧会も3つくらいあるので。さっそくネットで調べたら…… どの会場も平日から予約制になってました。日時指定です。遠い空の果てで、決められた時間にその場にいることを求められる。途端に面倒くさくなってしまいました。最近めっきりこんな奴です。結局、あれほど嫌っていた通販を使うことに。ああ、これが堕落の始まりだろうか。中田商店さん、よろしくお願いします。

 


 わあ、注文して24時間で届いてしまった。そんな褒めるしかない対応はやめてください。通販好きになってしまうではないか。

 


 じゃん。実は送料がタダになるというので、2足注文してしまいました。必ず消費するものですので。

 


 おおお、お願いした「紙の」最新カタログ、おまけにTシャツまで入っている。困る、こんな嬉しいことされたら本当にまた通販を使ってしまうじゃないか。困る、困るぞおお。

 


 Tシャツに貼られたシールに笑ってしまいました。「粗品」という言葉もさることながら、古風なシール素材に古風なスタンプ。本当に昔ながらの会社なんですねえ。こういうのも困ります。中田商店びいきが高じてしまう。ああ我ながらチョロいなあ。

 

              
 で、さっそく履いて「駅までさんぽ」に出てみたら…… かかとの背が両足ともひどい靴ずれを起こし、片道4キロで断念してバスで帰る羽目になりました。ううむ、何十足も履いてきたジャングルブーツで、これは初めての体験です。私の足が変わったか、ブーツが仕様変更になったか。これは対策をせねば。あと付属の靴ひもがかなり短くなって二重結びがしづらくなったので、これは別のものを使おうと思います。

 

 


 軽登山靴やタクティカルブーツを試したこともありますが、かえってジャングルブーツの良さを再認識する結果になりました。私の生活に、いや人生に絶対必要な「道具」です。野に山に、月面海岸廃墟のガレキ、どんな試練も踏み越えて。さあ冒険に出かけよう。

 

 

 

↓ 過去記事です。

↓ ランキングサイトです。

にほんブログ村 その他生活ブログ 季節・四季へ
にほんブログ村 花・園芸ブログ 野の花へ
にほんブログ村 その他日記ブログ 備忘録・メモへ

5回目接種しました / シオノギのは特効薬じゃないからね

 

    

 

 

 


 水戸の朝、ついに氷点下

 


 5回目の接種を終えました。体調に変化はないので調子に乗って、翌朝いつも通り往復8キロの散歩に出てしまった。さすがに馬鹿だと思う。

 


 1回目の時は翌日の夕刻、ごく一瞬発熱しました。以後はいたって平気です。効いてんのかコレと心配になりますが、初回から一貫して発生する副作用といえば

 

 うでが痛いよおおお。

 

 今回も当日の夜から痛くなって、翌日も続きました。まあ、腕を上げなければ忘れていられる程度なので仕方ないかな。これでもインフルエンザの予防接種(有効率40%)よりは予防に有効らしいし、できることはやっておきたいので。タダだし。

 


 接種のたびに感心するのはこの管理システムの優秀さ。送られてくる接種券にはちゃんと過去の履歴が印字されてます。接種現場で働く人たちも第1回の接種の時にはもう十分に効率的に動いておられました。あの短期間でよくこれだけのシステムを作ったものです。マイナンバーカードを作った総務省の役人に見習ってほしい…… っていうのは酷ですね。アレは国民をしゃにむに管理したい政治家と官僚が現場にブン投げたものですから。とにかく新型コロナ対策に関しては、政府も行政もよくやっていると思います。エラそうな物言いで関係者ごめんなさい。あと現場の皆さん ありがとうございます

 


 私と家族は因果と元気です。皆さんの周囲の感染された方の、ことによるとご自身の、さて症状はいかがなものでしたか。流行当初の味覚障害や要エクモの肺炎症状はどうでしょう。私の周りでは鼻水が出た、熱が出た、念のため病院行ったら検査されてあら陽性、というパターンが多くなった気がします。ほぼ風邪です。そもそも旧コロナウイルスって普通の風邪を引き起こすモノだったし。


