太陽きらめく砂浜。水着の若い恋人たちが手を取り合って波打ち際を走っていきます。
あははは……いやん,まってよお……ほら,おいでったら……
そのうち足がもつれたフリをして波打ち際に倒れこむ二人。じっと見つめ合ったりして。
あああっ腹立たしい。こんな字面にするのも不愉快な幸せな二人。この海岸はおのれら二人のもんじゃねえぞ。
ご安心ください。こんな漫画かアニメの1シーンみたいなラブラブ,神が許したもうはずがありません。打ち寄せる波をかぶる二人に,たちまち異変が起こります。
ねえちょっと,なんかチクチクしない? 何を言うんだい,君の瞳に比べればあれれ本当になんか痛いな。あ,なんか水着の中に入ってきた。痛い痛い,なにこれなにこれ。ああっ虫だ。ちっちゃい虫がなんかかじりついてるう。ぎええいっぱいいるう。あ,しおりちゃん待ってって痛い痛いい。
見たか,正義は常に勝つ。これが浜辺のチクチク虫,ヒメスナホリムシであります。いてて,こっちにも来よった。
節足動物等脚類,わかりやすく言うとダンゴムシの仲間です。深海の人気者オオグソクムシも同類,食性も同じで「屍肉食らい(スカベンジャー)」。夜のストレンジャーならぬハマのスカベンジャー。海岸に打ち寄せられる動物の死体を食べます。
先日,いつもの生物仲間でこのヒメスナホリムシの観察をしました。
台風が日本海にいて,まだ荒れてる鹿島灘。びゅんびゅん南風の吹き付ける大竹海水浴場であります。砂が打ち付けて痛いってば。
こんな日に海に来るのは,台風のさなかに用水路を見に行くレベルのおバカでありましょう。
そんなおバカの集まり。ちなみにこの夏,近くの浜では4人亡くなりました。
裸足の人がさっそく身を挺してくれました。カジカジされてます。これがヒメスナホリムシ。海が荒れたので小型個体しかいません。
もちろんそんなことでは納得できないので,イカの燻製をエサにします。においが拡散すると,深いところからものすごい数が波に乗って集まってきました。ぐちぐちぐち。
波打ち際にはフジノハナガイという貝もいます。ひとつこの貝を食わせちまえってひどいことを。地獄に落ちるよな我々。でも貝のほうがわかっていて,ムシに食いつかれる前に殻を閉じます。
そして本日のメインエベント。仲間がこのために用意した,いいあんばいに熟れたイワシを針金に刺して波打ち際に固定いたしますと,いや出るわ出るわワラワラと。たちまちイワシがグズグズと形を変えていきます。
数分で骨が。実はこの前後,ヒメスナホリムシが集まってきてイワシを骨にしていく様子を動画でも撮っているのですが,このはてなブログに直接動画は貼れないのでまあいいか。気の弱い人にはトラウマになるレベルです。
ヒメスナホリムシが食べた動物体は,このムシが魚など他の動物のエサになることで食物連鎖に組み込まれ,生物の間を受け渡されていき,最後にはすべて二酸化炭素と水になってまた生物の原料となります。浜に打ち上げられた動物の死体の有機物は,こうして有効利用されるのです。
とはいえ虫に食われるってのはなあ。
隣にいた若いのがどうやら同じことを考えてたようで,顔を見合わせて,
「海で死にたくないね」
「そうですね」
という深い会話を交わしてしまいました。
でもよく考えたら,どこで死んでもその環境でのスカベンジャーに食われるんです。深海に沈めばオオグソクムシに。森で死んだらハエやシデムシに。骨だけ残して,私の身体を構成していた有機物はその場所の物質循環に組み込まれ,やがてすべては二酸化炭素と水になり,また光合成で有機物となって地球を巡っていきます。それが「土に還る」ということ。
昔,藤原新也という写真家がインドに行って,ガンジス川で水葬に付された遺体が中州に打ち上げられて野良犬に食われている光景を目にしました。彼はこう思いました。ああ,インドでは人も犬に食われるくらい自由なんだ,と。そしてその写真を収めたインド紀行を出版しました。本の名は「メメント・モリ」,ラテン語で「死を忘れるな」。本来はいつ死ぬかわからないんだから今を楽しめ,くらいの意味だったのですが,キリスト教的解釈を経てより「死」の意味合いを強めて流布される言葉です。そう,ヒトだって死は不可避。虫に食われ土に還るのもまた一つの自由なのかもしれません。
このあと全員で「潮騒はまなす公園」の池でザリガニ釣りなんかしちゃったりして。なんだかなあ。
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