人生80年として,夏は80回しか来ない。それはまるで回数券みたいに。… 回数券なんて若い人は知らないよな。私はもう半分以上使ってしまった。
夏には特別な意味があります。子供にも大人にも誰の頭上にも太陽が輝く。そんなまばゆい光に包まれた特別な思い出が,誰にでもあるはずです。
小学2年の夏でした。近所に仙台から越してきた子がいたのですが,その子の親戚の家に一週間滞在しました。経緯は全く憶えていません。どうやって行ったかも憶えてません。とにかくそこは仙台の郊外だと聞きました。
そこは一面の田んぼの中。屋敷森を背負った,昔ながらの大屋根の農家。ぽつんと一軒,水稲の大海原に浮かぶ島のようでした。
ある一日は,その水田で夕方までカエルと遊んでいました。今思えばツチガエルとトウキョウダルマガエル。その土色と緑色のカエルたちを追いまわし,捕まえては逃がし捕まえては逃がし。遥か田園のかなたに陽が傾くまであぜ道で過ごした情景が,今も脳裏に浮かびます。
別の日には,同じ田んぼでトンボを追いました。駄菓子屋で売っているような捕虫網でしたが,なにせトンボの数が多いものでいくらでも網に入りました。赤トンボとギンヤンマを一緒にしていたら赤トンボが頭からガリガリと食われているのを見た,その新鮮な驚きは貴重な体験だったと思います。
ある日は海に行きました。行きはバス,帰りは歩き。それくらいの距離に海がありました。海水浴場は茨城と同じ,太平洋の荒波が打ち付ける砂浜海岸。ただ遠浅で澄んでいて,足元をワタリガニが泳いでいくのが見えたり。波に翻弄されるのに飽きてふと砂丘を越えてみたら,そこにも水面がありました。澄んで底まで見える,でもさざ波一つない鏡のような水面。もちろん入ってみたのですが,驚いたことにそれは淡水でした。なぜ? 海のそばなのになんで真水があるんだ? これは今思えば潟湖,つまり海岸沿いにある湖沼。河口付近に海流や波の影響で作られ,特に珍しいものではありません。しかし幼い私にその知識は無く,ただ自分の生きるこの世界の不思議さを知ったのでした。
田んぼ,カエル,トンボ,海。驚くべきこと,としか言えないのですがこの時の経験,本当にこれしか憶えていません。誰と行ったのか,その家にはどういう人たちがいたのか。親,友,兄弟,誰一人顔が浮かびません。ただ小学校時代の最高の夏休みの思い出として,この夢のような日々が脳裏に刻み付けられています。夏の太陽に照らされた,黄金色に輝く宝物のように。この体験がなければ,生物屋としての私の人生はなかったと確信できます。
さて,おじさんの昔話に延々おつきあい頂いたわけですが,ここまでで何かお気に留まるものはありませんでしたか? 仙台平野,一面の田んぼ,子供の足で行ける距離に海… 。
そう,東日本大震災。
あの大災害の時の仙台平野,憶えていますか。今でも動画サイトでその生々しい災禍を見ることができます。津波に襲われて逃げ惑う車。燃えながら重なり合って流されていく家々。長く語り継がれるであろう未曾有の大災禍。 … あの家はどうなったんだろう。
高速道路の盛り土の陰で助かった家もあったそうです。でもそれはたぶん例外。あの家は? そして遠来の子どもを歓待してくれたであろう家族のひとたちは?
あの経験をもたらしてくれた友人はその後引っ越して疎遠になったままで,あの家の安否を聞けていません。年賀状はやり取りしているので連絡がつかないわけでは無いのですが,やはり聞けません。答えが怖くて。
最高の夏の思い出。それは苦い喪失感に包まれて,今も記憶のかなたに輝き続けています。