更新が遅れました。奥日光に行っておりました。
いい息抜きになったかって?
いいえ、家族旅行です。私は家族の前では我を通しません。
涼しかったろうって?
いいえ、30℃ありました。奥日光にクーラーはありません。
いろは坂を登り切り、まずは家族の希望で中禅寺湖畔の二荒山神社へ。ふたらさん、と読みます。男体山がご神体です。
ご存じなければぜひここを。半月山の駐車場から。男体山と中禅寺湖が一望の、世俗を忘れさせる風景です。
竜頭の滝ではお団子を食べながら観瀑するのが我が家の習い。
続く戦場ヶ原・三本松でへろへろと飛ぶウスバシロチョウを手づかみしました。茨城では4月のチョウです。すぐ逃がしましたよ。
日光の地理をご存じない方には不明でしょうけど、じつはだんだん奥へと進んでいます。湯元温泉に着いて、道中の疲れを足湯で癒します。無料です。
温泉寺前のハルニレ林に緑陰と木漏れ日が綾を成す。林床に葉を広げるのはクリンソウ。毒があってシカが食べないので残っている、なんて言っては興醒めでしょうか。
一息ついたら金精峠まで駆け上がります。湯ノ湖越しに男体山。峠を越えると群馬県で、また違った趣になります。個人的にはここが奥日光のどんつき。さあまた湯元に降りて、宿に向かいましょう。
湯元温泉が開かれたのはなんとびっくり8世紀。車もいろは坂もない時代にどうやってここまで来たんだろうという山奥の温泉街です。標高1400メートル。普通なら下界より十℃は気温が低い場所ですが、何と蒸し暑い。以前にもこういうことがありました。そして奥日光の宿にはクーラーを備えてないものが多い。必要ないということもありますが、温泉のイオウ分で機械がすぐ壊れるという理由もあるとか。
ホテルのレストランで夕食を摂りつつ、ふと外を見たらニホンザルの群れが横切っていくので仰天しました。仰天しすぎてカメラを構え忘れた。さらにニホンジカの群れまでやってきて、これはシャッターを切りました。昔は温泉街にこんなものは出ませんでした。半世紀前から湯元を見ている身には、いろいろと考えさせられる事案です。
シカに関してはホテルの人が餌付けしている、つまりは看板鹿です。どう考えたらいいのだろう。
夜は暑さで寝付けず、何度も目が覚めました。苦行だ。
朝の湯ノ湖。もう釣り人がルアーの竿を振ってました。
朝食どーん。普段の三倍のカロリー量。もったいないけどセーブせねば。
2日目は徒歩で湿原を巡りました。湯滝から泉門池を経て小田代ヶ原。のち戦場ヶ原自然探求路を歩いてから赤沼、そして三本松まで。踏破距離17キロ。写真は小田代ヶ原から見た白根山方向。右端に「貴婦人」と称するシラカバが写っていますがそんな通俗は団塊の世代の諸兄にお任せします。あと数週間すればここがホザキシモツケの花で一面ピンク色に染まって、そちらの方が絶景。
花もいろいろ咲いてましたが、家族連れでカメラもコンパクトのみ。下界と変わらぬ金色のキンポウゲだけご覧ください。
三本松からバスで帰り、今日も足湯。歩いた足に心地よろしゅうございました。
足湯の帰路に雨、夕立ちです。上昇気流が発生しやすい地形ゆえ、日光に夕立ちは付き物とお考え下さい。備えてはいましたが、下界とは比ぶるべくもない大粒の雨音が楽しくて、途中のあずまやで過ごしました。聞けばこの奥日光でもしばらく夕立がなく、あちこちの沢が涸れていたそうです。よいお湿りでした。
驟雨は断続して夜まで続き、おかげさまですっかり気温が下がりました。
3日目、最終日。休日で混雑するので朝のうちにいろは坂を下ります。ああ灼熱地獄に逆戻りかと憂鬱にもなりますが、最期に涼を取ろうと、大谷資料館に寄りました。
地下の殿堂。外気温34℃、館内温度6.5℃。別世界です。半袖のまま入らないように。
夏のお薦めスポット、とは以前にもお伝えしました。
外気と内気の境目。あの霧の上下には30℃近い温度差があるのか。
家族の希望で近くの大谷寺にも行きましたが、京都の寺社の拝金主義を想起させて個人的には好きになれない場所です。まあお好きな人が行けばよろしいかと。
この後は一般道を飛ばして水戸に戻りました。帰り着いた途端にここにも夕立が来ました。少し涼しくなりました。
日光に行っていつも感心するのは、どこでも大きな無料駐車場があって車での移動に不便がないこと。茨城の観光地が見習うべきところです。例えば筑波山は、ある年から駐車場を有料にしてしまいました。駐車料金という無労働のあぶく銭に味を占めた地元はご神体のはずの山を削ってまで駐車場を広げました。田舎者丸出しの短絡した拝金主義と断罪します。やはり魅力度47位の栄冠は茨城が拝すべきなのでしょう。
二泊三日の温泉旅行、小市民のささやかな楽しみとご理解ください。家族も喜んでくれたようで、なによりです。
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