品名コクヨ セ-Y3。スケッチブックとありますが、これをそう呼ぶのはナチュラリストならモグリです。野帳もしくはフィールドノートと呼びます。すべてのフィールド屋が師匠から最初に教わる、いわばこちらの世界へのパスポートです。これを手にしてのち、記録する人生が始まります。ここにその人の足跡がすべて記されていくのです。
ちなみに国立科学博物館仕様のY3。頂き物で宝物です。もったいなくて使えません。
中身は3ミリ方眼。これが品番Y1「レベルブック」やY2「トランシットブック」だとヨコ罫線になります。合わせてコクヨの「測量野帳シリーズ」です。その中で自然観察者の圧倒的シェアを誇るのがY3。罫線のないこの自由さは一度馴染んだらもう手放せません。
竪割山でムササビを見た記録は1996年。
大阪に遊んだときは綿密に路線図を調べておきました。
ストレスなく図を書き込めるのがいい…… これ何のために描いたんだろう。私の野帳はフィールドに限りません。
おお漫研会長。その手の絵はクロッキー帳に描いてましたが、時々手が勝手に動きました。今となっては黒歴史、昔の絵ほど見て恐ろしいものはありません。
基本的には覚え書き、読書記録、研究記録、旅行記、などなどの文字で埋め尽くされています。近年はこのブログ記事のアイデアや草稿が多くなりました。最後はキーボードに打ち込むにせよ、ひらめいたり、言葉が沸いてきたりといった美神ミューズの降りてくるような体験は紙にペンを走らせるときに限られます。プロの作家で、例えば赤川次郎さんなんかは今でも原稿用紙を使っていますけど、やはり同じようなことを言っておられました。誰かが言うにはモニター画面を見ている間は前頭葉が働かないのだとか。創造をつかさどる前頭葉がボケてれば、そりゃ何も降りてくるわけございません。液晶ばかり見ている人、ながらスマホで歩いている中年はまあAIに仕事奪われる運命が妥当だとして、今の若い人たちは大丈夫だろうか。
すんません偉そうに。そういうことが言いたいんじゃなくて
いま手許にあるのが三十九冊、その三十九冊めもあと数ページ。これ全部、私が生きて考えてきた証です。長い長い旅路の記録です。よくもまあ。中には「レベルブック」に実験結果を書き込んだものがあり、ひとつの遠征のみに使ったものもあり、ナンバーは付けられません。そもそもナンバー1がどれなのか、いつから使い始めたのかも見当つかない。物心ついた時には使っていたという感覚です。さあ次のを準備しよう。買い置きを使い切ったので新たに入手しなければなりません。
コクヨ セ-Y3、さして需要のある商品でもなく、大学の生協以外で常に店頭に置いているのは町なかの老舗文具店しか知りません。散歩のついでに寄ったらば何と品切れ。思い切って5冊注文しました。その足で駅ビルの本屋の文具コーナーを覗いたらびっくり、現物がありました。かつてはこんなおしゃれな店に置くものではなかった。今は売れるんだ。自然を歩く人が増えた証と、少し嬉しくなりました。
で、届いた新品のフィールドノート5冊。これを使い切るのに何年だろう。私の旅の足跡、人生の記録になります。
というオチが付いたところで切り上げるべきですが、じつはこの記事を打っていて思い出したことがあります。野帳、この三十九冊だけじゃない。あと4冊あって、それは納戸の段ボールに他の資料と共に収めてあります。卒業研究で使ったものです。引っ張り出してみました。
私の卒業研究の手法は一言で言うと「ライントランゼクト」。そう書くと何だか難しそうに聞こえますが要は単純、道を歩きながらその時に見たものを記録するという、今散歩でやっていることそのものなんです。もちろんテーマはあって、ある特定の種類のチョウを見かけた範囲で捕獲し、翅にペンでマーキングして記録しまた放逐するという作業を続けながらではありますが、今のフィールド歩きでやっていることと大差ありません。書いてみて自分でも驚きます。この時の研究作業が、長い時を経てようやく時間を得た今の自分につながっているんです。三つ子の魂とはよく言ったものです。
卒研野帳の冒頭。まず調査順路の設定をした結果が丹念に記されてます。50メートルのメジャーを引きずって道のりを計測しながら、さまざまな環境条件を含む道を設定し記録していく作業を繰り返し、最終決定した順路が環境ごとに色分け、セクション分けで記入されています。
これが数ページ続いて
片道約4キロの調査コースが設定されました。これを一日かけて往復します。たぶん百日分以上のデータが必要になるでしょう。実際に週2~3回、三月から十月まで続けることになりました。恐ろしくコスパ(費用効率)もタイパ(時間効率)も悪い、現政権が考えるところの「カネにならない」研究です。今の研究者がやろうとしても予算は降りないでしょう。昔の学生だからできたこと。…… 片道4キロって、これ今の「駅まで散歩」と同じ距離じゃないか。
以下、4冊の野帳は数千に及ぶデータで埋められます。これを当時はエクセルもワードもないコンピュータに打ち込んで集計しました。気が遠くなります。なんでこんなことができたんだろう。でもこんな愚行というか時間の無駄遣いというか、実利の無さがまさに今の私の日々そのものです。私のような人間にはこれが幸せなんだと、どれだけ理解してもらえるかなあ。
そしてまた、新しい野帳に最初の一文字を記しました。こうして私はこれからも、このささやかな自分の世界に足跡を残していくのでしょう。
↓ チャットGPT 以前のお話ですけど。
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