ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

メノウを撮る。そして傲慢に謙虚を説く

 

 先日の海亀の浜で拾った石を撮ってみました。いつもの読者の皆さまにはお馴染み…… のつもりが、少しおかしなことになりました。

 


 コレは机の傍らに置いた購入品。ちょうどいい具合に陽が当たったもので。


 まずは海綿から。


 接写。幾何学的な模様が現れると思ったら、意外とつまらなかった。


 ジャスパー。ちょっと磨いてやったら見違えました。


 この一週間は、老父の検査・入院・手術・退院でおおわらわ、その合間を縫ってのブログ更新でした。手術と言っても内視鏡、五日間の入院ではありましたが、それにしても九十五歳ですぜ。お医者さんよくゴーサイン出したもんだ。当の医者の方が手術当日体調不良で代理の方の執刀でした。医者より丈夫。ごめんね無駄に長寿の一族なんです。

 


 こうして石の美しさを写し留めることができるのを有難く思います。石拾いはやめられません。フィールドは楽しい。ただ、楽しいさ中にも、時に気分の良くないものを目撃してしまうことも。


・集団で山に登って大声で喚きながら山頂祠に頭も下げない健康老人。
・河原でバーベキューしてビールを飲み散らしゴミを置いていく陽気な仲間たち。
・最初からメルカリで売る目的でギフチョウを採りまくる元昆虫愛好家。
・売るためにサンショウウオの卵を根こそぎ盗っていく小銭稼ぎの商売人。
・河原や海岸をジムニーで走り回ってアジサシの巣や海浜植物をすりつぶしていくミニマム征服者。
水上バイクで海水浴客を脅かす低精神年齢ナイスミドル。

 

 


 なぜこういう連中が不快なのか、自分でも理解不能でした。反社会的迷惑行為というと撮り鉄やら迷惑系ユーチューバーやらもあるわけですが、彼らにはさほど思うところはありません。あちらとこちら、同じ迷惑なのに何が違うのか。私のゴーストが下す判断の基準はどこなのか。

 


 その疑問を解く金言は、中谷宇吉郎なかや うきちろうの残した文章の中にありました。中谷は雪の結晶の研究で知られる物理学者で「雪は天から送られた手紙」の一文でよく知られます。師である寺田寅彦同様に随筆家としての一面を持ち、科学と芸術を愛してその融合を説き、生涯をフィールドでの研究に費やしました。いわく、
「自然を見る眼が親愛の情を失えば、相手も決してその本性を明かさないものである」
これだ、と思いました。牧野富太郎が植物採集に際して常に正装していた、という逸話にも通ずるものです。これが私なら「自然に対しては常に畏敬の念で接しなければならない」となります。自然と長く付き合い、たまに素敵な贈り物を頂くための基本理念だと思います。つまり、謙虚であれ。

 


 漁師は折々に水神・海神に祈ります。猟師は山に入る時に山神に祈り、特にマタギと呼ばれる人たちは山では里と違う言葉を使うことによって神や動物と一体化しようとします。みな自然が気まぐれであること、時に自分の命を奪うものであることを良く知っています。畏敬の念を持つこと、それが自然から恵みを頂く者に必要なことを、フィールドで生きる人たちは知っているのです。

 


 自然から奪い、汚し、荒らし、傲慢にふるまう。かの人達は、結局自然から何も施してはもらえないでしょう。私はそう信じます。いえ決して呪いをかけたりしてませんよ、ふふ。

 


 あああ何なんだ今回の文章は。写真だけの記事にするつもりが、変なスイッチ入りまくりです。きっと我が父の霊に憑依されているんです。死んでないけど。

 


 ちなみに上の文章中の「ゴースト」とは、その人の意識・無意識に在り、折に触れて状況判断や言動の根拠となる精神や記憶の総体、その人の持つ本質的な、そう解釈して頂ければ幸いです。「攻殻機動隊」のセリフの個人的解釈です。そういう意味でたまに使ってしまうのだ。

 

 

 

 

ギフチョウについて。

サンショウウオについて。もう3年連続でやられてます。

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