シンデレラが残したガラスの靴。魔法が解けたのになんで靴だけ残るんだ?とか跡を追わせるためにわざと残したんだろ策略家だなシンデレラ、とかのツッコみどころはあれども、ソレがそこに物理的に存在することには圧倒的な意味があるのです。
さてその日。年明けの煩いからようやく解放されて、フィールド歩きに出ました。栃木との県境に近い某所、あそこではまだヤンマタケを見ていなかったな。たしか水晶も拾えたよな。ぐへへ、何かええもん取ったるでえ。
冬虫夏草ヤンマタケ空振り。沢沿いにずいぶん歩きました。当地ではこんなアオキとカンスゲが貧相に生える斜面が狙い目になりますが、特にこんな大岩なんて期待しちゃうんですが、ヤンマタケありません。まあこんな積み重ねが冬虫夏草探索なのです。
同じ発生の仕方をする冬虫夏草ガヤドリタケは見つけました。場所選び、あながち見当外れではなかったと思いたい。
沢沿いにこんなガレ場まで行って探した水晶も空振り。今日はハズレの日であったようです。積み重ね、積み重ねと自分に言い聞かす。
ヒヨドリジョウゴの実もほろろ。
この程度でめげてはナチュラリストは務まりません。実はこの場所、ある事象の特異点なのです。運がなくても知識で進め、おもろいもんが見えてくる。
この崖。
あった。シダです。その名もヌリトラノオ。
葉身長10~30センチ、常緑性 山林中のやや湿った岩上に生育する
分布:
本州(茨城県・埼玉県・千葉県・神奈川県・伊豆半島以西)・四国・九州・沖縄
中国・台湾・ブータン・ネパール・スリランカ・ミャンマー・マレーシア・タイ
ベトナム・フィリピン・オーストラリア・太平洋諸島・熱帯アフリカ
茨城県レッドデータブックで絶滅危惧ⅠA類(2012)
「ごく近い将来に野生での絶滅の危険性が極めて高い」
なんか世界の半分くらいが分布域になってませんか笑。こんなコスモポリタンがなんで茨城では絶滅危惧なのか。理由はまあ本州での分布を見ていただければお分かりのように、寒いところが苦手なんです。分布域が連続しているのは伊豆半島まで。千葉で2か所、埼玉で1カ所。いずれからも百キロ以上離れて茨城にただ1か所、しかもここの岩場だけ。えらく飛び離れた、間違いなく分布の東北端です。ここが開発とかされたら茨城から消滅。そりゃレッドデータにも載るわいな。
南方の分布域内でも、実は連続していません。基本的にこれが生育できるのは「湿った岩場」だけなんです。そういうニッチ狙いです。いえ、胞子が落ちればどこででも芽生えるでしょうが、普通の土の上では他種との競争に負けてすぐに滅ぼされます。シダの姿にまで大きくなれるのは岩の上だけ。いくら南方のジャングルとはいえ、そんな場所は限られるでしょう。まるで、終末を生き延びた人たちが広大な原野にぽつんぽつんと小屋を建てて暮らしているような、そんなまばらな分布です。
ヌリトラノオの「塗り」は、この黒紫色で光沢ある葉軸が漆塗りのようだから。
葉の先端がプチンと切れたように終わります。なぜかというと
ここから「無性芽」という小さな植物体を作って、落とすから。この色の薄いのが無性芽。無性生殖です。
崖の上の方の個体が胞子嚢を作ってます。胞子を作って飛ばす、こちらは有性生殖。
無性芽は親のそばに落ちるだけですが、胞子とて、菌類のそれと比べて遥かに大きなシダの胞子の飛距離はたかが知れてます。分布拡大のスピードや効率はかなり悪いものでしょう。それがこのヌリトラノオの場合、隣の岩場まで飛ばさないと子孫になりません。胞子の生き残る率はかなり小さい。
それでもかつての温暖期には、周囲の岩場や崖地に同種がいくらでもいて、遺伝子の交流もあれば新たなすみかを開拓するチャンスもあったことでしょう。でも寒冷期に入り、茨城の気候は彼らの生育に適さなくなりました。あちこちの岩場にあったコロニーは次々に滅び、一族は関東平野から撤退していきます。ただ一か所、いくつかの偶然が重なったこの岩場を除いて。
湿った岩場。このあまりに不安定でごく限られたニッチに生きる限り、他者に迷惑をかけることも、生活を巡って他者と争うことも最小限で済みます。代わりに効率的な有性生殖も、地を覆い尽くすような大繁栄も望めません。それでも岩場に生きる。
自分の分ぶを守り、世渡りの下手な態度を守って、必要最小限の資源で自らを安んじる。それを昔の人は「拙を守る」と言いました。ここでしか生きられない、ここでしか生きない、ここだけで生きる。ヌリトラノオのそんな潔い生き方に、人生の一つのありようを見た気がします。
茨城の山の中にぽつんと残されたガラスの靴、ヌリトラノオ。魔法でも策略でもなく、ただそこにあるもの。これからもあり続けることを。
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