少し私論と思い出話が入ります。長くなりました。
スギタニルリシジミとは蝶の名。小さな小さなシジミチョウの一種です。京都の貴船とかいうところで「スギタニ」さんが発見して,和名にも学名にもスギタニと付きました。
翅の表は瑠璃色,裏は灰色。よく似たルリシジミは茨城県の山にどこでもいる蝶ですが,スギタニは違います。ルリシジミが広範な植物を食草とする上に「多化性」,つまり年に何度も発生するのに対し,ごく限られた植物しか食べないスギタニはさらに「一化性」で年一回,春にしか出現しません。
茨城でのこの蝶の食草はトチノキ。そう「栃木県」のトチです。深山の沢沿いに生える大木です。スギタニルリシジミの幼虫は,この木が年一度咲かせる花の,そのつぼみしか食べません。だから成虫は春に出現して,恋をして,この季節だけの産卵機会に臨むのです。
トチノキの花。
茨城県ではこのトチノキの分布がかなり限られます。なのでスギタニルリシジミも分布が限られて,北方の福島県との県境,標高600メートルのブナの森ただ一か所が産地でした。とても希少なチョウです。県のレッドデータブックでも「希少種」の扱い。この茨城で唯一の産地を見つけ最初にスギタニルリシジミを採集記録したのが,大学の同じ研究室の大学院生だったYさんでした。私には格別の感慨があるチョウです。
驚くべし,その希少なチョウが,突然そこらへんで見られるようになりました。ミズキという,そこらへんになんぼでもある木の花を食べるようになったというのです。これに限らず県内では,それまで北の山中にしかいなかったチョウが急に低地で見られるようになるという事例が報告されています。もちろん「温暖化」では説明できません。その現場を見たくて,日立までやってきました。
工業都市日立の高鈴山たかすずやまは,今は緑に覆われていますがかつては鉱山の煙害で植生が全滅しています。頂上に電波塔が立ち,そこまで自動車で行けます。ただし狭い林道で片側は崖。対向車が来たらと思うと怖くて躊躇します。
晴れたなあ。茨城周辺で行楽を楽しんでいる皆さん,今日晴れたのは私のおかげだとは夢にも知るめえ(過去の「晴れ男」記事参照)。
今日は道筋を見ていくので林道をてくてく歩きます。
ヤブツバキがまだ咲いています。
落花もワラジムシとかにはごちそうでしょう。森は生と死を循環させます。
咲かむとすなりウワミズザクラ。
今日目立ったのがこれ,ミミガタテンナンショウ耳型天南星。鮮やかに静かに生を営みます。
下界では散っているヤマザクラがまだ咲いています。標高は300メートルを切る場所ですが,冷たい風が吹き抜ける谷筋です。
アケビの花。当ブログでおなじみのミツバアケビではなくアケビ。ミツバより淡色。
気温が上がって春のチョウたちが飛び始めました。これはコツバメ。やはり年1回,春のみに発生。また会えたね春の精♪とセンチメンタルに捉えるか,こういう生活史は生存戦略上どういうメリットがあるかと問うか。二人の自分がアタマの中でいらん会話を始めます。ああうるさい。
トラフシジミ。これは夏にも発生しますが,やはり春のチョウのイメージです。
出ました,スギタニルリシジミ。文献通り,路上で水を吸う「吸水」をしていました。ああ逆光だあ。
気温が上がったせいでちろちろと飛び回ります。確認のため一頭だけ採集。
キブシの花で吸蜜。今日は逆光写真ばかりです。他のブログのお写真できれいな順光のを見かけました。スギタニが好む花です。
すぐそばにミズキの木。このつぼみが幼虫のごはんなんです。ミズキがあってキブシがあれば生きられる。シンプルでうらやましい。
以下,私論。
スギタニルリシジミ。北海道から九州まで分布するのですがどこでも局所的。発生時期の問題もあって,狙って行かなければお目にかかれません。茨城では特にトチノキに固執するゆえもあり希少だったわけです。それが突如ミズキを食べ始め,瞬く間に分布を広げた。分布を広げるというのは生物の存在目的の第一で,つまりスギタニは食草を変えるという一つのイノベーションで大成功を収めたのです。思うに,これはなかなか示唆的です。
絶滅危惧種というものが数多くあります。それらは決して生きられる環境が特殊なわけではない。ありふれた日本の環境で,同じ場所で繁栄している種がいくらでも存在します。衰退している者たちには,何かこだわる条件があるのです。特定の植物に依存するとか,こういう日当たりや風向きでないと活動しないとか,これだけは譲れないという変なこだわりが。それがかえって生育条件を狭め,自らを滅びに向かわせているというのに。
特に今は気候の変動期です。私は「ヒトによる温暖化」に否定的ですが,とにかく地球環境が大きく変化しつつある。かつての安定した環境に固執し変化を受け入れないものは滅びに向かうでしょう。なまじ成功経験などあるとその傾向が強まります。
逆にこういう変革期に,これに乗じて自らを変え,新しい環境に適応していくものがいます。身軽にさまざまな施策を試し,うまくいけばもうけもの。ダメならすぐ撤退。小回りを利かせて目指せ下克上。目的は一つ,分布を広げる=シェアを広げる。実は私が今の役職で取り組んでいるのもそういう部分なのですが,これは重大な機密事項なのでないしょだよ。
スギタニの場合,他県ではもともとミズキを食草とする地域もあったので,トチノキからミズキに乗り換えたのか,他県の個体群が侵入したのか怪しい部分があります。でも県内で同様の南下が見られるエゾミドリシジミやウスバシロチョウは,ただいきなり拡大政策に乗り出したとしか思えません。ある日突然あの山を越えたくなったとか暖かい国へ行きたくなったとか。理由はともかく,これらは成功を収めています。絶滅危惧種なんて言われていい気になっている他種に見習ってほしいものです。
最後に,県内最初のスギタニルリシジミ発見者,Yさんについて。
Yさんは他大学から私の所属する生態・系統学の研究室に来ました。ここは学生が興味のあるものをなんでも研究テーマにさせてもらえます。教授の研究の手伝いをさせられるだけの他の研究室とは違う自由な雰囲気を好んで,まるで梁山泊りょうざんぱくのようにそのスジの猛者が集まっていました。その中でYさんは静かな物腰でしかし行動力は抜群,愛車の軽をトコトコと走らせて茨城県中を走破しチョウの分布を調べていた方です。そんな地道な現場への行動こそが,自然を相手にする正しい態度であると思う。スギタニの発見は,そんなYさんへの自然からの贈り物だったような気がします。
そのYさん。スギタニの発見から1年も経たぬうちに,ご実家の近くで愛車とともに事故に遭われて亡くなりました。意気消沈した親御さんの姿が今も浮かびます。
思えば,その後繰り返される大切な人との「別れ」の,あれが始まりだったような気がします。
もう二十年も前に,Yさんの産地で撮ったスギタニルリシジミ。Yさんの思い出が込められています。ポジフィルムから起こしました。なんだこの頃のほうが真面目に写真撮っているじゃないか。最初からデジタルでなかったのは幸いだけど,写真が確実に下手になっているこの事実を受け止めねば。