ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

遠く見つめるもの


                ふと見た風景に

 

        
               こんなのがいた

 


 2024年正月二日、みんなで鶏足山に登って今年の幸せを祈りました。そのまま笠間に出て昼げを囲み、陶芸美術館へと向かいます。何とこの日から企画展が始まるのです。うわあ、年末の準備大変だったろうなあ。公営とはいえ客商売を心得ている、偉いなあ。

 


 茨城県陶芸美術館。陶芸の町・笠間の街を見下ろす丘の上に埋もれるように建ってます。

 

       
 埋もれるように、というのはこの地下に及ぶ多層構造から。時間で変化する光がそれだけで芸術作品です。


 で、企画展の前に茨城の誇る人間国宝板谷波山松井康成をはじめとする収蔵品の展示を堪能し、庭に再現された波山のアトリエを見ようと出たところで冒頭の「もの」に出会ってしまったのです。以前はなかったものです。昨年中に置かれたのでしょう。


 作者は浅野暢晴あさののぶはるさん。1979年茨城生まれの彫刻家です。これは「トリックスター」と名付けられた浅野さんの一群のキャラクター作品の一つで、作品名「遠くを見る」。実は数年前からその存在を知っておりました。一般の方のツイッターか何かの投稿で、「神社に何かいる」というキャプションと共にベンチに寂しそうに腰かける姿、そのキュートな造形と感情表現に心奪われ、いつか実物を見たいと切望しておりました。まさかこんな身近で、こんな唐突な出会いになるとは思わなかった。この日は人と一緒だったこともあり、不覚にもカメラを持っていませんでした。

 


 浅野暢晴さんの✕ツイッターより、トリックスターに囲まれる息子さん。こんな風に小さい個体をわらわら並べることもあれば、ぽつんと置かれることもある。三本足が特徴です。販売もしています。ほ、欲しいけど置き場所とか家族の眼とか。

 


 この美術館には「寄託」という形で置かれています。寄託の意味がよく分からんけど、ひょっとして欲しい人には売っちゃうのかな。いかんそうなる前に撮らねば、というわけで六日後にまた、今度は一人でカメラ片手に来てしまいました。上の写真はその時のものです。受付のお姉さんにしっかり覚えられていて、撮影の注意とかは「おわかりですよね?」で通ってしまった。わし本当にスパイや探偵に向いてない。

 

        
 せっかくなので2024年1月現在の館内のようすを。入館してすぐドカンと置いてあるのが、元サッカー選手の中田英寿奈良美智らの合作「UFO鍋」。どのあたりが中田なのか知らない。

 

          
 過去の企画展。多忙だったのと「自分に陶芸はわからない」の先入観で、ここに足を向けるようになったのはごく最近です。見ておけば良かった、というような企画展がいっぱい。

 

   
 今回の企画展「グラスアート・ライジング」。県内のある私企業のコレクションを借り受けて公開するものです。つまり茨城だけでの公開。残念ながら一部を除き撮影禁止です。

 

    
 代わりに図録があります。1800円。東京あたりの美術館と比べれば遥かに良心的。…… それでは撮影許可のあるものだけ、私の視点で。

 


 今回の看板作品の、青いほう。

 


 こんなもん作っちゃう人がいるんだ、この世には。

 


 同じく、赤いほう。

 


 重さ70キロのりんご。


 企画展の写真はこれだけですが、展示はたっぷりおなかいっぱい。これだけで入場料840円の元が取れます。えんえん行列入場して人垣の間から作品を垣間見るような東京での展覧会のつまらなさがよくわかる、なんてね。さてお次は収蔵品コーナー。定期的に展示品を替えて楽しませてくれます。ここは撮影可。

 


 上で触れた人間国宝・松井康成の作。好きな作家です。

 


 国宝ではないけど大好きな田崎太郎さんの作品もある。うむ、こうでなくては。

 


 あとはお好みで。今期は企画展と合わせてガラス作品が多い。


 そして野外。板谷波山の窯が再現されて、周囲に浅野さんのトリックスターが何体か座ったり佇んだり、思い思いに。

 

  
 題「隙間女」。トリックスターの属性には性別もあるんです。

 

 
 「百目」だって。おおこんなのが歩いてきたら怖いなあ。

 

 

 題「人を喰ったような」。そんな恐ろしいもんには見えなくて、むしろお話を聞いてあげたくなるクリーチャー。

 


 そして私を揺り動かしたトリックスター「遠くを見る」。

 


 何をするでもなく、ただ遠くの空を見つめ続ける彼。

 

    
 私が彼に心奪われたのはたぶん、かつて役職の激務に疲れ切って、休日にぼーっと海岸で潮騒を聞いていたころの自分が見えてしまったからです。

 


 隣に座って、問いただすでなし助言するでなし、ただ彼がぽつぽつ話すのを黙って聞いてあげたい。

 


 作者・浅野暢晴さんの投稿を見たら、ご本人が隣に座っている写真があった。なんだ、座って良かったんだ。ああしまった。また人を連れて来館し、シャッターを押してもらわねば。そう思わせるほどに私の心を動かした陶芸作品でした。…… と書いて思い出し、自分でびっくり。ただの陶芸に二度までもガソリン代と入場料をかけ、撮影に呆れるほど時間をかけ、私は行動してしまったのだという事実。芸術恐るべし。

 


 芸術家の使命は人を驚かすこと、なんてエラそうに言ったことがありますが、もう少し補強させてください。

 


 私たちは疲れています。日々のルーティンワークの繰り返しの中でどんどんやせ細る想像力、失われていく活力。便利さや早さと引き換えに衰退させてしまった、この世界の豊かさを感じ取る能力。でも「芸術家」と呼ばれる、生まれながらに「表現」することを運命づけられた人々は違います。


 芸術家は私たちとは違うものを見ています。現実世界の裏側、遠い遠い所を見ています。そしてそれを自分なりの手法で表現します。美しさや奇怪さ、規則性や奔放さを自在に駆使して私たちに強い情動、すなわち驚きを与えてくれます。私たちを驚かせることで、また明日からこの矛盾に満ちた世界で生きる力を付与してくれます。


 ラスコーの壁画を思い出しましょう。アレを描いたのはひとりとは申しませんが、部族の全員が寄ってたかって顔料を塗りつけたものでもありません。明らかに、選ばれた少数の者が制作を任されています。狩猟採集の時代、すでに芸術家は存在したんです。なぜって、それはシャーマンの次に必要なものだったから。そして人間には表現せずにはいられない者が必ず一定数いるから。そう作られているから。


 現代の芸術家は、いずれもそれぞれの表現法を鍛錬し、世に認められた人々です。音楽、美術、演劇、我々はその表現にいつでも触れることができます。驚きましょう。感動しましょう。心を揺り動かしましょう。失われる力を取り戻すために。すべての苦しみの源である生命の有限性を忘れるために。そしてひと時の忘我の境地を。芸術家とはそのために生み出され、存在し続けるものです。

 

 

 

 

 

↓ 過去の陶芸美術館。

↓ 田崎太郎さん。

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