今回はかなりオカルトです。苦手な方はどうぞご退出ください。旧作(マタタビ酒の作り方 - ジノ。)の続編を書くつもりだったのですが。
今年分のマタタビを拾いに行かなくては,と思いつつ今年も出遅れて,水戸近郊では型の良いのはみんなイノシシに食べられてしまいました。ううむ。
大震災以来イノシシが増えているとは聞きますが,マタタビが採取しづらくなった気がします。
まだマタタビがありそうな場所,と考えて思いついた場所がありました。
もう十年以上前,ふらふらと分け入った八溝山の沢の一つで,木々に覆われた広く平坦な河原を見つけました。静謐な,美しい森でした。林床にウスバサイシンが群落をつくり,大きく型のいいマタタビがこれでもかとばかりに落ちていました。まるで「遠野物語」のマヨイガのような,森を歩き回る私のような者へのご褒美のような森でした。ナチュラリストのとっときの場所。あの森に行ってみよう。
沢沿いの林道を詰めていけば行けた記憶です。ここらへん,と地図であたりを付けて出発。
ここだ! 細い記憶の糸をたどって,どうやら目的の林道に到達です。
天気予報では晴れのはずなのに,雨模様。林内が妙に暗いので前照灯を付けて分け入ります。なんかいやな予感がします。
途中にいくつか山作業の現場があったのですが,気になる看板が。「この先通行止め ○○には抜けられません」 その通りに,ある現場を過ぎたところで道のわだちがなくなりました。この先,道が荒れている可能性があります。車は捨てていきましょう。歩いていって,30分経って着かなかったら引き返すことにします。今日はそれ以上はよくないような気がする。
それにしても,ただならぬ予兆。何より,原発事故以来ひとが山に入らなくなり,けものが増えていると聞きます。茨城県にいないはずのクマの目撃報告まであります。虫の知らせとでも言いますか,いつもは置いていく山刀を腰に差して歩き始めました。
そんな高山でもないのに霧が漂います。雨に濡れた草を踏むと,濃密な生命の気が立ち上ります。
驚いた。本当に動物に遭遇してしまいました。前方の林道に飛び出した四つ足の下半身が。おそらく顔は草むらにあってこちらを見ているのでしょう。でも瞬時の私の眼には動物の下半身だけが林道にぽつんと浮かんで見えました。思わずあとずさりしたのですが,向こうもすぐにやぶの中を駆けていきました。黒い毛皮に短い尻尾,たぶん猟犬がはぐれてそのまま野生化したものだろうと思います。カメラは間に合いませんでした。
今度は動物の予兆。いやな予感は高まるばかりですが,とにかく30分探してみようと歩を進めます。いよいよ霧が濃くなります。さっきの奴が後を付けてこないことを時々確認しながら,山刀を握りしめながら。
そろそろ30分,というところで,前方で何かが動いているのに気づきました。道の先にある木の高さ3メートルくらいのところで,何かがぶんぶんと振るように,あるいは回転するように間断なく動いています。まるで必死に手を振るように。
背筋を冷たいものが走り抜けます。たぶん私の顔色は青ざめていたことでしょう。なるべく冷静にカメラを取り出し,その動くものを動画撮影しました。
意を決して近づくと,ぴたりと動きが止みました。もう,動いていたものが何だかわかりません。家で動画を見たところ,どうやらその木の葉の付いたひと枝だけが動いていたようです。 無風なのに。雨と霧の中,写っている視界内でそれだけが狂ったように動いてました。
もう潮時です。どうやらその木の向こうがくだんの森らしいのですが,行ったところでのんびりマタタビなんか拾っている状況ではありません。何より背筋の寒気が収まりません。
踵を返して林道を戻ります。山刀の柄を握りしめたまま。
このまま変なモノを連れ帰ってしまうのかなあ,なんて考えていたのですが,不思議なことにさっきの獣に遭遇した地点を過ぎると寒気はすっと消えました。
ようやくここに。今日ほど愛車が頼もしく見えたことはありません。こうして無事に家に帰り着いたわけで,どうやらあとを引くモノは付いてこなかったようです。
あの林道はいったい何だったんだろう。思うのですが,林道が行き止まりになったことでヒトの往来が途絶えた。するとたちまち,森は「山のもの」の領分になってしまったのではないでしょうか。そこに侵入しようとする私に,まずは獣で,次には木で,私に警告を与えてきた,なんて解釈をしておこうかと考えます。
県庁の展望台から。水戸はウソのように晴れてますが,八溝山方向には湿った雲が。つい2時間前,あの雲の下にいたんだよなあ。
若いころ,よく一人で夜の森に入っていました。
ムササビの写真を撮るために,漆黒の山道を登って行ったことがありました。夜の林道を詰めていって適当な場所でテントを張って寝てみたり,なんてことも。当時流行った「椎名誠と怪しい探検隊」がそういうことをしていて,真似をしてみたのです。真夜中の森というのは決して静かな場所ではなく,テントの中にも歩き回る獣の足音が聞こえてきます。森の奥からギャーと叫ぶ鳥の声も聞こえてきます。でもさほど怖いとは思いませんでした。若かった,というか怖いもの知らずだったわけです。ものが見えてなかった,とも言えます。たとえ木の陰からそっと何かが覗いていても,それに気付いてやれなかったでしょう。今はとても恐ろしくてできません。歳相応に,いろいろなものが見えるようになってしまったから。
田中康弘さんの「山怪 山人が語る不思議な話」は,日本の森にいる怪異なものどもと山人たちの遭遇記です。中には本当にぞっとする話もあって,あの頃の自分はよく無事に森を出られたものよと思うのです。もうやりません。なにより,本当に出会ってはいけないものに気付いたからです。もちろんそれは妖怪でも宇宙人でもありません。
夜の森で,決して出会ってはいけないもの。深夜の森にいるはずのないもの。いてはいけないもの。いたとしたら,それはすでにまともな状態ではないもの。もし出会ってしまったなら,間違いなくそれは寄ってくる。あなたに危害を加えるために。
それは 人間である。