その日、久慈川の川岸を覆うマダケの密林と格闘しておりました。
未踏の河原がありまして、あそこは絶対に面白い! と勝手に決めつけまして、渇水期を狙って突入いたしました。そーよまたおバカなことしてたのよー。久慈川の神さまのお誘いですから、お断りしたらタンスの角に小指ぶつけるくらいのたたりがあります。おお怖い。
久慈川流域にはしばしば真竹、マダケが茂ります。治水の役割で江戸期には伐採が強く禁じられたと聞きますが、今では地元の人たちがタケノコ採りを楽しみます。美味です。そしてその密林は時にヒトの河原への侵入を阻みます。洪水の浸食を防ぐくらいですから、アユ釣りメノウ拾いといった欲に眩んだ人間をはねつけるなど造作もありません。以前は対岸から久慈川を徒渉してそんな河原を目指したこともありましたが、なんであんなことに命を懸けてしまったのかと反省してます、おバカなりに。だから今日は正攻法というか、正面から強襲をかけるのだ。
大苦戦。昼間なのに闇が漂い、道らしきものはすぐ途絶えました。
何度か前進と撤退を繰り返し、最後は水際に活路を求めました。するとそこには洪水の際に積み重なった古い竹が折り重なり、乗り越えようと足を掛けたらズボリと抜けて、そのまま落とし穴に落ちるように地の底へと吸い込まれました。あああ~このまま地底人に連れ去られてしまうのかああ~。
いえ腰で止まりましたけどね。その後も籠の目を成すように重畳するマダケの稈の結界に苦しめられましたが、1時間後。
出たああ。未踏河原、取ったぞおお。
私には未踏でしたが、目印が置かれています。誰かは出入りしています。たぶん釣りの人で、その人にとっての「オレの場所」なんだろうなあ。
隈なく歩いてみましたが、メノウ無し。珪化木無し。鉄分で赤くなった丸石が多く、なんか自然堤防が崩壊してその堆積物が引っ掛かって溜まった場所という感じです。言いたかないけど、大ハズレ。…… いえいえいいんです。この茨城の地から、未踏の場所をまた一つ削除することができました。
陽も傾いて、さて撤退です。いくさは前進するよりも撤退戦が難しいとされます。さよう、あの落とし穴付きの往路を辿るのは困難を極めるでしょう。でも福音があります。ここに出入りする人がいる。つまりはその人だけの秘密の抜け道があるはずです。
ここがクサい。
おおおおっ 白のテープで道が示されてます。マダケの密林中にかろうじて人が通れるすき間を、まるで迷路の出口を示すように繋いでいます。ギリシャ神話のミノタウロスの迷宮、脱出不可能とされた死の迷路に、アリアドネの糸玉から繰り出されたただ1本の細糸が出口を示し、ミノタウロスを退治した英雄テセウスを生還させました。わし英雄じゃないけど、辿らせていただきますね。
本物の迷宮の抜け道を行くようにくねくねとテープの道を進み、やがて前方が明るくなって
迷宮を抜けました。
外からは見えないようになってます。本当に秘密にしたいんでしょうね。私もご迷惑はかけないようにします。
「道」とは、そこに立つことを許された点の連なりです。連続しなければ道にはなりません。そしてマダケの密林に道なき状況で、私は大いに迷うことになりました。
私は日々「道」を歩きます。歩いて歩いて半年で500キロ弱。ただそこに道があるから歩くのであって、その道の由来やそれを作った人を想うことはありません。でもこうした道が無ければ私たちは人生の原野でひたすら迷い、同じ過ちを繰り返し、その都度新たな解決法を発明し続けなくてはなりません。「道」とは先人の知恵と努力と倫理観・自然観の集積であると気付かされました。なんと得難いものか。
とはいえ道はいろいろです。
桜の蕊しべ散る道あれば
菜の花の咲く道もあり。
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