ホーネットの残骸が見つかったとか。
太平洋戦争の話。東京が初空襲されたのは開戦から半年も経っていない1942年4月のことでした。まだ日本軍が連戦連勝のころ。もちろん日本が備えてなかったわけではありませんが,それでも完全な奇襲になりました。突如太平洋から飛来した陸上用の双発高速爆撃機B25ミッチェルが16機。それぞれが東京・横須賀・横浜・名古屋・神戸を爆撃して通り魔のように中国大陸に去って行きました。死者87名,負傷者151名,建造中の軍艦にも直撃弾。勝ち戦で油断していた日本軍は大きな衝撃を受け,海軍がミッドウェー作戦を企図する要因にもなりました。
この戦果はアメリカ国内で大いに喧伝され,米国民の戦意高揚に役立ったそうな。米大統領フランクリン・ルーズベルトは爆撃機の発進基地はどこかと新聞記者に問われ,ニヤリと笑って「シャングリラ」。真に受けた記者が「発進基地はシャングリラ」と配信し,日本海軍では海図を総動員してそりゃどこだと探したとか。
見つかるわけない。架空の地名だから。発進したのも「基地」じゃないから。
発進した場所はなんと空母。米海軍航空母艦「ホーネット」,ヨークタウン級3番艦,1941年就役,排水量19,800トン。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88_(CV-8)
通常空母が運用する艦載機は単発の小型機。「ホーネット」は自前の艦載機を格納庫に収め,飛行甲板にびっしりとB25を並べて,当代随一の操縦技術を持つ男ジミー・ドーリットルを隊長とする陸軍爆撃機隊を発艦させたのでした。すげえなアメリカ,この発想。こんなアイデアを形にできたのはアメリカだから。合理的で,あくまでも実力主義。多様な人材を登用,下の者の意見も面白ければ採用。学校の成績良かっただけのヤツが将官になって硬直した作戦ばかり立てていた日本海軍が負けるわけです。
この「ドーリットル空襲」を成功させた「ホーネット」はその後も太平洋を転戦するのですが,日本の「瑞鶴」「翔鶴」,米海軍「エンタープライズ」「ホーネット」の2大空母機動部隊が激突する南太平洋海戦(米軍名サンタクルーズ諸島海戦)で戦没します。日本海軍機動部隊最後の勝利,かつ日本軍が沈めた最後の米正規空母となりました。
さて「シャングリラ」。理想郷とか黄金郷とかいう意味で使われます。日本では楽曲名から会社名まであらゆる分野に多用され,検索当たりまくり。日本語として耳当たりが良いせいでしょうが,興醒めするほどに安直な用例もあります。ねえもうちょっと考えようよー。
いやいや,ここで言いたいのは「シャングリラ」の語源です。正しくは「シャングリ・ラ Shangri-La」。1933年に発表された英国作家ジェームズ・ヒルトンの小説「失われた地平線 LOST HORIZON」に出てくる,ヒマラヤの奥地にあるという理想郷です。
そこでは人々は歳を取りません。温暖で作物はたわわに実り,一年中花咲き鳥がさえずる夢の国。外界と隔絶されているのに驚くべし,家々にはセントラルヒーティングが完備されグランドピアノまで置いてある。金鉱脈があって外界の事物を購入するに不自由はないのだけど,あえて人々は外界とそれ以上の関係を持たずに平和な生活を楽しんでいます。拉致同然でシャングリラに招かれた主人公は,この不思議な理想郷に次第に心奪われていくのでした。
…… とまあ物語は進むのですが,最後にこのシャングリラの創成の秘密が語られるに及んで,読んでいた私は少々コケました。なんじゃそりゃーと。所詮は毛唐の書いた空言よ,と。今回はネタバレなしにしときます。
結局今回の記事は「この本探して読んだ」話かな。ご存知のように海軍マニアの私です。ドーリットル空襲の逸話から「失われた地平線」の名は知っていて,読んでみたいと思い至りました。実は小学5年の時に文庫本を本屋で手に取ってはいたのです。ただその時は表紙だけ見て置いてしまいました。成人ののち読みたくなって,あああの時何でと悔やんだものです。角川文庫でしたが,映画化に合わせて出版という例の手だったのでとっくに絶版。さあ古本屋を探し回ることしばし。ようやく神保町の古文庫専門店で見つけた時は快哉を叫びました。何につけ,欲しいモノを足で探し回るのが好き。見つけた時の喜びが大きいから。何でもネットで即注文,というこの時代に取り残されるのもまた楽し。
というわけでホーネットとシャングリラ。大統領の茶目っ気から結ばれた縁でしたが,76年後の日本でブログネタになろうとは。ルーズベルトさんありがとう。
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