日曜日、八溝山で野外観察会がありました。大子の町が集合場所だったのですが、当日町はよさこい祭りが開催されるとかで大騒ぎ、待ち合わせ場所の駐車場も入れなくなって、いきなり右往左往です。観察会主催者の不手際を責めるのも酷ですけど、多くの人が参加するイベントなんだし最低限の下調べはできたのでは。自分がイベントを開くときのための良い反面教師としておきます。
まあ初夏の八溝山、いくつか見るべきものはありました。でもお会いしたかった植物の師匠は不参加、そもそも参加者中私が最年少という、なんか期待した観察会ではありませんでした。古参の者の身を切る努力がなければ、組織は老化する一方です。
帰路も、大子から水戸までずっと見知らぬ女の人の車にぴったり後ろに付かれてしまいました。ハンドル握りながらぼーっと別のことを考え続ける運転スタイルと思われ、悪意はなさそうなので、注意しようか迷ううちに気にならなくなったからまあよろしいのですけど、不愉快だったのは間違いありません。まったく何から何まで。
今日という一日を忘却の箱にそっと仕舞いたくなるような、なんかつまらない日曜日になってしまったなあと思いながら帰宅しました。ふうううと息をつきながら玄関を入るとぷーんと甘く酢っかい鼻腔への刺激。今年最後のイチゴが届けられてました。真っ赤に熟したトロ箱数個分が、すでに家人によって処理されておりました。
ジャム用、どーん。
粒の小さいのは丸ごと甘露煮。いやつまりこれもジャムだ。
これはこれから潰してコンデンスミルクかけて追いジャム乗せて牛乳かける生食用じゃあ。
知り合いにイチゴ農家がいて、シーズン中何度か熟れすぎたイチゴがふるまわれます。今回はもうハウスを畳むというので大小さまざまのがまとめて届いたようです。
これは丸のままの生食用。ああなんて豊饒な色と形、太陽の光を凝縮して作られた真っ赤な鐘です。それが一斉にキンキンと鳴って、青空に染み渡るような音を響かせて、凝りかけた私の矮小な心を解きほぐそうとしてくれます。ああ今日は情けないほどに小さい根性を顔に出していたなあ。反省しなきゃなあ、なんて。
いただきまーす。なんだ、そんな悪い日じゃなかったよ。
今日一日の評価が逆転しました。イチゴひとつでこれなんだから、我ながらなんて安い奴かと。いや、イチゴは偉大というべきか。これをイチゴ効果と名付けよう。
体にも心にも一閃の賦活ふかつ剤、胸を開かせるカンパネラ。皆さまにもお薦めします、ここぞという時のイチゴ効果。
カンパネラ:イタリア語で「小さな鐘」
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