 新型コロナに関して、60歳以下の重症化率は0.03%、これは季節性インフルエンザと同じです。以前の記事でお伝えしたように、ウイルスは必ず弱毒化して人類との共存を目指します。彼らの作戦は順調のようです。ただ感染力の強さはインフルどころじゃなく、高齢者の重症化率は高いまま。油断は禁物です。実は86歳の叔父が11月はじめに亡くなったのですが、8月の流行の時に感染して入院してました。コロナの完治後も体力が戻らず、入院のまま天国へ。死因は老衰とされましたけど、立派にコロナ関連死です。そういう統計、きっと多いんじゃないかな。


 知り合いの病院で、入院患者に8月といま12月にクラスターが発生しました。12月に罹患したのはこれまで陽性にならなかった人が大半で、8月に感染した人は今回は無事だそうです。予防接種と感染で、着実に社会免疫が作られつつある。そういえばもうクラスターなんてニュースにもならないのお。

 


 中国はこれからが大変ですね。徹底した隔離政策で、14億の国民にはおおむね免疫がありません。オミクロン株どころか致死率の高い以前の変異株にすら、です。中国製ワクチンって効かないという噂だし、どうなるんだろう。


 シオノギの飲み薬は、発症期間を1日だけ短縮する効果があるそうです、1日だけ。なんだそりゃーっと全国からツッこまれそうですが、開発期間を考えればそれだけ効果があるというだけで大したものです。1日縮まればピークの山も小さくなるだろうし。国産ワクチンも今の流行には間に合わないでしょうけど、やがて季節性インフルエンザと同じ扱いになるウイルスですから無駄にはならないでしょう。たくさんの人がこの病魔を調伏せしめようと戦ってくれてます。本当に頭が下がる。


 それにしても。


 予防法が確立されて、感染症は撲滅できると誰もが考えました。実際にこの地上から消し去ることに成功した天然痘の例もあるし。ところがこの21世紀の世になってもウイルスは人類の敵であり続けています。なんなんだウイルスって。

 

  
 さてこれが難しい。誰かがウイルスとはこれこれである、と定義するたびにその例外が見つかるんです。いま一番無難な定義は「遺伝子とタンパク質から成るパッケージ」でしょうか。ほら何だかわからない。その遺伝子だってRNAだったりDNAだったり、1本鎖だったり2本鎖だったり、コードする(作り出す)タンパク質もいつぞやのT4ファージなら300種類、ブタサーコウイルスに至ってはたった3種類。すべて病原性かと思うとその生物の遺伝子多様性に役立っていたり。もう得体が知れません。だからこそいまだに征服できないと言えます。

 


 新型コロナとプーチンさんは、間違いなく歴史の教科書に載ることになるでしょう。世界を混乱に陥れ、多くの災厄を振りまいた張本人として。わあどんな文面になるのかな。それを見るためだけに50年ほどコールドスリープしちゃおうかしら。

 

 

  
 そんなお馬鹿なことを言いたくなるくらいのコロナ疲れ、マスク疲れの私です。ああ。

 

 

 

 

↓ 関連記事であります。

↓ ポチいただければ慶賀の至り。

にほんブログ村 その他生活ブログ 季節・四季へ
にほんブログ村 花・園芸ブログ 野の花へ
にほんブログ村 その他日記ブログ 備忘録・メモへ

舟を編む、そして世界は回る/世界原色百科事典

 


     掌編です。

 


 職場から持ち帰った本や荷物が片付きません、半年経つのに。庭の小屋に段ボールがまだいっぱい。


 とにかく家の中にスペースを作らねば。それにはまず捨てること。書庫の本棚、何か捨てられるモノは……

 


 あった。

 


 さあこれは何か。お若い読者の皆さんわかりますか。これは百科事典というものです。そういう言葉は知っていても、本の実物を手に取ったことはないでしょ。

 


