記録的な豪雨とやらで、茨城県北部も大水が出ました。被災された方ごめんなさい。メノウ教教祖にはやらねばならぬことがあるのです。
ここは久慈川の某河原。泥を被った草葉が嵐の夜の最大水位を教えてくれます。どっぷり浸かったようです。とにかくここ一か所だけ、大水後の久慈川の様子を見させてください。
足跡。先に入った人がおられます。メノウ拾いか釣り人か。この疑問はそのまま「敵か味方か」という意味なのだ。困ったな、拾う方だとするとメノウの状況を正しく把握できません。今日に限っては我が信徒と言えども一番槍を巡るライバルなのです。
杞憂でした。すぐに大きなメノウが落ちてました。
拾い上げてみると、おおお、立派な仏頭状ではないか。
泥を落としてみれば、いつぞやの「マタ・ハリ」を彷彿とさせるなまめかしいツヤが現れました。出だし好調です。久慈川メノウ動いてます。
さて探索は続きます。変形モノが出ました。
小さいながら奇をてらってくるのがイイですねえ。
人に喜んでもらえそう。お供物にしようかな、おみやげ箱に入れようかな。
次。水中にありました。
ふふふ、「ボクはただの汚い本流系メノウですう。見のがしてくださあい」とか言ってるな。私の眼はごまかせぬぞ。
ほーら光った。
また水中に、今度は赤い光。
うん、いい感じ。
次も水中。久慈川の流れは澄んで、探しものに不自由がありません。
埋もれているのを掘り上げたら意外に厚みがあって、色も景色も良し。一部に仏頭状構造まであって、なかなかの逸材でした。うん、西田ひかるちゃんと命名しよう。だれ、コケたの。だれよ、たとえが古いとか言うの。
赤縞模様。
これぞ久慈川メノウ。
薄いのもあった。玉川でよく見かけるタイプです。
埋もれています。
プレーンな感じですが、大体こういうのが怪しい。
ジノ。さんはヒトを見るプロなのだ。蛍光性なんかすぐ見破るぞ。
これも、この隠れぐあいがいかにも怪しい。
ニオウぞニオウぞ。
「なんじの正体見たり、前世魔人ワレアタマ!」「ぐうう、バレたかー」…… いいんですよ、ダイヤモンド・アイなんて知らなくても。良い紫色が出ました。
久慈川の河原一か所での戦果。久慈川本流まで、完全にメノウが動き始めたと結論していいですよね。
これで終わると思った? うふふ、今日はもう一つ目的があるのだ。
河岸を変えた、ここは「例の橋」の河原。久慈川メノウ教ヒミツの集会場です。初見の方は過去記事をご参考に。…… メスグロヒョウモンが舞っていました。
久しぶりのお供物だー。GWも終わったこととて、信徒の皆さまやこのブログをご参考にしてくださる方にお礼の気持ちを捧げたいと。左の皿は5月の「石動く」の記事の時に拾った大物たち、右の皿は前回の海岸メノウです。
大物にはすべて晶洞があります。あの時、8か月ぶりに見た大漁に浮かれて「玉川で赤くないのは拾わない」という自分に課した禁をかるーく破ってしまったのを反省しておりました。どなたかに。
仏頭状も付けました。
海岸メノウの方は蛍光するものを中心に。こんな楽しみ方をしてくださる方もそうはいないと思うけど。
人がおられたので、心地良い風に吹かれながらしばし待って、
一番大きなこいつは
石の下に擬装しました。
草の影とかにも。
昨年「わらしべポイント」が荒らされました。正しく理解されるのは難しいことですが、続けて行こうと考えます。
以前私のメノウ話に、中島みゆきの「小石のように」を引いてコメントを下さった読者さまがおられました。その当時はお返事を書く余裕がなく失礼してしまいましたが、とてもうれしい例えでした。かの曲に歌われたのは川を下る小石になぞらえたある若者の運命。そう、久慈川を下るメノウにもそれぞれの運命があります。河原に打ち上げられ川底に埋もれ、砕かれて砂粒に消える者があれば海に辿り着く者もあり、海底深く連れ去られたり海岸に打ち寄せられたり、そしてある者はヒトの手に落ちる。川や海で私に拾われた者が、河原で誰かの手に包まれて終の棲家を得る。
信徒の皆さま、手にしたメノウは大切にしてあげてください。彼らの変転した運命の、最後の安住の地があなたです。
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