死んだわけではありませんよー。
期せずして38年も勤め上げてしまったその最後の三日間。賑やかで慌ただしくて、でも心は穏やかでそして何より明るい、私にはもったいないような日々でした。自慢話になるので、そういうのを聞く気分でない方はご退出ください、ごめんなさい。
今の事業所は総勢70名、その四分の一が入れ替わるという大きな異動になります。私の職場では異動の際に菓子やせんべいの小袋を配っていく習慣があるので、それが机に山積みになってまあ大変。その中で定年退職は私を含め二名。若い人たちが気遣ってくれます。
3月29日。お餞別をたくさんいただきました。
私が名前を貸す団体の人たちから巨大な花束二つ。モンベルのウインドブレーカーとサイドバッグ、そして寄せ書き帳。
いくら茨城は花が安いとはいえ、これいくらするんだろう。
こちらのアレンジメントも。バラ一輪のデカいことったら。
ウィンドブレーカーというのも私のことを知る人ならでは。ありがたや。
かつて私の一番弟子と言われた男とその奥さんがわざわざ来てくれました。コーヒーとガシャポンの蝶とアノマロカリスのキーホルダー。これも私をわかってるヤツならでは。
職場結婚した若い二人からはセンスの良いお餞別が。これからいろいろ物入りだろうに、かたじけない。
昔お世話になった旅行会社の方が、役職がついて立派になって、それでも挨拶に来てくれました。お互いそれなりに年食って、ああ涙が出そう。
私が根城にしていた作業室の膨大な私物をほぼ片付けました。
3月30日。今日もお餞別をたくさんいただきました。
中でもこれはびっくり。スイスアーミーナイフ。包みを開けてみろと言われて見た瞬間 ビクトリノックス!本物! と大声を上げてしまった。お安くないですよこれ。わかってくれてるひとがまた一人。
これも個人的にはぐっときた。ぐり押し棒とムーミンのお風呂セット。軽く笑いを取るあたり、かなりの手練れです。
ちなみに私は職員全員に文明堂のどら焼きと貴石を袋詰めで配りました。貴石とは、ピンクやらスモークやらの様々な水晶や蛍石やトルコ石や、これまでイベントの参加者に配っていた小さな磨き石のことです。どんなのが来るかは神さま次第。皆さん家で開けてびっくりしたそうです。私らしさを出したくて、さてうまくいったかな。
職場の机もほとんど片付きました。
3月31日。いよいよ最後の日、辞令交付があります。
例年、辞令はボスの執務室で渡されるものでしたが、皆さん大部屋に集合してください と放送が入り、え?え?と驚くうちに定年の二人は職員全員に見守られての大セレモニーに放り込まれてしまいました。辞令、感謝状、そして花束。直属のメンバーからは大吟醸1本。過分といえば過分すぎる扱いで、13年通った事業所をあとにすることができました。
社会人ご卒業おめでとうございますと言われて、え?わし社会人じゃなくなるの、じゃあ何なの、なんて。仕事を持たない、働かないとなると確かに立派な社会人とはいえませんね。周囲のひとに再就職する気は一切ないと公言していて、私のキャラクターを知る人はそれを笑って受け入れてくれてます。今までよく頑張りましたと。絵に描いたような夢想主義者だった私が、仕事なんていつでも辞めてやるなんて根性だった私が、周囲に支えられ時には追い詰められ、本来の自分を押し込めた代償にそれなりの立場になってしまいました。そして永い永い年月の果てに、ようやく本来の自分に戻る時が来ました。仕事に未練はありません。
このコロナ禍で、海の向こうでは戦争があって、日本でも世界でも悲しい別れ、突然の別れ、そして中には石もて追われる別れもあることでしょう。こんなにゆったりと、あらゆる準備を整えた上での祝福された別れができて、私は本当に幸せだったと思います。
願わくば、上の世界に旅立つその時にも、こんな明るいお別れができれば。
念のため言っときますが、あと30年は生きますからね私。
さあ大人の夏休みの始まりです。
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