 昭和元禄総中流時代、俺って中流?なんて思った庶民は、家の本棚に箔を付けるために大枚叩いてこんな大冊のブツを買いました。中身には、50音順にこの世のあらゆる事象が並べられ、それについて解説が書かれています。まあ、今の世で例えるならウイキペディアを紙の本にしたものかな。各出版社が総力を挙げて作り、社会問題になるほど強引に売りまくりました。巻数は出版社ごとにいろいろ、庶民はその財力に合わせて選んだものです。我が家は全8巻の小学館、1965年刊。まあ妥当なところかな。


 で、どこの家でもほぼ無用の長物と化しました。昼寝の枕に重宝した、なんて話まであるくらい。我が家でも、父がこれで調べものをしている姿なぞ見たことはありません。主にこれを開いたのは、小学生だった私。

 

 


 これは固体ルビーレーザー発振の図解。ノートに書き写したっけなあ。原理なんかわからなくても、とにかく未知の知識に興奮しました。

 


 当時のミサイル一覧。1つを除いて米軍のものです。もちろんこれもノートに。知らない事物、耳に新しい言葉、そんな「知識」を身にまとう喜びを、きっとどなたも感じたことはあるはずです。子供は子供なりに、そして見栄でブリタニカ国際大百科事典全18巻を揃えた大人も、みな知識を欲したんです。たとえ開く機会は無かろうとも、この世の知識をすべて封じた書物が手元にあるというだけで、単なる所有欲以上のものがあったと思います。


 でも。


 おわかりでしょうか、書物ゆえの欠点が「紙の百科事典」にはあることを。そう、出版されたその瞬間に、もうその内容は時代遅れになってしまうんです。百科事典の編纂には10年以上の時間がかかりますから、もう編集段階で使えなくなる項目もあったことでしょう。世に出た時には過去の知識になっている。常に最新の内容に更新され続けるWeb事典との決定的な違い、かつ欠点です。

 


 書棚から降ろした小学館をぱらぱらめくって目に留まったのがこの写真。北朝鮮ピョンヤンの風景です。たぶん1960年代初頭のものでしょう。

 


 項目名は北朝鮮ではなく「朝鮮」。この当時の雰囲気が伝わりますね。この頃は産業や経済で韓国を上回っていたので、書かれる内容もなにかのパンフレットを丸写ししたような、この世の楽園とまでは言わずともいかにそれが素敵な国かを力説します。対する韓国の扱いは、政情不安もあってごく短く軽いものでした。百科事典とはかくの如く歴史資料にはなっても「知識」としては瞬く間に陳腐化するものなんです。作った人、やるせないなあ。

 


 世界は回る。その瞬間その刹那を人の心に刻みつつ、その時には事実であったものを単なる歴史として活字に残しつつ、人の世はかたち定まらず諸行無常で回ります。変わらぬものは星辰のことわり、大地の営み、生命の連続。それすらも人は次々と時代ごとに違う解釈を与えていきます。もう私は世に追随しません。やりたい人がやりなさい。

 


 さて問題は、この小学館の百科事典、いかに父に気づかれずに資源ゴミに出すかということ。私以上にモノにこだわる昭和ひとケタ95歳であります。手強い。

 

 

 

 

 

↓ そこをなんとか。

にほんブログ村 その他生活ブログ 季節・四季へ
にほんブログ村 花・園芸ブログ 野の花へ
にほんブログ村 その他日記ブログ 備忘録・メモへ

茨城県自然博物館・石展/石好きよ損はないぞ

 


     このブログでおなじみ、茨城県自然博物館。今回の企画展は石!


