いま久慈川の、川幅の真ん中へんを歩いています。信じてください、そんな愚行をするつもりはなかったんです。
雪も降らない茨城では、引き潮で干潟ができるみたいに川の水位が下がってます。普段は入れない場所を探索するチャンスとばかりに歩き回る過程で見つけたここ。ささやかな河原に何もなく、ああ浅いなあ、水中に赤いやつないかなあなんて歩くうち、
気づけば橋の下。夏なら近づこうとも思わない橋脚の中洲に取りついてしまいました。びっくり。間違いなく誰も入っていない場所です。
ここまで1個もメノウや珪化木を見ていません。まあこんなもんだよなあなんてそぞろ歩いていたら
懐中時計が落ちていた。
軸受にルビーを使った、たぶん本物です。懐中時計なんて久しぶりに見ました。どういう経緯でこんな所に流れ着いたのやら。
結局拾う物はなく、またじゃぶじゃぶと久慈川のセンターラインを踏んで戻ります。水のある川が歩く妨げになっていない、なんかドローンに乗って地上の煩わしい現実を飛び越えていくような不思議な気分です。
同年代は働いたり、ゴルフしたりパチンコしたり。さて私はこの寒空に何を為すか。
水鏡の底に川石が光ります。一年で一番水が澄む冬の久慈川。釣りの季節でもなく、他に人もいません。ヒトの誕生前の太古の湖を想います。戦果もないというのに、とても穏やかな心持ちです。
気分はこんなもん。
岸に上がってふと見やると、倒れ伏したアシの根元に赤い光。
おおお真っ赤な、とんでもない上物が出ました。
この閑日月な午後の報酬としては十分。お釣りが来ようってもんです。
以前に久慈川を徒渉した無茶を大いに反省した記事がありました。懲りもせずにまた。…… じつはこの河原に降りるために車で土手を登ろうとしたら、思うより難所があってままよと突っ込んだらまたバンパーの左下を摺りました。本当に懲りてない、というかこういう行動が増えた気がします。大胆になったのではなく、単に考え無し、あるいは傍若無人になったということです。老化の一端かも知れません。人に迷惑をかけることだけは避けたいと思っています。
ちなみに今回のせこいタイトル、元ネタはあくまでもハーラン・エリスンのSF小説です。決して歴史に残るあの超有名アニメのTV版ブン投げ最終回や、白血病で彼女が死んじゃったからお医者になりました的昭和設定ベストセラー小説ではありませんからね。
↓ ああ。