5月の話が今頃になってしまいましたが、新潟のギフチョウを展翅板から降ろしました。
まず毎度の屁理屈 ↓ 。飛ばしてくださって構いません。
専門外の方も多かろうと思いますのでご説明申し上げます。まずその生物がそこに生息していたことの記録、証拠として標本を残すのは生物学の常識であることをご理解ください。そしてそれはその生物の特徴が検証しやすい形であることが望ましい。蝶・蛾などの昆虫では翅の模様や形状は分類上の大きな着目点です。翅が広げられた標本でなくてはいけません。そこで採集してまだ体が柔らかいうちに翅を開いてカッコよく整形し「展翅板」に虫ピンで固定します。あとは数週間、乾燥して固まるのを待ちます。この間展翅テープで翅が覆われてしまい肝心の翅がよく見えません。乾燥が済んで展翅板から外されるまでの、まるで子どもが夏休みやクリスマスを待つのに似た期待感、高揚感はお伝えするのが難しい。まあ、そんなものです。
要するに虫の串刺しですよー。眉をひそめる方がおられることも承知してますよー。でもこれは生物学徒として、ナチュラリストとしてどうしても譲れないところです。【ときどき虫】のブログなので許してねー。
本題に戻ります。ただひたすらそれを第一目標に新潟まで遠征して、遥か伝説の異世界の産物だったものを手に入れました。4月に旅行だなんて、もうそれだけのために仕事辞めたようなものです。この5頭の標本はもちろん世界にこれだけの宝玉。5つまとめて、ではありません。一つ一つにそれぞれの、採集時の自分の息遣いまで記録されています。その日その場所での自分自身の存在証明。ナチュラリストにとって標本とはそういう意味があるのです。
5頭というのはたぶんマニアの方々から見れば?でありましょう。私が新潟の弥彦山で会ったマニアの方は、下山時にお声を掛けたらもう30頭くらい採ったと誇らしげに申されました。30! そんなに採ってどうすんのというツッコミはやめときました。マニアというのはこういう人種だとよく知っておりますので。マニアの人って、本当に、100匹いれば100匹採ってしまうんです。さすがにそれは「採集圧」と呼ばれるところの自然破壊、その地が採集禁止になる原因です。東京・高尾山のギフチョウを絶滅させたのもこの手合いでしょう。
私も弥彦山でずっと捕虫網を構えていれば数十は採集できました。もちろんその気はありません。マニアになっては、私が望むような自然との交歓ができなくなるので。
最近はもっと困った事態になってます。試しに「ヤフオク ギフチョウ」で検索してみてください。〇〇産ギフチョウ、なんてのが数百円から千円以上で取り引きされるようです。ちゃんと展翅済みであることから、マニア系の方々と推測されます。ギフチョウと共に、採集する楽しみまで売ってしまう。現場で一頭捕虫網に入るたびに怪獣カネゴンの胸のカウンターのようにチャリンチャリーンと音が聞こえるんでしょうか。ううう。
買う人がいるから売る人がいる。私がとやかく言うスジではありません。それは子どもの昆虫採集をヒステリックに注意する人間と同類です。自然保護運動で英雄になろうだなんて発想にも違和感を感じます。他人をどうこうするヒマと労力は、むしろ自分を高めるために使いたい。
生きるために他の生命を食らう人の業、それは時に心を養うためにも。ギフチョウ5頭の標本、何物にも代えがたい自分の存在証明であり、唯一無二のたからものです。大切にします。私には私なりの、空と風と生命の有りようです。
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