 常設展示もたっぷり見ごたえがあります。でも今日はすっ飛ばして、企画展会場に直行だあ。

 


 入り口にして、もう外からすげえのが見えてます。

 


 どかん。超巨大アメジスト晶洞だあ。ブラジル人もびっくりだぞ(たぶん)。

 


 小学生のアタマと比較してください。ひとかかえ、くらいまでの大きさならよく見かけますが、子ども丸ごと二人分はあるぞこれ。

 


 来場者をいきなり驚かすアイキャッチとしては最高です。さらに驚くべきは、何と個人蔵なんですよコレ、おいおいおい。…石好きの大金持ちというものがこの世にはいるらしい。

 


 このエントランスにはさらにラベンダー翡翠

 


 菊花石。彫刻じゃありませんよ。本当にこういうものなんです。

 

   
 さらに背後に巨大煙水晶。どっかんどっかんカマして来ます。

 

      
 次の展示室も大変なことに。中央にアーチストの手になる巨大水晶オブジェ。

 


 周囲に世界中から集められた巨大結晶。

 


 宝石コーナーまで。老若問わずすべての女性が足を止めます。

 


 もうこの最初の2室でテンション爆上げです。息もつかせずとはこのこと。この時点で今回の企画展は大成功と言っていい。

 


 このコたちが案内役。


 とにかく今回のテーマは目にも妙なる美しい鉱物の展示にあるようです。火山岩やら堆積岩やらの無粋な岩石を並べたりしない。ひたすら「美しい」を基準に選ばれた鉱物たちの饗宴が繰り広げられてます。そうです一般人が喜ぶのはこういう企画なんです。担当した学芸員さん、その思い切りというか割り切りというか、お見事です。

 


 平日は小学生の校外学習で引きも切らず。幼稚園は遠足かな。行動制限が緩和されてよかったね。

 


 どれだけ多くの子どもが、ここで人生を変えるような出会いをすることになるんだろう。この博物館にはそれだけの力があります。

 

         
 ここの唯一にして最大の問題は、ほとんど県境にあることです。私鉄線の駅から10キロ以上離れていて、自家用車しか交通手段なし。不便すぎて来たことない県民多数。客の大半は埼玉・千葉・東京ナンバー。なんでこんな場所に作ったかというと…… 実にお恥ずかしい、東京近郊でありながらいかに茨城が後進県かという理由がまことしやかに流布しているのですが、人に迷惑がかかるので今は言いません。今はね。


 おっといけない、まだ石展の解説が終わってませんでした。


 ダイヤモンド、トパーズ、コランダム(ルビー&サファイア)などの人気宝石にはそれぞれに独立した展示コーナーが作られてます。写真なくてすいません。ダイヤモンドを食い入るように見ていた小学校低学年の女の子がお母さんに「ねえ、私もこんなのもらえるのかなあ」と尋ねて、お母さんが「そうね、頑張ってステキな女の子になればもらえるわよ」なんて聞いた風なやり取りをしていたので、「このとき少女は、まさか自分が女海賊になって他人の財宝を奪うことになるとは夢にも思っていなかったのである」とナレーションを入れました、心の中で。うひひひひ。

 


 ざくろ石コーナーもありました。世界中の美麗かつ巨大な結晶に混じって、つくばのざくろ石がありました。うわあいっぱい。個人から寄贈されたものだって。

 


 ざくろちゃん解説中。

 


 蛍石コーナー。きれいな八面体がずらり。

 


 蛍光鉱物コーナー。いつもは常設展示のほうに置いてあります。みなさん歓声を上げていました。うん、初めて見ると感動するよね。

 


 そして嬉しいことに水晶コーナーが。

 


 紫水晶煙水晶。

 


 ジャスパーオパールもちろんメノウ。

 


 アワビがひっくり返ったみたいな、これはブラジルの晶洞水晶付きメノウ。

 


 オパールはオーストラリアのを。

 


 大子の玉髄もありました。

 


 これとは別に茨城の鉱物コーナーもあって、高取鉱山の鉄重石や玉川メノウが。わしこれ持ってる、なんて呟いてみたり。

 


