うすうす自分でも気づいておりました、そうであろうな、と。でもはっきり言われてしまえば、それは余命宣告でありました。
あ、拾い物のお話ですからご心配なく。
事の発端はまた例のアニメ「 瑠璃の宝石 」です。その第7話、新たなキャラクターと共にシーグラスを拾う話、孤独な魂が初めて「仲間」と出合い、震えるような喜びを静かに噛みしめる姿を描いた傑作回でした。アニメオリジナルの演出が冴えて、スタッフのこの作品にかける想いがよく伝わります。アニメ化ってのはこうでなくちゃ。
でその作中、次のような会話が交わされます。
・かつてガラスびんはそこらに投棄されていた
・いまだに海でガラスが拾えるのはその時代の名残り
・やがて削られ消えていく有限なもの
・海でガラスが拾えるって認識は今だけ
…… わかっておりました。初崎でシーグラスを拾いながらも、これは今のものではない、遠い時代の残滓ざんしなのだと思っておりました。今どきのガラスはほとんどが回収されて再生ガラスの原料や不燃ゴミとして処理されます。川に投げたり海岸に埋めたりなんて昭和中期まで、それはもはや半世紀前。削られ打ち上げられるガラス片はどんどん減少していくでしょう。そういえば子どもの頃は、砂浜にはガラスがあるから裸足のときは気を付けろなんて注意されたものです。そうかあれは過去の話なのだと、アニメで気付かされました。シーグラスはやがて消滅すると、きっぱりと宣言されてしまいました。
我ながら情けないほど単純です。すぐにでも海岸に出てガラス拾いをしたくなり、でも猛暑と先日の望まぬ旅行で崩れた心身のリズムに阻まれます。気温が下がり身体も復調した昨日、ようやく日立の海岸に出かけました。
初崎海岸。復活を期待することにもう疲れました。積み上げられた階段下の石は、それでもここを訪れる人が多いことを示します。
シーグラスが無いことはないのですが、かつてを知る者はその退潮に言葉を失うばかりです。今後日本全国の海岸からシーグラスが失われていく、それを先取りしたということでしょうか。ああ寂しいなあ。私はもうここでは拾いません。
このブログの信条は、十年後にも読める記事であること、時を経ても意味を失わないこと。たとえ後の世にシーグラスが過去のものになっていたとしても、「いま」の記録として記事は意味を持ち続ける。そう自分を鼓舞して、しばらくはガラス拾いを続けようと思います。さてそれでは、まだシーグラスがあってウランガラスも毎回ゲットできているかの海岸へ向かいます。
ここ。秘密の場所のつもりでしたが、どなたかに見つかってしまったようです。足跡、掘り跡がありました。まあ仕方の無いことです。私には私の採り方が。小一時間ほど拾いました。さて戦果は。
わああ、茶色の多いこと。いつもは選んで拾うのですが、今回は記録の意味ですべて拾いました。その結果がこれ。たぶん元は日本酒の一升びん。昔はおっさんたちが河原や海辺で茶碗酒をあおり、空いたびんをそこらに放り投げるなんてごく普通の光景でしたから。しかし困った、写真は綺麗に撮りたい。茶は濃すぎて画面の影になってしまいます。申し訳ないけどここからは除いて撮ります。そういえばネットでシーグラスを売っている人も、茶色のは省いていたなあ。
さあそれでは恒例の判じ物、ブラックライトで蛍光するウランガラスはどれでしょう。何と今回は4つあります。ヒントはこれも毎度ですが色味で判断してください。
これなのだー。
おさらい。
なぜここには毎回ウランガラスがあるのか。これも探求のしどころです。
くだんのアニメですが、海岸で百年前のびんをそのまま拾うという描写があってびっくりしました。波の荒い茨城の浜ではあり得ないことで、逆に丸く削られたいわゆるシーグラスの名所です。そうかアニメの主人公たちが遊ぶ海は波の静かな内湾、内海という設定なんですね。どこかモデルがあるのかな。これまで私は、読者の皆さまもお近くの海岸で探しましょうなんて書いてきましたが、実はシーグラスのある場所は限られるのでしょうか。だとすれば大変失礼したことになります。
よろしければ皆さまのご経験、コメントでお知らせ願えれば幸いです。
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