御岩神社でスミレや季節の花々を見ていい気分になったので,アクセルふかして久慈川を越え,常陸大宮市の玉川流域までやってきました。なんか今日は日が良いらしい,ひとつメノウでも拾って帰るかと。
定期的にこのブログを見てくださってるお客様は,ん?と思われるかも。オマエこないだも拾ってたじゃん,と。
いえいえこないだ拾ってたのは久慈川。今日はその支流の玉川。実は茨城でメノウを拾うというと,有名なのは玉川なんです。試しに「玉川」「メノウ」で検索してみてってば。私がよく引き合いに出す「常陸国風土記」にも「火打ち石に適した赤い石を産するので玉川と呼ぶ」なる記述があります。川の名ってかなり変遷するのですが,なんとここは1300年以上前からこの名で呼ばれていると。
こんな環境です。山らしい山はありません。田んぼの中の用水路みたいな川なんです。
河原に降りて,これだけ拾うのに1時間もかかりません。
久慈川で採れるような大きな塊状のものは滅多になくて,薄い層状のものがほとんど。明らかに熱水鉱床の岩脈由来です。
赤いのもあった。
縞模様,わかりますか? もっと縞がはっきり出るものもあります。
さてこのメノウは、どこから来るのか。メノウはマグマの活動で生成されますが、そもそもこの辺りは百数十万年前の堆積岩の地層で,マグマ由来ではありません。どうやらこの堆積岩の下に礫れきの層があり,その礫にメノウが混じるようです。つまり100万年以上前にどこか別の場所から川の流れで運ばれて堆積したものが,今また玉川の流れに掘り出され流されているのだと。ご苦労なこっちゃね。
もともと河原の石だったわけで,メノウのほか珪化木がかなり拾えちゃう。
久慈川は石拾いでたっぷり一日遊べますが,玉川はこんな入れ食いですぐ飽きてしまいます。私は久慈川のずっしり重たいメノウが好きですね。
でもたくさん採れるゆえに古代の人々は重宝したわけです。この写真は私が中学生のころ,水戸市内の石器加工施設跡で拾ったもの。石器を作るときに出た切片。たぶん玉川のメノウです。こうして交易され,矢尻や槍の穂先となって縄文人の生活を支えていたのでしょう。
私の子供のころまでは,土器や石器が普通に畑で拾えました。みんな宝物だったのに,手元にはこれだけが残りました。 …… なんか拾ってばかりの人生だな。
追記
私の「石」記事の最初期のものです。この後思いもよらぬ方向に展開していきます。
よろしければページ右上のカテゴリー「石の名前」を覗いてやってください。
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