 茨城の鉱物として有名なのは常陸太田・妙見山のリチア電気石。この標本は重さ数トンあるので運べなかったか、常設展示のいつもの場所にありました。

 


 常設展示だけでもおなか一杯になる博物館ですが、今回の石展は石好きならばぜひとも見るべき。見ごたえは私が保証します。もちろん他県の人大歓迎です。お子様の情操教育にもぜひ。前述したように車でしか来れませんが、駐車場は十分にあります。会期は1月29日まで。土日祝は要予約、スマホで簡単にできます。年末年始の休館にはご注意を。

 


 子どもたちが帰っていく。いい思い出になったかな。色も形も様々に美を競う鉱物の、2つとして同じものがないという不思議を胸に刻んでくれた子が、きっといる。

 


 こんなに不思議で美しいものが、今も人知れず大地にある。それだけで、この世界はまだ捨てたもんじゃないと思えるのです。

 

 

 

 

↓ ポチですわんわん。

にほんブログ村 その他生活ブログ 季節・四季へ
にほんブログ村 花・園芸ブログ 野の花へ
にほんブログ村 その他日記ブログ 備忘録・メモへ

メノウ鉱山探索/そこは気に満ちて

 


       踏みしめる冬落ち葉にも気はあふれ


 先日、呼ばれるように降り立った沢で見つけたメノウ(玉髄)のかけら、その集積地。土に埋もれたその様子から近くにメノウ鉱山があったと考えました。今日の目標は3つ。

① 鉱脈を見つける!
② 晶洞を含むかけらを見つける!
③ ナイフにできそうなかけらを見つける!

 ①はともかく、②は私が特に好きなものです。メノウ生成の最後の場所に作られる水晶、仏頭構造、鍾乳石様の模様。まさに個性の宝庫です。③は前回にここで拾った薄く鋭い破片のことで、磨けばそのまま石ナイフ。ここでしか拾えない貴重なものと判断しました。では突入!

 


 うぎゃあ。ひどいヤブです。茨城のように人を阻む地形の少ない地域の山は、戦後までほとんどハゲ山だったとご存じでしょうか。焚き木の需要で、植林された木以外はすぐに伐られていたんです。それがその後のエネルギー事情の変化で放置されて、好き勝手に伸びる雑草雑木の天下になりました。ここはまさにそういう山です。低層に密にはびこる枝葉が人の侵入を拒みます。人目があるかもと、今日はナタを置いてきてしまいました。いえいいんです。行くべきなら通してくれるし、行かざるべきはそこまで。ここは妙に気に満ちた森で、こういう場所はそういうものだと、最近ようやくわかってきました。

 


 まずは遠巻きに、周辺のヤブに埋もれた山道っぽいのを遡ってみたり。鉱脈が少し離れた場所にあって、そこから運んだことを想定したのですが何も見つかりません。やはりかけらの集積地のすぐ上が怪しい。

 


 ぐぬぬ、ここを登るか。


 ヒーヒー言いながら、何度も行く手を遮られて行きつ戻りつしながら、

 


 出たあ。大岩が現れました。写真の右下が岩脈になっています。

 


 近づいてみると……

 


 ありました。メノウというか石英の脈です。ここから掘り進んで行ったのでしょう。掘り跡っぽいのが右下に進んで行って……

 


 穴、坑道。一目見てイヤな感じが背を走りました。

 

     
 行っちゃならねえ。絶対に一人で行っちゃならねえど。本能がそう叫びます。

 


 ここを掘ったのがいつの時代のどんな人か想像もつきません。硬い火山角礫岩の岩塊をこれだけ掘るのにはかなりの期間を要したろうと思います。最初は露天掘りで、やがて鉱脈が岩塊の奥深くにもぐると坑道をうがって、メノウの脈を追って掘り進んで行ったのでしょう。そして採掘は終わった。その理由は知れません。とにかく今日の私の第1目的は達成しました。もうここには何もありません。私の胸の奥に封印いたします。

 


