ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

名を知りかたちを知る

 

    
     これはなんだろう。そこからすべては始まる。

 

 


 これはなんだろう。里山の畑の傍ら、土手の草むらに埋もれていました。種名の見当が付きません。判断できるのは、①草の実である ②元の花は5数性で柱頭は1本 ③こんな場所にあるから決して珍奇な種ではない


 いやいや読者さまを試そうとしたのではありません。周囲を探索して、すぐにこれがツリガネニンジンの実が茎ごと倒れ伏した物と知れました。名が知れれば、キキョウ科であるとかトトキという山菜名とか花の盛時の愛らしさとか薬草としての効用であるとか、先人が積み上げてきたこの植物に関する様々な知識、それがまとう文化までもが現れます。名があることで、この広大無辺な世界の中でのこの植物の立ち位置が明らかになるんです。この、その生物が持つ科学的、文化的なあらゆる属性、これを「かたち」と呼ぶことにします。

 


 これはなんだろう。庭のクチナシの葉の上にありました。カメノコロウムシというカイガラムシの一種だと知れば、その名にまつわる知識がこいつに対する私の正しい行動まで示唆します。こいつめこいつめと言いながら爪ではじき飛ばす、ぱちーん。

 


 これはなんだろう。まだ名を絞れません。名が無いことでかえってその映像は私の入力バッファに強力に保存されます。新たな図鑑をひも解きその名が知れるまで、むしろその美しさは私の心により深く刻まれますが、しかし名を知ってその「かたち」が明らかになるまでは、いつまでたっても私の本メモリに保存されることは無いのです。

 


 そのキノコの根元にあったもの。一面の単なる緑のマットであったもの。これをケチョウチンゴケの名で呼ぶことで、それに「かたち」が与えられます。初めて実体を持つこの世の構成物と認められるんです。

 


 自然に存在するもの、それは時に数式であったり法則であったり化学反応であったり、それを「発見」して「名」を与え、その名に関する知識を集積する、それが科学です。怪しげな「科学」を名乗る者もあるので「自然科学」と呼びます。その対象が生命であればそれが生物学です。


 では生命とは何か。この問いに「自己保存し自己複製するシステム」と答える者は、科学者としては正しいけれどこの世界の理解には程遠い。うまく言えないけれど、生命とはもっと曖昧模糊あいまいもことしたものです。じつは生命ではないものとの境界がはっきりしません。個々の生命にも大きな差はない。そこで「かたち」があります。生命はそれぞれの「かたち」を成す、あるいは「かたち」の中に入り込むことで初めて実体を得ることができる。その「かたち」に与えられるのが「名」なのです。

 

 


 林下で紫の光を射てきたもの、名を見極めます。タマアジサイ。名が与えられて、これはただ美しいだけでなく、私にその名にまつわる様々な思い出を想起させます。それはたとえ私とあなたが共に知る名でも「かたち」が違います。私とあなたでは「もんしろちょう」の名を持つものの「かたち」が違うんです。これが「名」を媒介とするときの不思議ですが、今回はこの点は深入りしません。

 


 ザトウムシと目が合いました。じつはこの類も多様で、これも本当は〇〇ザトウという名でしょう。でも今の私の認識では「ザトウムシ」で十分「かたち」です。もちろん専門家には許しがたいことで、つまりは「かたち」が違うのです。

 


 シダの前葉体が木のうろの中で細々と光合成をしていました。雨の当たらない場所で、たぶん精子が泳ぐ有性生殖はできません。ここでやがて朽ちる運命なのでしょうか、名も無いままに。

 


 県北の谷あい、たくさんある集塊岩の大岩の中で、なぜかこの岩にだけびっしりとマメヅタが着生していました。この岩だけというのには必ず理由があるはずです。科学的な、あるいはそれを超えた運命論的な部分で。

 


 マメヅタはシダ植物。胞子葉を出していました。ばらまかれた胞子はそれぞれに前葉体になり、その上で有性生殖をして初めて親と同じ姿、マメヅタの「かたち」になれます。ほとんどの胞子は朽ちて消滅し「かたち」を得ることはないでしょう。「かたち」を得ることの難しさ。私たちはこの世に存在できただけで奇跡なんです。

 


 林床に群生していたキノコ。これも現時点で名を知らず。私の中で「かたち」を成さず。

 

   
 枯れ木の幹に不気味な生命体、実はこれもキノコ。カワタケ(皮茸)かその仲間です。容姿も生き方も人間とのかかわりもまことに多様な菌類は、ご存じの通り私の好きな生物群であります。

 

       
 こちらはホウライタケの仲間、たぶんハナオチバタケ。この仲間はふつう群生するものですがぽつんと。いろいろ事情がおありなのでしょう。ヒトもキノコも変わりません。

 

    
 ジャゴケ。こんな「かたち」を与えられて、これは一生懸命生きてます。ヒトだろうがジャゴケだろうが、私たちは与えられた「かたち」の中でそれぞれの生を全うすることになります。与えられた「かたち」を使って自分の生を実現していく。すべての生命は平等です。

 


 人知れぬ森の奥、苔むした倒木上に、人ならぬ者が残したような不気味な文様。ごく微小で、知らなければ目に留まることはまずありません。粘菌の一種でヘビヌカホコリと申します。名を知ることで、ついさっきまで巨大アメーバとして倒木の中を這いまわっていたことやその不思議な生活史全体にまで想いが及びます。

 


 固化して内部が胞子となり、やがて崩れて飛び散ります。こんな生命の「かたち」がこの世にあることが嬉しくてならない私です。

 


 いつにも増して変なスイッチが入った記事でした。写真も気持ち悪くありませんでしたか。これもまた私の「かたち」の一部なのであります。たまにこのテの記事があること、どうかお許しくださいませ。次はもっと明るめのものを書きたいなあ、なんて。

 

 

 

 

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