皆さんのご在所ではまだ酷暑は続いておいででしょうか。ならばお悔やみ申し上げます。
水戸では――もともと関東の県庁所在地で一番気温が低い街なのですが――月曜日に秋の雲が出てるなと思ったらその晩から東風が吹き始め,きょう火曜日は窓際ならクーラーがいらないほどの風です。海からの冷たく湿った重い風。これが吹き始めると夏の暑さも一段落です。旧暦でもまだ6月なのですが,秋の匂いがするような。
「つるちゃんのプラネタリウム」様より
もともと自然を見つめながら生きてきましたが,昨年このブログを始めてからはいっそう季節の移ろいに敏感になった気がします。いかに現実にまみれようとも,この感覚は大切にしたい。そしていつか,自分なりの自然観,世界観に到達できればいいと思ってます。この効率偏重・利益重視の世の中で,こんな人間がいることもどうかお知りおきくださいね。
さておかげさまで仕事の方は一段落つきました。いろいろ愚痴ってごめんなさい。すべて片が付いたわけではありませんが,まあ自分のペースで進められるレベルにはなりました。いい風が来ています。今日は早めに切り上げて自然の息吹を肌で感じてみましょう。いざいつものフィールドの,見晴らしの丘に。
こういう時はいつも山下の駐車場に停めて,森の中の階段を60メートルほど一気に上がって丘の上に出ます。ひと汗かいて風に吹かれる爽快さ。ここから見えるのは遥か東の海岸線から日立の山,北西方向かなたには八溝山までの絶景。ただし海方向は海霧に包まれ,日立の山も今日は見えません。夏の東風の日はいつもこんな感じです。
ウツボグサは夏枯草かごそうの名の通りこんな姿に。もう少し前の状態の時が膀胱炎の薬になります。つい1か月前は下のような艶姿だったのですが。
イヌザンショウの花はもうすぐ咲きます。この花に集まる虫を語るだけでブログ記事一つまるもうけ。
キキョウはまだ咲いてます。もう何百枚も撮っているのに,見るたびにやはりカメラを向けてしまう。でも満足な写真にはならない。これほどフォトジェニックな存在を,このキキョウ以外に私は持っておりません。
何かがぱっと飛び立って,また戻ってきました。チョウです。
アカボシゴマダラ!
一歩一歩近づいて……
なんと10センチまで接近を許してくれました。頭をこちらにかしげているのは,それなりに気にしてはいるから。でもとにかく,アップで写真を撮らせてくれました。
体毛の一本一本まで写りました。精緻で,機能的で,そして美しい。野生の生命のこの気高さに圧倒されます。
かつては憧れのチョウでした。なぜって,日本では奄美大島にしかいないから。高校生の私は図鑑の写真を見ては嘆息したものです。
それがいつしかそこらへんになんぼでもいるチョウになってしまいました。理由は簡単。東アジアには広く分布するこのチョウを自分の庭で見たくて,中国大陸から連れてきて放してしまった愚か者がいるから。
愚か者なんて言葉は極力このブログで使わないようにしてきましたが,さすがにこれは。埼玉か鎌倉あたりのマニアの仕業とネットにありましたが,現地のマニア間では個人を特定できているんじゃないかな。いずれにせよ愚かしいことです。こういうだらしないことをするのはある特定の世代の人かなんて勘ぐってしまうけど,実際はどうなんでしょう。
すいません,怒りに任せてしまいました。アカボシゴマダラでしたね。
このチョウに罪はありません。放された土地の気候がとても合っていて,人為的環境もいとわない柔軟性もあったのでみるみる関東一円に広がりました。山頂に集まる習性があるので富士山頂でも目撃されたとか。たくましいことです。たくましさも,生命の美のカテゴリー。このチョウの存在が問題になるのは,在来のゴマダラチョウや国蝶オオムラサキと幼虫の食草が被るからで,これらに影響を与えるというので環境省から要注意外来生物に指定され,今は生態系被害防止外来種笑と呼び変えられています。いかにも役人くさい呼び変えですがそれはさておき。
実は2012年に撮った写真に幼虫が写り込んでいました。このころには水戸に定着していたんですね。
たぶんいろいろ偏見をこのチョウに対して持っていたのでしょう,私の標本箱にありません。中国語でしゃべられたらどうしよう,なんて。よし待ってろ。いま補虫網を取ってくるからな。そう思いつつまずは写真に収めようとしたのですが,接するほどにカメラを近づけてもナイスポーズのまま。ここまで協力的だと情がわいてしまいます。写真ならいくらでも撮らせてあげるから,ねえ殺さないで。 ううううう。
標本採取は生物学の基本中の基本です。残酷だという人のご意見もごもっともですが,とにかくそれが生物学なのです。でもまあ,これからいくらでも機会はあるでしょう。今日のところは生を謳歌してください。我ながら本当に詰めが甘い。
故郷を遠く離れた異国の丘を優雅に舞う美しいチョウ。生命のありようは,いつも私にある感慨を呼び起こします。
生きよ,たくましく。