 ちなみに、ここから10メートル以上離れた、ここの岩脈の延長線上と思われる場所にまた大岩が露出していて、足元に転がる大き目のかけらにメノウの脈がありました。右の部分に縞模様があるの、わかりますか。メノウ脈は続いていて、こちらでも採掘の試みはあったようです。


 茨城県北部のここは1500万年前の海底火山地帯。現在の久慈川山田川に挟まれた火山角礫岩の大岩塊に、ビキビキとメノウの脈が入ります。きっとあちこちに、こんな小規模のメノウ鉱山があったんだろうなあ。まあ今回は、ラッキーな発見でした。

 


 さてそれではお待ちかね、メノウ拾いのお時間です。

 


 晶洞は、やはりありません。このようにクラスター状になったのがそれに相当する、ここの岩脈はそういう性質のものであったようです。

 


 石ナイフも、前回はあれだけかっこいいのがいくつも拾えたのに今回はさっぱりです。今日はこんな日なんだ。森への敬意が足りないのかもしれません。

 


 ぶつぶつ言いながら探すうちにぱっと陽が射して

 


 転がる石くれが次々に「メノウ色」に輝きます。

 


 光の精が踊るようです。はい、私は満足ですよ。

 


 杉の木が1本。

 


 その 股間

 


 メノウがはさまってました。引いても抜けません。取り込まれたようです。

 

 


 メノウの採掘が途絶え、忘れられ、スギが育ち。ヒトの営為を覆いつくす自然のちから。文明崩壊マニアの心の琴線に触れてくるものがありますね。とにかくここは樹々の枝から地に至るまで「気」が横溢しています。だから呼ばれた。なんか大切にしたいスポットだと思いました。と同時に、こういう場所で私まで取り込まれないよう気を付けねばとも思うのです。

 

 

 

 

↓ 呼ばれました。

 

↓ ポチいただければ有難く存じます。

にほんブログ村 その他生活ブログ 季節・四季へ
にほんブログ村 花・園芸ブログ 野の花へ
にほんブログ村 その他日記ブログ 備忘録・メモへ

百里基地航空祭2022 最後のブル-インパルス

 

       


 ああいけない、何だこの誤解させてアクセスを誘うセコい見出しは。アイドルが始球式をした時の見出しに「ノーバン」と書くようなものです。決してブルーインパルスが飛ばなくなるわけではありません。私個人の問題です。


 過去2年間開催されなかった百里基地航空祭。毎回5万人の入場者があるそうですが、たぶんこれは本開催の日の人数だと思います。例年は本開催の前日に、地元茨城県民の応募者だけの特別開催がありまして、私はいつもそれでゆったりと観覧しておりました。今年はそれがありません。すべての人が日曜1日に集中します。死ぬほど混むことは目に見えています。「渋滞・行列・人ゴミ」が大嫌いな私には悪夢のような状況でしょう。それに行く羽目になってしまった。例によって誘われたのを生返事で返していたら、パーク&バスライドを申し込まれていたんです。

 


 百里基地から20キロほど離れたここは大洗サンビーチ駐車場。朝5時半に家を出てきたら、もうこんなことに。これ全部今日の航空祭のお客さんです。さっそく渋滞。

 


 反対車線もこんな。私は地元ですからまだいい。遠くから来た皆さん、本当に大変です。

 


 陸の孤島と揶揄される百里基地。鉄道のアクセスがなく、周囲に数万台を収容できる駐車場なんてあるはずもない。基地内に停められるのは招待者だけ。バイクや自転車で来る人もあれば、中にはゲリラ駐車を狙うヤカラもいます。一般人の家族連れではこのパーク&バスを利用するしかありません。ああみんな何時起きで来たんだろう。行列はなかなか進みません。

 


 ようやく乗り込んだバスも、基地近くでやっぱり渋滞。いやあトイレ危なかったあ。

 


 基地の中に入ってもバスでしばし待たされました。もうすっかり、来たことを後悔しています。

 


