考古学者という人生の選択もあったかもしれないジノ。です。まあロクな学者にはなれなかったろうけど。
考古学者うんぬんの話は最後にリンクを置いときます。少年の頃から、縄文時代と古墳時代の遺物に興味があるのです。茨城にはこの二つの時代の遺跡が多いもので。… そんな私のような県内の考古学趣味の者の間で特に名を知られた古墳、それが
三昧塚 さんまいづか ↑ 行方市HPより
行方なめがた市の霞ケ浦湖岸に5世紀後半に造営された前方後円墳です。資料によっては6世紀とも。墳丘長82メートル。ここらの古墳は洪積台地上にあるのが常ですが、これは珍しく低地に造られてます。
ここが有名なのはその副葬品、特に
金銅馬型飾付透彫冠
こんどううまがたかざりつきすかしぼりかんむり
これを初めて見た中学時代、なんでこれが国宝じゃないんだろうと本気で思いました。実際は国の重要文化財。それでもこの時代の茨城の出土品としては出色の宝物です。
この精緻な透かし彫り、そして金銅製であること。金銅というのは銅板や青銅板に金を塗ったもので、日本で製作が始まったのは6世紀以降。ということはこれ、大陸からもたらされたものなのでしょうか。舶来のたからもの。この王さま、さぞや自慢していたろうなあ。
馬は日本土着のものはもう絶滅していましたが、古墳時代には大陸から導入されていました。とはいえ普及したのはこれも6世紀以降。 この王さまが乗っていたかどうかは知れません。
耳飾りも出土。おしゃれというか派手好きだったのは間違いない。
それぞれの復元品。今の目で見ると夜店で売ってそうにも見えますが、こんなの着けて誇らしげに人々の前を歩く古代の田舎首長。きらきらと日の光を反射する金銅の冠や耳飾り。覗いてみたい光景ではあります。
これ以外の舶来の宝物としては銅鏡が2枚。写真ありませんごめんなさい。
鉄の矢尻、鉄鏃てつぞく。鉄は国内でも生産されていましたが、それにしても大量です。
冑かぶとと鎧。これは出土時のようす。
管玉のブレスレット。左右の腕に玉の大きさの違うものを装着していたそうで、これまたおしゃれですね。
鉄刀・鉄剣に鉄製の戟、砥石も副葬品にあったそうです。あの世でも研いで使うつもりだったかな。
驚くべきは、これら大量の宝物が、王の遺体とともに埋められちゃったことです。まあそれが副葬ってものなんですけど。一所懸命買ったり奪ったり拝領したりして手に入れた自慢の品々がぜんぶ土の下、家族はどう思ったろう。王さまよ、息子がいたろう? 父ちゃんのたからもの、きっと欲しかったと思うぞ。祭祀に伴う富の破壊や放棄、いわゆるポトラッチともまた違う古代人の感覚です。よその家の事なのでどうでもいいし、おかげでこうして見物することができるわけですから文句はありません。
この古墳からは円筒埴輪のほかに人物や建物を模した形象埴輪も出土しました。王さまはあの世でも不自由してません。
今回のコメントは、正式な報告書や論文は一切見ないで私見を書いてます。それが許されるのが素人だし、素人考古学の楽しみです。遺物を見てはるか昔のことを思い描くのは本当に楽しい。
さて今回は茨城県立歴史館の企画展からお届けしました。会期は6月19日まで。水戸くんだりまで遠方からおいでくださいとは言いづらいけど、機会があればご覧くださいませ。
徳川さまのお宝や刀剣の展示室もあります。
Google より。そもそも前方後円墳って、何考えてこんなかたちになったんだか。これもまた勝手に想像する楽しみのネタ。古代って本当に楽しいなあ。
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