 ようやくバスを降りてトイレに行っている間に、すでに2つ目の演目のF‐15の機動飛行が始まってました。

 


 部隊マークからすると、小松基地から来たようです。今の百里にF-15はいません。

 


 いつ見てもすごい機動力だなあ。世界最強の戦闘機です。

 


 続いてUH-60JヘリとU‐125Aによる救助活動演示。この救難飛行隊は百里のものです。

 


 おお人まで飛んでる。

 


 一度アレで吊り上げられたい。ええ、シャレにならないのはわかってますけど。

 


 朝一番の演示を終えたF‐2がいました。今の百里の主力戦闘機です。

 


 お尻を覗いて、アフターバーナーを激写。

 


 … でも申し訳ない。私も、そしてたぶんほかの多くのお客さんも、今日のお目当てはキミではない。

 


 青白ツートン日本の誇り。今日はブルーインパルスが来てるんです。

 


 救難演示の最中も、皆さんの視線はちらちらとこちらに向けられます。… なんかいかにも航空祭らしい絵になりました。

 


 さあいよいよ、まずは操縦者の紹介アナウンスが始まりました。いま基地に着いた人も、売店を冷やかしていた人も、一斉にエプロンに集まります。うわあ、本当に今日は何万人来てるんだろう。

 


 そして離陸。青空の下、いよいよ待ちに待ったブルーインパルスの飛行展示です。以下、撮った順にわーっと並べていきますね。適当に早送りして結構よ

 


 繰り出される大技の数々に観客からため息がこぼれます。


 ハートを矢が射抜く「キューピッド」。


 「クリスマスツリーローパス」。


 アメリカで披露して☆型の好きなアメリカ人を喜ばせたという「スタークロス」。広角レンズじゃないと全体が入りません。


 私の好きな「コークスクリュー」。しまった正面から撮ればよかった。


 いえ青空の下でブルーを見られたのですから、満足です。

 


 着陸進入に入るところで…… お気づきでしょうか、バックが高積雲で覆われています。ブルーインパルスの飛行展示が終わった途端に、空一面に雲が広がりました。どこから現れたんだと驚くほどに短時間で。


 気の毒に、このあと百里基地の主役・F‐2による機動飛行と対地攻撃演示があったのですが、空は曇りお客さんはぞろぞろと帰り始め、さぞや関係者は傷ついたろうなあ。ごめんなさい私もブルーを見られたのに満足してバス乗り場に向かっていました。


 ここで自慢を一つ、ウソ告白を一つ。初めて百里航空祭に来たのは中学生の時。いらい、雨や曇りに見舞われたことは一度もありません。ブルーインパルスは常に晴天の下で見ています。今回私の晴れ男伝説はまた更新されました。ウソというのは、8月に松島基地航空祭に行ったという話を書きましたが、実は松島には行ったけど基地内には行ってないんです。ああ人ゴミ嫌だ嫌だと思ううちに腹の筋肉が痙攣を起こして、ずっと宿で寝ていたんです。おかげでどしゃ降りになったと同行者には文句を言われました。私もけっこう本気で責任を感じております。


 実は今回も渋滞・行列・人ゴミが予想されて気分が悪く、夜もよく眠れていませんでした。決して楽しみにはできなかった。もうこれを最後に、航空祭へのお誘いは断ろうと思います。

 


 仕事を上がってからこっち、苦手なことへの耐性が下がっている気がします。些細なことで激昂して大声を上げる老人ってこういうことなのかな。人間とはかくも弱いものか。気をつけて生きて行こう。

 

 

 

 

↓ 過去の航空祭記事。ヒコーキ写真がさっぱり上達していないことに驚いた。 


↓ どうかひとポチお願いいたします。

にほんブログ村 その他生活ブログ 季節・四季へ
にほんブログ村 花・園芸ブログ 野の花へ
にほんブログ村 その他日記ブログ 備忘録・メモへ